日刊ゲンダイが松野官房長官を絶賛という大事件

「犬が人間を咬んでも新聞に載らないが人が犬を咬んだら大ニュース」といわれるが、「夕刊フジ」が安倍元首相を誉めても「またか」だが、「日刊ゲンダイ」が安倍派の大幹部を絶賛したとなったら、それこそ太陽が西から昇ったほどの大事件だ。

経済界で松野長官の評価が急上昇 安定感のある対応に『安倍派後継に』との声も」という日刊ゲンダイの記事を見て、思わず「夕刊フジ」を買ったのかと第一面を二度見した人も多いかと思う。

経済界で松野長官の評価が急上昇 安定感のある対応に「安倍派後継に」との声も|政官財スキャニング
官界通(以下=官) 自民党の国会議員と旧統一教会の関係団体との接点が8日に公表され、根の深さが再確認された。名前が...

お笑いは、このアゴラに私が「安倍派の後継者は誰か?」という記事を上げた次の日なのだ。電子版と紙の前後関係はよく分からないが、私のアゴラの記事は「深田萠絵TV」で「安倍派を継ぐのは●●議員だ!!」という話を半月ほど前に収録し9月11日に公開、夕刊フジでも8月の終わりに少しさわりを書いたものだから、もしかして見ていただいていたのかもとか思っている。

ちなみにアゴラ記事では、

そこで、第三の男として注目されているのが、松野博一官房長官です。松下政経塾出身で目立たないがまとめ役としては最適といわれてきました。政経塾出身だけに野党にもパイプがあって、面倒見がよいとして信頼抜群です。記者会見は誠実にこなし官邸記者の評判はいいし、テレビには原則出ないということで縁の下の力持ちとして岸田総理を支えていますので、派閥に戻ればまとめ役として浮上するでしょう。

と書いた。

日刊ゲンダイは、

岸田政権で官房長官に就いて約1年、毎日の記者会見を淡々とこなす様子が実は好感されている。小泉政権の福田康夫氏や安倍晋三氏、安倍政権の菅義偉氏、菅政権の加藤勝信氏ら歴代長官のような”上から目線”がなく、嫌な質問が出てもムキにならない。その安定感が”安倍派後継に”との声まで呼んでいる。

と書いている。さらに、

新型コロナウイルスの水際対策で政府が入国者数を緩和したが、訪日外国人の7割を占めていた個人旅行にビザの取得制限を残し、経団連の十倉雅和会長は”不十分”と批判的だったが。 経済界で松野長官の評価が急上昇 安定感のある対応に”安倍派後継に”との声も。

円安が急進した後の会見で”明らかに過度な変動。継続する場合、あらゆる措置を排除せず、必要な対応をとりたい”と明言し、経済界と問題意識を共有していることが伝わった。

小泉政権後、短期政権が続いて成果を出せなかったことに失望した経験から、岸田政権を支える松野長官の安定感が目を引くのかもしれない。

とも付け加えている。

官房長官は毎日、二度の記者会見をしている。こんなのは準閣僚クラスで弁舌爽やかな政府報道官でも置いてやればいいのだが、官房長官が軽量ポストだった頃の惰性でそうなっている。

だが、官房長官は忙しいので、ぞんざいになったり早々に打ち切ったりするし、菅官房長官の時には、質問とはいえない大演説をうって、とってつけたように長官の見解を聞く望月衣塑子さんのような人もいたので、政治報道をトゲトゲしくしてしまうことも多かった。また、官房長官が大物政治家であるがゆえの上から目線もあった。

松野官房長官は気持ちとして、得点をするより減点を減らすことも大事ということで、できるだけ多くの質問に、丁寧に答えることに徹しているし、逆にテレビ番組に出演することは避けている。

そういう姿勢が功を奏しているとすれば結構なことだし、逆に、官房長官になる前は、安倍派の事務総長だった松野氏の不在が、安倍派にとっては元首相暗殺後の混乱にあって痛いところだ。

松野博一官房長官
首相官邸HPより

松野氏のことは、あまり知られていないが、1962年(昭和37年)千葉県木更津市生まれで現在は市原市に在住。木更津高校から、早稲田大学法学部を卒業し、ライオン株式会社経由で1988年(昭和63年)に松下政経塾に第9期生として入塾。前原誠司や玄葉光一郎より一期下だ。

同期には相原高広(神奈川県議)・秋葉賢也(自民党代議士)・浅田隆子(元アナウンサー)・荒巻豊志(予備校講師)・市村浩一郎(元代議士)・井戸まさえ(元代議士)・太田清五郎(企業経営)・加藤政徳(企業経営)・木内均(自民党代議士)・木下丈嗣・桑畠健也(所沢市議)・斉藤弥生(大阪大学大学院教授)・鈴木香奈子・本多平直(元代議士)・八柳祐孝(八郎潟町議)・渡辺徹(死去)がいる。

1996年(平成8年)自由民主党千葉県連の候補者公募に合格し第41回衆議院議員総選挙に千葉3区から出馬したが落選。

2000年(平成12年)には初当選し、「日本で初めて、公募制度から生まれた衆議院議員」を名乗っている。第3次安倍第3次改造内閣で文部科学大臣に就任した。現在、8期目である。

安倍首相が再登板した2012年の総裁選挙では、派閥の候補である町村信孝を推したので、安倍直系ではないが、もともと、福田家という共同オーナー(?)がおり、森喜朗という大御所も枯れない清和会のまとめ役として安倍元首相からも信頼された。

ここは大事なところで、「安倍さんはなぜリベラルに憎まれたか 地球儀を俯瞰した世界最高の政治家」(ワニブックス)でも書いたが、安倍元首相の戦闘的なエネルギーを支えたのは保守派だが、本人は保守本流としての安定感のある政治家であり、それを支える人材、また、両者を繋ぐ人材も取り込んでいたのが、安倍首相が大宰相たり得たところだ。

この動画もぜひご覧下さい。