顧問・麗澤大学特別教授 古森 義久
今夕はお招きくださり、ありがとうございます。
さて私の日本人の記者としての国際報道のキャリアはまずベトナムで始まりました。その後はアメリカ、イギリス、西欧諸国、さらにはアフリカのアンゴラ、東欧諸国、そして中国、さらにまたアメリカという経路となりました。こうした諸国からの日本への報道活動で私が常に考えていたことの一つは、日本が自国の安全保障にどう取り組んでいるか、でした。各国でのそれぞれの安全保障を考察した結果でした。
日米防衛の研究は泥沼の世界?
その日本の安全保障について日米安全保障関係という枠内で以下、報告をさせていただきます。アジア太平洋の情勢その他は私の報告後の質疑応答、あるいは自由討論の時間に語らせていただきます。
さて、もしあなたが米日安全保障関係を学問的に、あるいは職業的に、追求することを決めたのならば、私はあえて申し上げたい。泥沼にようこそ、と。よくいわれるワシントンの政治の泥沼ではなく、日米関係全体ののなかの泥沼のような世界へ、ようこそ、という意味です。ではなぜ、泥沼というような乱雑な表現をあえて使うのか。
なぜならば、安全保障や防衛というのは日米両国関係全体のなかでも、最も目立ち、かつ最も重要な要素だといえますが、このまっすぐ、堂々としてみえる関係は実は水面下では矛盾や、ときには虚構につきまとわれているからです。
制限だらけの日本の防衛
まず第一にアメリカと日本とそれぞれの国家防衛に対する基本姿勢は構造的にも、概念的にもまったく異なっています。日米両国は一般に複数の国家間の軍事同盟の形成には必要な前提条件とされる共通性を有していません。
わかりやすい実例としては、日本は軍隊を保有せず、自衛隊があるだけです。日本はアメリカを含め世界の他の諸国すべてが固有の、そして自明の権利としている集団的自衛権を行使することができません。
そのうえに、日本は安全保障の曖昧な原則として「専守防衛」という基本方針を掲げていますが、こんな方針は世界の他のどの国にもありません。
同盟の基礎となる日米安全保障条約をみても、きわめて異端です。この条約の第5条は日本の施政権下にある領域に対する武力攻撃があったときのみ、日米共同で共通の防衛のために行動を起こすと規定しています。
ということは、アメリカ軍部隊が日本の領海のほんの1キロ外で、たとえ日本の防衛のために行動している際に武力攻撃を受けても、日本側はそのアメリカ軍部隊を守る責務はなにもないのです。
相互性を欠く唯一の同盟
アメリカにとっては日米同盟は他の諸国との同盟にくらべて唯一、相互性を顕著に欠く軍事同盟なのです。この日米同盟とは対照的にアメリカの韓国との安全保障条約は韓国がアメリカの部隊が西太平洋のどの地域でも攻撃を受けた場合にはそのアメリカ軍を助けて共同防衛行動に出ることを規定しています。
この点を指摘すると、みなさんのなかには日本が2015年に制定した平和安全法制を想起する方がいるかもしれません。この平和安保法制は日本としては初めて自衛隊に日本の領土領海の外でも武力行使を許すことを規定していました。
しかしながらその前提条件として「日本の存立が脅かされる場合に同盟国を守ることができる」とされていました。この前提条件を満たすための手続きは実際の有事に日本がタイムリーにその領土領海の外で集団的自衛権を行使させることを事実上、不可能に近くしているのです。
相違を乗り越えたのか
しかしながら日米両国はこのような相違や断層にもかかわらず、長い期間、努力を重ねて、堅固な同盟と効果的な抑止力を構築したといえます。だがそれでも問題がなお残っているのです。そして日米同盟の真の強さが本当に試されたことはまだありません。
なお残る諸問題の氷山の一角を示すために、私自身の体験を報告させてください。
私がもう何十年も前に日米防衛関係の研究に初めて本格的に取り組んだとき、日米両国間の核兵器に関する課題に関して大きな虚構があることを知り、落胆したのです。当時、私はカーネギー国際平和財団の上級研究員として日米防衛関係についての調査や研究をしていました。その過程で元日本駐在のアメリカ大使で、ハーバード大学の教授のポストから引退したばかりのエドウィン・ライシャワー氏にインタビューしたのです。
私の日米二国間の安全保障問題に関する一連の質問に対してライシャワー氏は、核兵器を搭載したアメリカ海軍艦艇が長年にわたり、日本の領海を航行し、日本の港に寄港していることを明らかにしました。その間、日本政府は日本側の非核3原則が存在するため、そのような事態は決して起きていないと、一貫して言明してきたにもかかわらず、ということでした。
この非核3原則は1976年の日本の国会決議に基づき、日本は核兵器を持たず、作らず、持ち込まない、という内容でした。この三番目の「持ち込まない」というのは日本の領土と領海のいずれにも核兵器を持ち込まない、持ち込ませない、という意味でした。その結果、日本の歴代政権は「核兵器搭載のアメリカ艦艇は日本の領海や港には一切、入ってこない」と宣言し続けたのです。
ライシャワー元大使の発言
ところがライシャワー氏は私との会見で実態はその日本政府の宣言とは違うのだと述べたのです。アメリカ側はこの「持ち込む(introduce)」という言葉を核兵器を日本の陸上の領土に持ち込むという意味だけに解釈していた、というのです。しかも日本政府はその解釈の違いを知っており、そのことをずっと秘密にしてきた、とライシャワー氏は語りました。
だから「アメリカの核兵器は日本の領海には決して入ってこない」と宣言することは、壮大なフィクションだった、ということになります。ちなみに私はこのライシャワー元大使の言葉を本人の了解を得て、当時の毎日新聞の同僚記者たちに伝えました。毎日新聞はこのライシャワー証言を大々的な新発言として大きく報道しました。そのニュースは国会でも熱っぽい論議を呼び、やがては当時の首相の辞任へとつながりました。
しかしそんな騒ぎよりももっと不運だったライシャワー発言の結果というのは、この核兵器をめぐる問題がいまもなお未解決、かつ曖昧なままだということです。
考えてみれば、この種の虚構は日米同盟を円滑に機能させるために必要とみなされた両国間の断層を埋めたり、隠したりするフィクションなのだといえるかもしれません。
異端の国
以上を総括すると、日本は自国の防衛への基本姿勢という点で異端の国、異質の国なのです。この点は私自身、アメリカを含めた他の多数の国の防衛政策についての知識を広め、深めていった結果、痛感するにいたりました。
だから簡単にいえば、異常なほどの程度と範囲の自己束縛こそが日本の国家安全保障に対する姿勢なのです。この点こそが私が冒頭で申しあげた「泥沼」という意味なのです。
安倍晋三氏の「普通の国」への努力
日本の防衛の制度的な制約はアメリカ側が作成した無抵抗平和主義的の日本国憲法の直接の結果だといえます。日本国民の戦後の反軍感情も大きな要因だったでしょう。
もし私たちの目標がより強固で、より平等な同盟を築くことであれば、日本側のこの種の制約や異端はすべての除去はまだできないとしても、削減されねばなりません。
そのために日本をより普通に、より正常にすることに全力を尽くした人物の1人が故・安倍晋三氏でした。この面での安倍氏の努力は彼の反対派により、しばしば意図的に、日本を戦前のような攻撃的な軍事強国に戻すことが目的の計画なのだなどと誤認されることもよくありました。しかし安倍氏の行動はまったく逆に、日本の国家安全保障のメカニズムにある大きな穴を単に埋めようとすることを意図していました。
防衛費増額と憲法改正へ
しかし現在の日本は私にとっては喜ばしい驚きですが、安倍氏が目指したような方向へと動き出したようにみえます。ごく最近、与党の自民党はこんごの防衛費をGDP(国内総生産)の2%以上の水準へと増やすことを誓約しました。防衛費はGDPの1%以内に抑えるというこれまでの政策がずっと神聖視されてきたような状態を考えれば、これは大変化です。この以前の政策は1976年の閣議決定で決められました。
自民党はさらに日本を攻撃する可能性のある外国のミサイル基地などに届くミサイル発射の能力を取得する政策を新たに提案しています。この「反撃能力」は長年の「専守防衛」の通常の解釈からは離れることとなります。そのうえに自民党内の一部の議員たちは北大西洋条約機構(NATO)の欧州の一部の加盟国が採用している「核シェアリング」の構想についても議論を始めました。
憲法改正の誓約を再確認
自民党はまた最近、日本の防衛努力を完全に合法的かつ正常にするために憲法を改正するという長年の誓約をまた改めて再確認しました。自民党以外の政党の間でも憲法改正の賛成派は拡大しています。現在、衆議院、参議院の両院で憲法改正に賛成する議員の数は憲法改正の発議に必要な全議員の3分の2を越えています。
こういう新たな防衛政策への国民の支持も大きな変化を示しています。
ここ1、2年の世論調査はあいついで日本国民の明確な多数派が防衛費の増額、より長距離のミサイルの配備、そして第9条をも含む現行憲法の改正に賛成していることを明示しました。
これは驚くべき変化です。とくに私のように長年にわたりこの課題を考察してきた人間にとっては一見、信じがたいほどの大きな変化なのです。
こうした現在の日本の国民世論がはたしてこのまま安定していくか否かは、まだこれからをみなければ、わかりません。しかし現在のより強固な防衛への支持は圧倒的なのです。
防衛強化の世論の原因は?
そこで自然に生まれる疑問は日本のいまのこうした変化を引き起こしたのはなにか、という問いです。まず明らかなのは中国の好戦的な行動と威圧的な言辞が第一の原因だということです。
中国の武装艦艇は尖閣諸島周辺の日本の領海や接続水域に毎日のように侵入してきます。そして北朝鮮は日本海に向けてミサイルをきわめて頻繁に発射しています。今年の前半だけでもすでに16回も北朝鮮のミサイルが発射されました。そしてその異様な国家の北朝鮮は核兵器の配備を自慢し、その核兵器を日本に対して使うという脅しをかけています。
ロシアのウクライナ侵略、そしてウクライナの勇敢な抵抗は多数の日本国民を印象づけ、とくに自国を防衛するための自衛努力の必要性への意識を高める結果となりました。ロシアの日本周辺での最近の戦争演習も日本国民の警戒や注意を集めました。
岸田政権はどう動く
さて最後に岸田政権はどう動くのか、という疑問です。岸田文雄氏は強固な防衛を主唱してきた政治家ではありません。実際に日本の政治の記録には岸田氏が防衛や安全保障の分野でなにか活動をしたことはほとんど見いだすことができません。岸田氏は実は経済最優先を唱えることで知られた自民党内の派閥で育ってきた政治家なのです。
ですから私は防衛問題に関して岸田首相には大きな期待は抱いておりません。しかし同時に岸田氏が大きな潮流にさからうということもないだろうと思う次第です。
私の報告は以上です。あとは自由な質疑応答や議論ということにしましょう。ご清聴をありがとうございました。
【本記事に関して】
ワシントンの米国笹川平和財団がこの9月19日、アメリカ側の日米防衛関係を専門とする若手の研究者や官僚の討論の集いを催しました。この場で当フォーラム顧問の古森義久氏が基調報告という形で日米防衛関係についての英語のスピーチをしましたので、その内容を日本語、英語の両方でご紹介致します。(日本戦略研究フォーラム事務局)英語版はこちら。
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古森 義久(Komori Yoshihisa)
1963年、慶應義塾大学卒業後、毎日新聞入社。1972年から南ベトナムのサイゴン特派員。1975年、サイゴン支局長。1976年、ワシントン特派員。1987年、毎日新聞を退社し、産経新聞に入社。ロンドン支局長、ワシントン支局長、中国総局長、ワシントン駐在編集特別委員兼論説委員などを歴任。現在、JFSS顧問。産経新聞ワシントン駐在客員特派員。麗澤大学特別教授。著書に『新型コロナウイルスが世界を滅ぼす』『米中激突と日本の針路』ほか多数。
編集部より:この記事は一般社団法人 日本戦略研究フォーラム 2022年8月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は 日本戦略研究フォーラム公式サイトをご覧ください。