あの“エリザベス・ライン”を見よ:英国民は歴史をこよなく愛する人々

英国人がこんなに忍耐強く、規律ある国民だとは思わなかった。35時間も列に並び、不平を言わず、ましては暴動を起こすことなく、時には笑顔をみせながら待っているシーンは奇跡のように感じる。

ウェストミンスター・ホールに運ばれるエリザベス女王の棺(2022年9月14日、バッキンガム宮殿サイトから)

当方は1980年代、半年余りイギリスの都市リバプールに住んでいた。湾岸都市で市内の路上にはフィッシュ・アンド・チップの紙袋が至る所に散らばって、清潔な街という印象からはほど遠かった。国民はパブでビールを飲んで騒ぐことが好きだ。そんな姿を見聞きしてきたこともあって、英国民の国民性を過小評価していたのかもしれない。その印象が激変したのだ。

ロンドンのテムズ川沿いにエリザベス女王の棺が安置されているウェストミンスター・ホールまで長い人々の列が続いている。それを見て驚かされた。さぞかし人々はイライラしているだろうと思ったが、列の人々は穏やかな表情で自分の番が来るのを待っている。英メディアはその人々の列を「エリザベス・ライン」と呼んでいるのだ。

エリザベス女王は8日、スコットランド・バルモラル城で96歳で亡くなった。その後、その棺は11日にはバルモラル城を出発し、13日にはエジンバラから英空軍機でロンドンに運ばれ、バッキンガム宮殿に、そして14日にウェストミンスター・ホールに到着、そこで4日間安置されている。女王の国葬は19日午前11時(現地時間)、ウェストミンスター寺院で行われる。その日まで英国民はエリザベス女王に弔意を捧げることができる。

そこで英国各地ばかりか、オーストラリア、カナダ、ニュージランドなど英連邦からも女王に最後の別れを告げようと殺到してきているわけだ。その数は最終的には200万人を超えるだろうと推測されている。

列の話に戻る。上空から撮影した写真をみると、エリザベス女王の棺が安置されているホールまで7キロ余りの長い列だ。ホールの棺に到着して弔意を表明するまで30時間以上の時間がかかるという。

最初に弔意をした英国女性はテレビのインタビューで、「数日前から弔意が始まるまで待っていた。少し疲れたが、満足している。歴史的な出来事に少しでも参与して感謝している」と答えていた。長い列の中にいる別の女性は、「自分は列を作って待つことは好きではないが、今回は例外だ。多くの人々は静かに自分の番がくるのを待っている」と証言していた。

1時間でも待たされれば、一言不満を吐露したくなるものだが、BBCの報道をフォローしている限りでは、そのようなシーンは見当たらない。もちろん、数千人の警察官が列を見守っていることもあるが、列の人々は黙々と一歩一歩、女王の棺があるホールに向かっていることに満足しているのだ。当方はそのシーンを見て、“エリザベス・ラインの奇跡”と呼びたくなった。

「人の列」ということで思い出すエピソードがある。ウィーンの韓国大使館でナショナルデーの祝賀会が開かれた。招かれた外交官、ゲストで大使館裏の広い庭は一杯となった。ゲストをもてなす食事が用意されていた。ゲストは好きな料理コーナーで列を作って料理を受け取る。当方はその時、ウィーン大学東アジア研究所の北朝鮮問題専門家、ルーディガー・フランク教授と並んだ。教授は笑顔を見せながら、「列に並ぶことも楽しいですよ」というではないか。教授は旧東独生まれだ。食事の配給から全て列を作ることに慣れてきたという。「たまたま列に並んだ人と知り合い、話すことが出来ることは楽しいものですよ」という。一見、ネガティブなことも角度を変えればポジティブとなることを教えてもらった。

ところで、“エリザベス・ライン”に並ぶ人々はなぜ長時間、数秒の弔意を表明するために列に並ぶことができるのだろうか。テレビ放送では王室関係者やエキスパートから貴重な話も聞けるにもかかわらず、30時間、外で長い列に並んでいる。BBCはエリザベス女王が如何に国民から愛されてきたかの証明だ、と解説している。たぶん、そうだろうが、列の人が全てそうだとは限らないだろうが。

興味深い点は、列を作る人々が頻繁に口にする「歴史的出来事に自分も参席したい」というコメントだ。同時代に生きてきた1人の人間として、時代を先導してきた女王の姿を一目見たい、歴史的な存在の女王と自分との間に何らかの接点を結びたい、といった思いがあるのかもしれない。歴史的出来事の瞬間、眠っていることはできない。会社を休んでもその瞬間を自分も共有したい、というのだろう。“歴史的出来事”という言葉に人々の心は動かされ、長い列をも苦にならない。英国民は“歴史”を重視し、“歴史的出来事”をこよなく愛する人々なのかもしれない。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年9月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。