パウエル米連邦準備制度理事会(FRB)議長が行った8月26日のジャクソン・ホール講演で、ダウは1,008ドルも急落し5月18日以来で最大の下げ幅を記録しました。ナスダックは4%近くも落ち込み、こちらも6月16日以来の下げとなります。
”金融政策と物価安定”と題した講演は全体的に足元のFed当局者の発言と大差ない内容ながら、7月FOMC後の会見で利上げ幅縮小を示唆したハト派トーンが薄れ、2023年の利下げ転換期待に冷や水を浴びせた格好です。講演内容のポイントは、以下の通り。
・物価安定はFedの責務であり、経済の基盤として機能している。物価の安定なくして、経済は誰のためにも機能しない。特に、物価の安定がなければ、すべての人に恩恵をもたらす強力な労働市場の状況を持続的に実現することはできない。
・物価の安定を取り戻すには時間を要し、需要と供給のバランスをより良くするために我々の手段を強力に行使する必要がある。
・インフレ鈍化には、トレンドを下回る成長率の継続が必要となる公算が大きい。さらに、労働市場の状況も軟化する可能性が非常に高い。
・金利の上昇、成長の鈍化、労働市場の軟化はインフレ率を低下させる一方で、家計や企業に何らかの痛みをもたらすだろう。これらはインフレを抑制するための不幸な負担となるが、物価の安定を取り戻せなければ一段と大きな痛みに直面しうる。
・7月FOMCでの利上げは目標レンジの引き上げは、足元で2回目の75bpの引き上げであり、その際に次回の会合でも異例の大幅な引き上げが適切である可能性があると伝えた。
・9月FOMCでの我々の判断は、入手するデータおよび進展する見通しを総合的に判断することになる。
・金融政策姿勢が一段と引き締まるにつれ、ある時点で利上げペースをゆるめることが適切となる可能性が高い。
・物価安定を回復する上で、当面の間、引き締め寄りの政策が必要となりそうだ。
・過去の記録は、早まった政策緩和を強く戒めている。6月FOMCで示された委員会参加者の最新のFF金利見通し・中央値では、2023年末に4%をやや下回る水準にある。参加者は9月の会合で予想を更新する予定だ。
チャート:6月FOMCの経済・金利見通しとドットチャート
(作成:My Big Apple NY)
・我々は金融政策を検討し決定する上で、1970年代と1980年代の高水準で不安定なインフレ動向のほか、過去四半世紀の低インフレの両方から学んだことを基礎とし、特に3つの重要な教訓を活用している。
①Fedは低位で安定したインフレを実現する責任を負うことができ、またそうすべきということだ。→供給が追い付く水準まで需要を鈍化させるべく、コミットしていく。
②将来のインフレに対する国民の期待は、長期的なインフレ経路を設定する上で重要な役割を果たす可能性がある。
→1970年代、物価高を受け人々のインフレ期待は上昇し、賃金や価格決定に影響を及ぼしただけに、そのような事態を回避する必要あり(合理的不注意=rational inattentionに言及、物価高の局面で世間の注目を集めやすいが、物価が鈍化すれば関心が低下する)。
③やり遂げるまで、やり続けなければならない
→ボルカーFRB議長が1980年代に積極的な利上げで物価高騰の抑制に成功したが、当時は1970年代に物価高の抑制に失敗を受けたもので、その結果、当時は大幅に引き締め寄りの政策を講じる必要があった。我々は決意をもって、そのような結果を回避していく。
一連の内容を受け、FF先物市場では9月20~21日開催での75bp利上げ織り込み度が8月26日時点で61%と、50bpの上回った水準を保ちます。
チャート:9月FOMC、75bp利上げ観測が75%
(作成:My Big Apple NY)
2023年以降はどうかといいますと、見事に利下げ転換予想が消えています。米6月CPI発表後に100bp利上げ観測が浮上すると共に景気後退懸念が強まった7月には、23年3月の利下げすら織り込んでいましたが、足元はご覧の通り少なくとも23年7月まで利下げ転換を予想していません。
チャート:23年7月まで、少なくとも据え置きを予想
(作成:My Big Apple NY)
パウエル氏の講演内容に加え、地区連銀総裁が同日あるいは前日に積極的な利上げを支持する姿勢を示しており、2023年の利下げ観測後退につながったとみられます。
〇クリーブランド連銀総裁(タカ派、投票権あり)
「我々は恐らく、2023年までにFF金利誘導目標を4%を小幅に上回る水準まで引き上げなければならない可能性がある」
「物価高の状況が続いており、収束に向かうという有力な証拠が得られるまでは、金利を引き上げ、継続していかなければならない」
〇アトランタ連銀総裁(ハト派、投票権なし)
「パウエル議長の発言は、経済が鈍化するにつれて、雇用が失われ、ビジネスが減速するかもしれないという可能性に備えようとしたのだろう」
「仮にそうなった(経済が鈍化)するならば、比較的緩やかであればと望む」
「(前日の25日付けWSJ紙インタビューでは、経済指標次第で)75bp利上げもありうる」
〇フィラデルフィア連銀総裁(8月25日の発言、ハト派、投票権なし)
「FF金利誘導目標が(6月FOMCでの2022年FF金利見通し・中央値である)3.4%を超えて経済が鈍化するならば、(政策金利を)しばらく据え置くことが可能」
「(仮に50bpでも)大幅な利上げだ」
以上、全体的に2023年の利下げ観測をけん制する内容を受け米株相場が3%超も急落しましたが、同発言が足元インフレとインフレ期待が鈍化するなかで飛び出した結果、失望を招いたことでしょう。
米7月消費者物価指数(CPI)に続き、米7月個人消費支出(PCE)価格指数は前年同月比6.3%と前月の6.8%から鈍化。コアPCEも同4.6%と、21年10月以来の低い伸びでした。
チャート:PCE価格指数は鈍化、コアは鈍化が鮮明に
(作成:My Big Apple NY
さらに、米8月ミシガン大学消費者信頼感指数・確報値の1年先インフレ期待は4.8%と速報値を下回り年初来で初めて5%割れを実現。5~10年先インフレ期待も2.9%と速報値に届かず、前月に続き3%割れを維持しました。逆に、消費者信頼感指数はインフレ期待の鈍化に合わせ、回復しています。
チャート:ミシガン大学消費者信頼感指数・確報値、インフレ期待の低下に合わせ消費者信頼感は底打ちの兆し
(作成:My Big Apple NY)
インフレは確実に鈍化しつつあるようにみえるものの、パウエル氏はインフレへのファイティング・ポーズを維持しました。振り返れば、5月FOMC後の会見では「ボルカー氏を尊敬しない者などいない」と発言。当時も、中立金利を超えて引き締め寄りの政策を講じる可能性を点灯させていたものです。
しかし、今回敢えて言及したのは、モルガン・スタンレー・アジア の元非常勤会長でイエール大学シニアフェローのスティーブン・ローチ氏を始め、一部の有識者やメディアが1970年代の金融政策の失敗と、その後のボルカー時代の大幅利上げによる景気後退の懸念を寄せてきただけに、明確に否定する姿勢を示す必要に迫られたのでしょう。
今回、インフレ抑制に確固たる姿勢を強調した背景として、依然として力強い労働市場がサポートとなったと考えられます。住宅リセッション(housing recession)との指摘が聞かれつつ、米7月雇用統計は好調で、米新規失業保険申請件数も増加したとはいえ過去と比較すると低水準を保ちます。
ジャクソン・ホール講演を踏まえると、米8月雇用統計も悪くない数字である公算が大きい。そうなれば9月FOMCで75bpの利上げに踏み切り、2023年のFF金利見通し・中央値が上方修正してもおかしくありません。
筆者は物価の落ち着きに合わせFedがハト派寄りにシフトすると予想していましたが、CHIPSプラスやインフレ抑制法が成立し、学生ローン返済免除を決定するなど、短期的にも長期的にも需要を下支えしそうな政策が打ち出された後なだけに、Fedはタカ派姿勢をしばらく維持せざるを得ないようです。
編集部より:この記事は安田佐和子氏のブログ「MY BIG APPLE – NEW YORK –」2022年8月28日の記事より転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はMY BIG APPLE – NEW YORK –をご覧ください。