国葬に出るだけであの野田佳彦を絶賛する保守の浅薄

野田佳彦元首相が国葬に出るというだけで、この暗愚の元総理を絶賛する保守派の馬鹿さ加減にあきれる。悪い人ではないといえば、それも難しいところだ。単に鈍感なだけともいえる。

野田佳彦元首相、安倍晋三元首相の国葬に参列へ - 日本経済新聞
立憲民主党の野田佳彦元首相は16日収録のBSテレ東「NIKKEI 日曜サロン」で、安倍晋三元首相の国葬に参列すると表明した。「元首相が元首相の葬儀に出ないのは私の人生観から外れる。長い間お疲れさまでした、と花をたむけてお別れしたい」と語った。立民は党運営を担う執行役員の9人は欠席し、他の議員は自主判断にすると決めた。野...

たとえば、彼が千葉県議会議員選挙に出たときに、松下政経塾では総力戦で支えたが、とくに高市早苗は半年ほど船橋市に住んで地域の責任者までやった。

ところが、野田佳彦は奈良県で高市早苗の反対陣営の応援に入った。もちろん、党の代表とか立場上、止むをえない場合もある。しかし、そうでなければ遠慮するものだ。当然、高市は本人に抗議したようだが、この話を聞いて政経塾出身の民主党(当時)委員も「そりゃないだろう」といって呆れた。

安倍氏との関係で云えば、野田氏は皇位継承問題で安倍氏を悩まし続けた。

2012年に野田佳彦内閣では、皇族の減少により公務に支障が出るのを避けるためと称して、眞子さま、佳子さま、愛子さまが結婚後、女性宮家を創設することを具体化しようとした。

ただ、夫や子を皇族とするか、皇位継承権を与えるかは曖昧にされたが、野田首相としてはいずれも肯定したい意向であることが垣間見えた。

さらに不自然だったのは、平成の陛下の四人の孫とその子孫に皇位継承権を限定する前提が取られたことで、三笠宮、高円宮系の女性皇族の子孫も、明治天皇や昭和天皇の女系子孫も排除しようとしたので、将来においてこの四人の子孫が断絶したらどうするのかという展望を欠いていた。女系を認めるならもっと広い範囲も対象にしないと意味がない。

その後、平成の陛下の退位についての法制を検討する過程で、「安定的な皇位継承を確保するための諸課題、女性宮家の創設等」を検討するよう政府に求める国会決議がされたが、これは皇位継承と女性宮家を並列したことで二つの問題を切り離し、「等」を加えることによって旧宮家の活用も検討対象にできるように工夫したものだった。

そして、眞子さまと小室圭との結婚をめぐる議論の中で、結婚相手を女性宮家の一員として皇族としたり、子孫を皇位継承候補とすることが不適切である相手との結婚が、杞憂でなく起きることが現実化したのが逆風となって女性宮家の議論は尻すぼみになった。

そこで、2020年に秋篠宮殿下が皇嗣殿下となられたのち、菅義偉内閣では、 「皇位継承有識者会議」(「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」に関する有識者会議。清家篤座長)を設置し、2021年に報告書がまとまった。

これで、悠仁さまへの継承への道筋がつくまでは、悠仁さまの後が続かない場合にどうするかという議論を先送りすること、しかし、女性皇族本人だけは結婚後も皇族として残ることが可能にすること、また、宮家の養子という形で旧宮家の人を皇族にできるようにするなど、将来の選択がひろがるように仕込んだのである。

ところが、野田氏は、彼の構想通りに進んだ場合には、小室圭氏が殿下になるはずだった案を推進していた責任には目をつぶって、女性宮家論に拘泥している。しかも、自分が上皇陛下に気に入られていたとか、上皇陛下の意向を自分は呈しているとかいうことをほのめかしていた。

皇位継承問題については、政府や国会が決める問題だ。もちろん、私は陛下や皇族や旧皇族のいわば関係者の意見を聞くのもあっていいと思っているのだが、それは、その時の総理が非公式に聞くもので、元総理の出番ではない。ある筋から電話があったとか怪しげな情報操作などすべきでない。

それに加え、野田佳彦氏の経歴および総理としてやったことや評価については、別に誉めるほどのこともない、常識に沿っただけの行動をしただけで、絶賛する保守派・安倍シンパが情けない。

野田佳彦内閣

菅直人の退陣表明を受けての民主党代表選挙で、第1回目の投票では小沢一郎の支持する海江田が一位だったが、野田が第二回投票を制した。いわゆる「ドジョウ演説」で「夢、志、人情」を取り戻すことを訴えたのが好評だった。

代表選挙で野田は、消費税引き上げやTPP参加を打ち出していた。親米路線も明確だったが、知識や経験のなさは顕著で、慰安婦問題や尖閣国有化問題についても、京都やウラジオストックでの李明博や胡錦涛とのやりとりから生じた誤解が事態を混迷させた。

閣僚人事でも田中直紀防衛相、真紀子文相に象徴的に現れているように、政治配慮だけで本人の適正や、周辺人事への配慮もしなかった。

野田佳彦は富山県出身の自衛官を父として千葉県船橋市で生まれ、早稲田大学政経学部から松下政経塾の第一期生となった。すぐに県会議員選挙への出馬準備を始めたので、職業経験はガスの検針員などに留まる。思想は保守的だが、金権政治への反発から日本新党から代議士に当選した。高齢のために辞任した藤井裕久財務相の後任に副大臣から横滑りし、そこから代表選に出馬した。

松下幸之助は、企業で実践したのと同じように、国家を合理的な経営がされる共同体として運営すべきという思いを持って松下政経塾を設立した。

塾出身の政治家は、志は高く、清貧に耐え、そこそこ政策理解力もあり、演説はうまい。だが、専門知識や国際経験が不足、現場感覚はあるが実務経験は無く、考え方がステレオタイプ、関心が外交など一定分野に偏り、政治技術の未熟さと軽視、演説に比べて討論が下手、迅速対応にこだわり発言が軽率といった傾向がある。

世襲でも官僚でも労組幹部でも富豪でもない青年に政治家になるチャンスを与えたのは間違いないが、松下幸之助が望んでいたはずの、これまでとはワンランク上の政治家を生んでいるとはいえない。

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