安倍晋三元総理の国葬儀が秒読み段階となり、国葬儀中止が叶わないとなると、野党議員とその支持者はついに各自治体へその追求の矛先を向けるようになった。
立憲民主党は国葬儀参加を決めた野田佳彦元総理に対して、原口一博元総務省は「人生観より、法と正義が優先する。個人を優先するなど私には出来ない」と野田氏の姿勢を批判した。
立憲民主党所属議員の中では、原口氏をはじめ蓮舫氏、辻元清美氏、菅直人氏、小沢一郎氏が相次いで欠席を表明している。蓮舫氏、辻元氏に至ってはわざわざTwitter上で招待状の画像を出してまで欠席を表明しており、人としての常識にいささか欠ける行為で、猛烈に批判されている。
立憲民主党の泉代表も国会を経ていない閣議決定で容認できないとしている。
一方で海江田万里衆院副議長や立憲民主党ネクストキャビネットの外務・安全保障相である玄葉光一郎氏は出席を表明しており、立憲民主党が一枚岩ではないことを露呈させた。
立憲・野田氏、国葬へ出席意向で党内に波紋 「党がバラバラだと…」
また、日本共産党所属の福手ゆう子文京区選出都議は、テレビの画面のスクショと、文京区が弔意を示すか示さないかについてツイートしている。東京都内の他の区の動きも含めてのツイートは、明らかに各区がどのような動きをするかを晒すことで、都民に対して弔意表明という踏み絵を踏ませている。
これには悪意しか感じられない。
つまり、明らかに国葬反対の意図をもって都民に踏み絵を踏ませているのだ。まるでキリシタン弾圧と同じことをやっている。これは暗に、有権者に踏み絵を踏ませているのと同じことだ。言い換えれば、各区にいる共産党支持者や左派系の諸団体に対してのアジテートであり、来る9月27日に予定されていると言われる反対行動への参加を促しているのだろう。
その日本共産党の志位委員長も、27日の国会正門前行動に参加するらしい。
当然だが、共産党系の諸団体のみならず、左派系の団体が数多く参加するだろうし、立憲民主党支持者の多くが参加するものと思われる。
仮にこの時、国葬儀自体を妨害するような行為があれば、刑法第百八十八条違反となりその場で逮捕される。まさかそんな馬鹿な真似を扇動してはいないだろうが、暴力革命も辞さない程の政党なので、その支持者には過激な思想の輩がいても不思議ではない。
ここでとても不思議に思っていることがある。
現在、安倍元総理の国葬儀に反対している連中は、今回の国葬儀が何のために行われるかについて大きな誤解をしているんじゃないだろうか?
今回の国葬儀は国が定める国葬ではない。日本国が定める国葬は唯一天皇陛下の『大喪の礼』のみであり安倍元総理の国葬儀は民主主義国家である日本の、民主主義の根幹である選挙中に起きた凶行であり、文字通り民主主義自体への犯行だ。これを容認するようなことがあっては、日本から民主主義が消えてしまう。
つまり、相手次第で必要なら暴力革命も辞さない日本共産党のような革命思想を持った政党が支持者を扇動して暴力革命を起こすことすら容認する国になってしまう。この民主主義への凶行を断じて容認しないという政府の姿勢の表れが今回の国葬儀だ。
また、外交を通じて幅広く諸外国への貢献を行い、これまで日本の憲政史上例を見ないほどの功績を積み上げた安倍元総理逝去の報を受けて各国から寄せられた弔意に対して、政府として応えるものだ。その功績は、ここで列挙するにはあまりにも大き過ぎる。
つまり、それら各国から見た時、これだけの功績ある人物に対して、日本国政府は何もしないのか?という疑念を持たれることになり、また別言すれば、国内のごく僅かの反対の声に屈する弱い政府なのか?という印象を持たれてしまう。要は外交上も問題が積み上がることになるのだ。
そんなこんなを考えた時、仮に立憲民主党が日本共産党と共闘して政権を獲った時、諸外国から安倍元総理の国葬儀に反対した政党ですよね?と直言されたら、泉代表は何と言って返答するのだろう?
外交は国と国との約束事で成り立っている。言い換えれば政府が変わったら言うことが変わるような政府は信用されなくなる。国際的な信用が失墜した国の国民は悲しい。特に外国で活躍する日本国民は、そのような政府の祖国なんですねとレッテルを貼られる。泉代表や志位委員長は最初から政権を獲る気が無いから、平気で国葬儀反対を打ち出すのだろう。
そして、私が今の野党に対して不思議に思うのが、野党はどうして国葬儀を国葬と言いたがるのだろうか?
中には国葬儀を行うことは、安倍晋三の神格化に繋がると言う野党支持者もいるようだ。
断っておくが、日本国民の95%くらいの人は、国葬儀を行ったからと言って安倍晋三が神になるなど、誰も思っていないだろう。言い換えれば、野党とその支持者が繰り返し国葬反対を叫ぶのは、彼らが国葬儀を行うことは、安倍晋三が神になると信じているからではないか? 私には、そう思えてならないのだ。
既に今回の国葬儀は法的根拠も明確であり、閣議決定に何の問題も無いことは明白であり、またその意義についても政府は繰り返し説明していて、その内容に一切の矛盾は無い。
蓮舫氏の如きは内閣設置法に文句を言ってるようだが、そもそも、内閣府設置法が制定されたのは、吉田茂元総理と佐藤栄作元総理の葬儀に関して、時の野党が猛烈な批判をしたことに端を発する。
内閣が閣議決定を行う上において、法的な枠組みが明確になっていないと、野党が文句を言ったから内閣府の所掌事務が明文化された結果、内閣の所掌事務の一つとして今回の国葬儀が閣議決定されたのだ。
それはつまり、野党が内閣府設置法を作ったのであり、その所掌事務を閣議決定させたのは野党なのだ。
言い換えれば、内閣府設置法を決めさせた自民党以外の政党が、自分達が決めさせたことに対して文句を言うという実に変な話になっているである。
蓮舫氏は、この矛盾が理解できているのだろうか?
繰り返すが、これら一連の野党議員とその支持者の動きは、明らかに安倍晋三が国葬儀にされてしまったら、安倍晋三が神になると本気で信じているんじゃないだろうか?自民党以外の左派政党はすべからく唯物思想の塊のような人たちだと思っていたのだが、どうもそうでもなさそうだ。
野党議員さんとその支持者さんに改めて言いたいが、安倍晋三元総理の国葬儀が行われたとしても、安倍晋三は神にも仏にもなりません。
断言します。
■
倉沢 良弦
大学卒業後、20年間のNPO法人勤務を経て独立。個人事業主と会社経営を並行しながら、工業製品の営業、商品開発、企業間マッチング事業を行なってきた。昨年、自身が手がける事業を現在の会社に統合。個人サイトのコラムやブログは企業経営とは別のペンネームで活動中。
編集部より:この記事は投稿募集のテーマで寄せられた記事です。アゴラでは、さまざまな立場の皆さまからのご意見を募集します。原稿は、アゴラ編集部(agorajapan@gmail.com)にお送りください。