弔意を持つ人を差別する自治体の対応 --- 田中 奏歌

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安倍元総理の国葬に対する自治体の対応が分かれているのはご承知のとおりである。なんと、私企業の話ではなく、自治体の話である。

国葬ぎりぎりの投稿なので遅きに失したかもしれないが、私見を述べさせていただきたい。

国葬に対する意見は様々であろう。弔意を示したい人、示したくない人さまざまいるだろう。

報道から見ると、国葬に反対の長のいる自治体は、半旗を掲げることすらしないところもあるようである。そういうところは献花台はおろか記帳スペースも設けないのではないだろうか。

政府は、弔意を強制しないと言っている、私個人としては違和感があるが、それはそれでいいだろう。

が、しかし、である。賛否はあるものの少なくとも国葬であり、自治体は簡単でもいいので弔慰できる場を設けるべきである。自治体は国の中の組織である(細かい法律論を言うつもりはなく、常識的な話をしている)から、弔意を示したい住民に献花台や記帳場所など弔意を示す場を設定することは、自治体としての責務だろう。

仮に安倍元総理の国葬に反対している自治体の長や議会は、法律で国葬の内容が定められているなど彼らが合法な国葬であると認めるものが行われた場合、自治体の責務として何らかの対応は行うのではなかろうか。もし合法な国葬であれば対応するという自治体であれば、今回の国葬については、裁判などで違法性が認定されない限りは、合法な国葬であるとして対応せざるをえないはずである。違法・合法の判断権限は首長や議会にはない。

つまり、賛否はあれど、国葬に決まった以上は(違法との判断がおりるまでは)法治国家なのだから自治体はそれに見合う対応をしないといけないだろう。

政府の通達があろうとなかろうと、国葬の日に弔意を示す場や機会を設けない自治体は、そういう機会を作らないことで、自治体の責務を放棄しているうえに、住民に弔意を示すことを許さないことになっているのではなかろうか。つまり、弔意を示したい人の意に反して弔意を示すことをしないように強制しているように見えるのである。

自治体の長や議会の多数派が国葬に反対であっても、それを住民に押し付けることは「思想の強制」以外の何物でもない。「私(私たち)は国葬に反対であるが、どうしても弔意を示したい人もいるので場を設けます」と宣言して場を設ければいいのである。要は、反対の意思を明確にしつつも、「国の自治体なので、仕事としてやむなくやる」ことを明言してやればいいのである。

弔意を示したくない住民はいかなければいいが、弔意を示したい住民から弔意を示す機会を取り上げる(=設置しない)のは、逆に弔慰を示めさないことを強制していることになり、これこそ人権無視である(法律用語として「人権」を使っているわけではないが、逆の立場の方の説明でも「人権」と言われるのでそれに合わせて使用している)。

弔意を示さないことを住民に強要することで、国民の分断を図っているのでなければ、自治体は最低限の国葬対応の場を設けるべきである。

住民に弔意を示したい人がいる限り、自治体はその自治体の中のできるだけ多くの場所で弔意を示す機会を作るべきであり、テーブルひとつ、花一輪でも置いて記帳できるようにするだけでもいい。それがどれだけ弔意を示したくない人の人権の妨げになるのだろうか、税金の無駄遣いになるのであろうか。

自治体の職員についていえば、そういう作業をしたくない自治体職員もいると思うので、(本来は業務命令であるべきであるが)ここまでくると職員の一部がその業務を拒否することも仕方ないかもしれない。それでも、自治体は可能な限り住民の弔意を示す機会を奪うべきではない。

職場内で黙とうをしなかったり弔意を示さなかったりすると差別されるというが、強制しないのだから、弔意を示すにせよ示さないにせよ、それで差別することは少なくとも自治体では許されることではない。それでも自治体内で差別があるというなら、それは国葬の問題ではなく自治体の労働環境の問題である。

百歩譲ってそれでも弔意を示したくない職員が差別される可能性があるというなら、逆に、弔意を示したい職員も、それを行うことにより同程度に差別される可能性があると考えるべきであるが、そうは言われない。少なくともマスコミの世論調査の結果が正しいなら、少数派の弔意を示したい職員を差別している可能性のほうが非常に高いのだが・・・。

さらにいえば、こういった差別云々は可能性の問題であるのに対し、弔意を示す機会を奪うことで弔意を示したい人にさせないのは、それこそ可能性ではなく確定的に事実として弔慰したい人の権利を侵害していることになる。しかも、これは職員だけでなく、住民についても同じである。

現実には、ほとんどの職場で、弔意を示したい人が仕事を抜けて弔意を示すことで業務に大きな差しさわりがあるとは思えない。仮に仕事に差しさわりがある職場なら、「休憩時間に場を提供するので弔意示す行動をしてください」でもいいと思う。また、場所の設定が無理でも、一斉放送などで黙とうの時間を案内するくらいはしてもいいと思う。黙とうの時間がどれだけ仕事の妨げになるのだろうか。

住民と応対の必要のある部門などで対応中の応答をする部門は、業務開始前に一斉に黙とうしてもいいだろう。やりたくない人は無視すればいいだけである。

国民を平等に扱うのであれば、弔意を示したくない人の人権を大事にするだけでなく、弔意を示したい人からその機会を取り上げるという、自治体による人権侵害をやめるべきである。

自治体の話として書いたが、企業や学校でも、同様である。

弔意を示したい人が示す機会を取り上げないでほしいものである。会社や学校のどこかに場所をつくればいいし、無理なら黙とうの案内くらいしてもらえるといい。そういう会社や学校が多くあることを望みたい。

田中 奏歌
某企業にて、数年間の海外駐在や医薬関係業界団体副事務局長としての出向を含め、経理・総務関係を中心に勤務。出身企業退職後は関係会社のガバナンスアドバイザーを経て現在は隠居生活。


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