昨今のウクライナに対するロシアの侵略は、いまだ大国による侵略戦争が旧時代的なものとはなっていないことを示した。これまで大国が間接的なかたちで戦争に介入したことはあったものの、直接的に戦火を交えたのは21世紀に入り初めてのことであり、世界中の多くの人にとって衝撃的であったことだろう。しかしそのことを遠くのクワバラとして捉えてはならないのが我が国、日本である。
8月のナンシー・ペロシ米国下院議長の初の訪台に伴い、中国の人民解放軍は福建省南部の廈門市に戦車を集結させ、これを牽制した。対する米国をはじめとした西側諸国は海軍を台湾海峡に派遣していたが、本件以降では日本時間8月28日に米軍が初めて軍艦2隻を通過させた注1)。台湾軍も近年に入り軍事演習を活発化させるなど、台湾有事への対応に向けて準備を進めている。
台湾有事のリスクと中国の論理
米中台いずれも台湾海峡をめぐって恣意的な行動を起こしていることや、米台の外交上の連携の動きが多く見られることから、非現実的なシナリオとして考えられていないことは確かだ。また中国における「一つの中国」理念は台湾に対する侵略戦争を正当化する理論として援用でき、中国としては「正当性」をもって行動に移すことが可能だ。
記憶にも新しい香港を例としてあげよう。香港では2019年に一国二制度が崩壊、多くの反対運動や国際的な反響が示された中で、今年に入り中国外務省の趙立堅副報道局長は記者会見で、香港に関する事項は「内政である」と反発し注2)、他国が干渉をするものではないとの姿勢を示した。
中国の台湾への認識は香港と同様であるといえる。実際、主要7か国首脳会議(G7サミット)において台湾海峡の平和と安定の重要性に言及した首脳声明が発表されると中国政府は「台湾問題は中国の内政であり、いかなる外部の干渉も許されない」と反発した注3)。
台湾問題も中国にとってはあくまで“内政事項”であるのだ。
台湾有事に伴う日本への影響
第一に検討するべきは日本が直接的に戦火に飲まれるシナリオである。日本全土に在日米軍が駐留しており、米中が交戦状態になれば在日米軍専用施設も攻撃対象となる。中でも沖縄県は約70.27%の米軍専用施設を県内に有している注4)うえ、台湾までも距離として約620㎞という地理的条件にある。台湾を米軍が支援するとなれば米軍施設を多く抱える沖縄県も戦禍は免れられない。
では仮に米軍が台湾の支援を放棄し、米中が直接戦火を交えない場合どうなるだろうか。第一に考えなければならないのが台湾の在留邦人の救出である。台湾には2021年10月の時点で24,162人の在留邦人が住んでいる注5)。我が国はこれまでアフガニスタン等にて在外邦人救出を自衛隊のオペレーションとして行ってきたが、台湾で行うとなれば比較にはならないほど大規模なものとなる。
またスクリーニングの問題が存在する。大量の人の流入に備えるためにもAIによる識別はスクリーニングのうえでも有用であると期待され、実際に我が国の出入国管理庁においても実用化が実施されている。AIを用いたAPIS(Advanced Passenger Information System)審査官の活用や情報収集がスクリーニングにおける今後のカギとなるだろう。
もう一点留意しなくてはならないのが台湾からの難民の流入である。台湾は人口約2,340万人を有しており、面積・人口ともにキャパシティーに限界のある南西諸島で対応することは非常に難しい。
殊に台湾に最も近い与那国島は2022年7月末時点で人口1,675人であることから難民流入に際してはパニックが予想される。
流入する難民と避難計画
南西諸島における島民避難は喫緊の課題だ。与那国町の防災担当は、敵が島に上陸した際に指定した箇所に島民を集め、旅客機やフェリーで輸送する避難計画の策定を進めているが、見立てによると住民全員の避難に要する時間は3日から4日、さらには冬場には海が荒れるためフェリーでの輸送は難しいという注6)。また輸送手段を使うことができたとしても避難場所が国から指定されていないという現状も課題として指摘される注7)。
先述の難民流入のシナリオも考慮に入れるとどうか。1,650人の人口の避難の目途が立っていないところに、対岸の約2,340万人の島から難民が発生すれば当初の避難計画よりも大幅な時間を有する。
1981年に難民条約へ加盟した日本は台湾から難民が流入した場合、庇護申請者の一時的保護を行わねばならない注8)ため、彼らの人数も鑑みると相当な時間を避難に要することが予想される。2017年12月に発表された「国民の保護に関する基本指針」の中では有事に際し、住民の避難の判断と避難措置の指示は事態対策本部長に一任されている注9)。
平素の準備として市町村は関係機関(各執行機関、消防機関、県、県警、海上保安庁、自衛隊等)と意見交換を行ったうえで、複数の避難実施要領のパターンの作成を努力目標としているが南西諸島の特異な環境においてはこの連携が円滑になされることは困難であるのが実態だ。
台湾有事対応に求められること
我が国が戦禍に飲まれるシナリオは多分に意識されるところであるが、一方で南西諸島での危機や難民流入に際しての行動について指針が示されていないことが現状として指摘されるのは上述したとおりである。昨今の台湾海峡での情勢を鑑みるに、より直近の事案として意識されるべきはむしろこちらの方ではなかろうか。
まずは南西諸島における避難計画の策定を迅速に行うべきであることは明白だ。島嶼部の特異性を鑑み、国主導で関係各所との連携を促進することが求められる。またそれとは別に現与那国町長である糸数健一氏は公約の中に滑走路の拡大を提示している。観光産業の活性化の目的もあるが、同時に有事の際の島民避難のインフラとしての期待もある。
我が国や台湾はシリアやウクライナといった戦禍にあった国々と異なり、大陸に属していない。であるからこそ有事に備えてのより綿密な準備が必要となる。国、県、市町村がより緊密に連携し、避難計画の策定と滑走路の拡大を通じて、きたる難民流入に向けて平素である今より準備するべきだ。
同時にスクリーニング体制の確立も求められるところである。先述のとおり、在外邦人救出においてはテロリストの入国等のリスクが伴う。また本州と比べ大陸とも距離が近いことから、南西諸島を経由して海路・空路で避難先に入り込む可能性も考えられる。国民の命を守る、避難した人々の命を守るということを主眼に個人識別情報の収集やシステムへのAI技術導入も同時に検討するべきであろう。
きたるときに備え、平時より邦人救出体制や避難計画の策定をすることが、台湾有事のシナリオにおいて求められることであろう。
注1)BBC News, “Taiwan: Two US warships sail through Taiwan Strait, 29 Aug. 2022, <Taiwan: Two US warships sail through strait – BBC News>, 31 Aug. 2022.
注2)時事通信「香港は「内政」と反発 中国」(2022年7月1日)
注3)NHK「中国 G7声明に反発「台湾問題は中国の内政 外部の干渉許さず」(2022年6月19日)<中国 G7声明に反発「台湾問題は中国の内政 外部の干渉許さず」 | NHK | 中国>(2022年8月31日閲覧)
注4)防衛省「在日米軍施設・区域(専用施設)面積」(2022年3月31日)
注5)外務省「海外在留邦人数調査統計」令和4年版、2021年10月1日
注6)日テレNEWS「【防衛】”台湾有事”想定 与那国島で進む「避難計画」とは?」(2022年5月13日、閲覧2022年8月31日)
注7)同上
注8)難民条約第33条「ノン・ルフールマン原則」に基づく
注9)内閣官房「国民の保護に関する基本指針」第4章 国民の保護のための措置に関する事項第1節 住民の避難に関する措置 2 避難措置の指示(2017年12月)
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市川 広大
埼玉県熊谷市出身。慶應義塾大学を卒業後、慶應義塾大学院法学研究科、東京大学大学院総合文化研究科にて修士号を取得。修士(法学)、修士(国際貢献)。専攻は国際政治、国際社会科学。松下政経塾においては日本の安全保障や国際協調について調査・研究を行う。