統一教会絡みの報道で「政教分離原則」の話をよく耳にする。しかし誤解も散見されるので、基本的事項を整理する必要があると思う。
まず、政教分離原則とは何か。
これは憲法20条3項にある次のような原則である:
国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
GHQが1945年12月15日に発した神道指令を受けて設けられた、といわれている。
これとあわせて憲法89条も、政教分離原則を財政面から支えている:
公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため……、これを支出し、又はその利用に供してはならない。
さて、憲法20条3項を読むと「国及びその機関とは何か」「宗教教育や宗教的活動とは何か」という疑問が湧く。まず「国及びその機関」について考えると、「国」は分かりやすいが「その機関」に何が含まれるか、文言だけからは分かりづらい。ただ、41条、76条2項、78条及び93条の文言から、国会と行政機関と地方議会が含まれることだけは間違いなさそうである。
他に解釈を探すと、平成14年11月1日の平岡秀夫衆議院議員(当時)に対する国会答弁で内閣の見解が示されている。関係のありそうな部分を抜粋すると次のとおりだが、あくまで内閣(行政府)の見解に止まる点は注意が必要だろう:
- 含まれるのは「内閣、各省庁、内閣総理大臣、その他の国務大臣、各省の事務次官、局長、課長等」「国会及び裁判所」「地方公共団体」「知事、市町村長、副知事、助役、出納長、収入役、部長、課長等」。
- 「衆議院議長等又は最高裁判所長官等」は「立法府又は司法府の問題であるので、答弁を差し控えたい。」
続いて憲法20条3項の「宗教教育」「宗教的活動」は更に難しい。特に「宗教的」が曖昧である。これも仕方がないので解釈を探すと、「宗教教育」については教育基本法15条が参考になる。が、これはあくまで法律の規定であり、もしかしたら将来この規定に絡む訴訟事件で違憲判決が下るかもしれない。解釈の有力案程度に止めておくべきだろう。
「宗教的活動」の意味については、最高裁は「当該行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為」と解している(津地鎮祭事件)。最高裁の解釈だから有力説と言えるのは間違いないが、最高裁は立法府ではないから、これもまた絶対視は避けるべきだろう。
このように、憲法の文言を深掘りするのには限界がある。実際、「宗教教育」「宗教的活動」が何を指すかは学説上争いもある。そこで次の手として趣旨解釈を試みよう。
趣旨解釈とは簡単にいうと「その規定が何のためにあるのかを考える」というアプローチである。憲法20条3項の元になったという神道指令の原文を読むと「国家として神道を強制してはならない」「個人が信仰するのは自由」などとあるから、憲法20条3項の射程も「国家として特定の宗教への信仰を強制する行為に止まる」と解釈することはできる。
なお、特定の宗教への信仰や不信仰を求めると、憲法20条1項及び2項の「信教の自由」との兼ね合いで問題になりかねない。また、霊感商法の違法性は別次元の問題であるから、混同しない方がいいと思う。
統一教会関係では、政治家の「かかわり」が叩かれているように見受けられる。しかし、叩くからには (1) 当該政治家個人が「国及びその機関」に該当すること、(2)当該「かかわり」が「宗教教育」「宗教的活動」に該当すること、を示す必要がある。
そしてその論証には、上記判例や趣旨解釈を論駁する程度の説得力が備わっていなければならない。そのような立論が無理ならば、政教分離原則の方面から叩くのは、いささか無理筋と言わざるを得ないだろう。
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高梨 雄介
上智大学法学部卒業後、市役所入庁。法務関係部門を歴任して数々の例規の起草、審査、紛争解決等に携わる。現在は公共団体職員として勤務の傍ら、放送大学で心理学を専攻中。