イギリスおよび英連邦の多くの国の女王であるエリザベス女王が崩御された。
女王を君主にしていたのは、英、加、豪、NZのほか、ジャマイカ、バハマ、グレナダ、パプアニューギニア、ソロモン諸島、ツバル、セントルシア、セントビンセント・グレナディーン、ベリーズ、アンティグア・バーブーダ、セントクリストファー・ネイビスの合計15か国である。昨年11月まではバルバドスもそうだった。
ただし、英女王としてこれらの国の元首なのではない。たとえばカナダではカナダ女王なのである。
老衰とみられるだろうが、病院に入院されなかったところをみると、無理な延命治療をしない方針だったとみられる。長期間の延命は君主制にとって危険であるということで、生前退位しない方針をきめたときに予定されたことだ。
バチカン市国では、ヨハネ・パウロ2世が、退位されない代わりに、教皇庁内の病院で可能な治療に留められたこともあり、ベネディクト16世は退位を選ばれた。
亡くなったときに、誰がいたかなどは公開されないだろうとBBCは報じている。もしかすると、かなり前に亡くなっており、家族が集まるのを待っていた可能性もあると言うことだろうか。
チャールズ皇太子が国王となったが、BBCはチャールズ3世と報じている。ジョージ7世となるかもといわれたがチャールズ3世ということになったらしい。
チャールズ一世は処刑され、チャールズ二世は退位を強いられたのでチャールズの名は避けるかもといわれた。避けられるかもしれないといわれていた。(ジョージ6世は即位するまではアルバートだった前例もある)
カミラ夫人は皇太子妃を意味するプリンセス・オブ・ウェールズでなくコーンウォール公爵夫人(コーンウォールはイングランド南西部の半島。ケルト人が住む地域で皇太子領。「トリスタンとイゾルデ」のマルケ王はコーンウォール王)だったが、王妃であるクイーンを名乗ることが先年エリザベス女王が発表していた。
亡くなったバルモラル城はスコットランド北部にある周囲を森や荘園に囲まれたエステート・ハウスである。城と荘園は、ヴィクトリア女王の王配アルバートにより購入された。イギリス王室の夏の休暇地として使用されている。バルモラル・エステート全体の面積は260平方キロメートル。
バルモラルは王室の私的財産である。エドワード8世が退位したときジョージ6世は、兄エドワードからバルモラルやサンドリンガム・ハウスを買い取った。
エリザベス2世は、9月6日午前中にボリス・ジョンソンがバルモラルを訪れエリザベス2世に首相からの辞表を提出し、午後にはリズ・トラスの首相任命式が行われた。
バルモラルで首相任命式が行われたのはヴィクトリア女王とソールズベリ首相依の1885年以来のことであった。
エリザベス女王のもとでのイギリス王家は、ウィンザー家を名乗っていた。ヴィクトリア女王の夫で王配殿下(プリンス・コンソート)となったアルバート公の実家であるドイツ出身のサクス=コバーグ・アンド・ゴータ家(独語:ザクセン=コーブルク=ゴータ家)が本来の名字であるが、第一次世界大戦でドイツが敵国となったので、ジョージ5世の提唱で家名を変更した。
ただし、チャールズ皇3世のもとでは、マウトバッテン=ウィンザー家になることになるはずだ。もともとエジンバラ公フィリップ殿下は、ギリシャ王家出身で、名字はグレイスだったが、イギリスに帰化して、母方の名字であるドイツのバッテンベルクを英国風にしたマウントバッテン家を名字にしていたからだ。
なお、上記の内容のかなりは、「日本人のための英仏独」三国志」(さくら舎)から抜粋したものだが、英国王室の話は私のメルマガ「Facebookでは書けない話」で詳しい情報提供をすることにしている。