巨大でモダンな色恋オペラ:新国立劇場『ジュリオ・チェーザレ』

新国立劇場『ジュリオ・チェーザレ』(ヘンデル作曲)の10月2日の初日を鑑賞。新国立劇場でバロック・オペラがかかることは珍しく、本作は2020年4月に中止となっていた悲願のプロダクションでもあった。

繰り返しが多い4時間半のヘンデルオペラが新国のあの空間でどのように鳴るのか、最近めっきり体力が落ちた自分は最後まで見られるのか少し不安。1幕だけで90分ある。二回の休憩をはさんで2幕と3幕が各60分。蓋をあけてみたら・・・面白い。面白すぎる。不思議な世界に巻き込まれ、あっという間に終わってしまった。

撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場

ロラン・ペリー演出はパリ・オペラ座が初演(2011)で、美術のシャンタル・トマによるたくさんの装置をともなう。エジプト博物館が舞台で、11幕が開いた瞬間、咄嗟にルーブル美術館を思い出した。あそこはローマ・エジプトの展示が予想外に多く、西欧美術の部屋に辿り着く前に結構な古代美術を鑑賞しなくてはならない。

撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場

タイトルロールのマリアンネ・ベアーテ・キーランドも、トロメーオ役の藤木大地さんも、ガラスの展示ケースの中に入ったり、巨大な遺跡オブジェ(?)に乗ったりして歌う。たくさんの裏方スタッフが、展示物を運んだり絨毯を塗ったりしている。

1幕の最初で、隅に陳列されていた石膏像・・・ソクラテスやアポロやアグリッパなどが一斉にパクパク口を開けて歌い出すという信じられない場面があって仰天した(下に仕掛けがあるらしい)。ロラン・ペリー、考えることがぶっ飛んでいる。

ジュリオ・チェーザレの難しいアジリタを聴いていると、受胎告知の天使の口から文字が出てくる絵を思い出す。マリアンネ・ベアーテ・キーランドは、初日は少し固めだったが、真摯にこの役を歌いこなし、英雄の悲劇的な表情も良かった。

初日に感じたのは、新国のある種の定番スタイルであった「主役は外国人歌手で、脇役が日本人」という振り分けが、ここで完全に逆転している印象だった。日本人歌手が、ダントツにいいのである。

撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場

クレオパトラ森谷真理さんはショートヘアのウィッグに過激なほどセクシーな衣裳を着こなし、全編余裕の歌唱で、肉食の女王そのものでほぼ主役に見えたし、トロメーオ藤木大地さんは水も漏らさぬバロック・オペラの発声に時折ヴェリズモ的な声を交えて、飛び出してくるような演技を披露した。

セスト金子美香さんは日本が誇るワーグナー歌手だが、復讐に燃える青年セストを凛々しく清々しい美声で演じ、加納悦子さんは夫を殺害され始終悲嘆に暮れているコルネーリアを妖艶に歌った。クーリオ駒田敏章さん、アキッラ ヴィタリ・ユシュマノフさん(感覚としては日本側キャストという感じ)もパーフェクトな準備で本番に臨んでいた。

クレオパトラの侍従ニレーノを演じた村松稔之さんは新国の舞台で縦横に飛び回る蝶・・・というか両性具有の妖精のようで、美声と愛らしい姿で観客と耳と目を釘付けにしていた。三枝成彰さんのオペラ『狂おしき真夏の一日』で美少年タッジオのようにひらめていた村松さんを、再びオペラで観られるのは喜び以外の何物でもなく、先輩カウンターテナー藤木大地さんと同じ舞台に立たれていることも感慨深かった。

ヘンデルがいたロンドンの初演では、主役とこの二人の役はカストラート(去勢歌手)が歌っていた。当時の観客のめくるめく興奮を再現してくれたのは、現代の日本の二人のカウンターテナー歌手で、二つの太陽を一度に見つめているような爆発的な高揚感に襲われた。

それにしてもクレオパトラが凄すぎる。森谷真理さんの圧倒的なオペラヒロインはこれまでにも数えきれないほど見てきたが(最近ではグルーバー演出・二期会『ルル』)このヘンデルは規格外れの迫力で、歌えば歌うほどエネルギーが増幅し、シーケンサーより正確なアジリタも一音たりとも外さない。何よりも、ヘンデルが描きたかった無敵のクレオパトラが、21世紀のステージに「存在して」いた。

3幕までクレオパトラが歌うアリアはみっしりと用意されているのだが、最後の長丁場のアリアでは、もはや何を見ているのか、何を聴いているのか、これは人間業なのか・・・幻を眼前にしているようだった。公演期間中、あの密度で演じられるのだろう。森谷さんという歌手が、生きる奇跡だと思わずにいられなかった。

ロラン・ペリーは9年前に大野さんがいたリヨンの歌劇場で短いインタビューをしたことがある。スタイリッシュで冷静で、いくつものアイデアを持っている人で、少しシニカルな雰囲気の演出家だった。『ホフマン物語』や『マノン』ならともかく、『ジュリオ・チェーザレ』をいきなり演出しろと言われて、ああいうものをすぐに考えつく人がいるだろうか。自分はロラン・ペリーのように目の前の巨大な困難と向き合ったことがない。

オペラ演出というのは、それ自体が難関鬼門で、知的でパーフェクトを望む聴衆から刺されるためにある。だからといって史実や上演史の考証のみを詰め込んだ優等生的な演出ほどくだらないものはない。ペリーはヘンデルのイマジネーションに直接アクセスし、規格外れの不真面目さと、放っておくとどこまでも巨大化していく作曲家の世界観を視界に入れていた。

撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場

現代の博物館が舞台なので、2幕ではバロック(ロココ?)風のドレスを着た美しいバンダがアンサンブルを奏でる。ルーブル美術館の一画に迷い込んだような気分にさせられ、「骨董品であるかも知れないバロックオペラを、骨董品に囲まれてわざと演じることで、逆に真実の部分を見せる」という、こじれまくった美学を味わわせられた。

 

浮き彫りになるのは、今も昔も変わらない、人間同士の色恋のドタバタである。膠色の歴史のかさぶたを剥いだら、現代人と同じ血が溢れてきた。ヘンデルは青天井な作曲家で、あらゆるグリッドを破壊して現代の「呼吸」とつながってくる。

この長丁場のオペラを最高のクオリティでやり切った歌手たちと舞台スタッフの誠意には感謝しかないが、初日から艶やかで奥行のあるサウンドを奏でた東京フィルにも大きな尊敬の念を感じる。

リナルド・アレッサンドリーニはピットに入るなり、指揮棒なしの両手でふんわりと虹を描き出すような仕草をし、その後もマエストロの背中から終始、いたずらでわくわくするような気配が漂っていた。ヘンデルは面白い。ヘンデルは狂気の沙汰。あと二回、公演が行われる。

新国立劇場 ヘンデル『ジュリオ・チェーザレ』

会場
新国立劇場 オペラパレス

公演日程
2022年10月8日(土)14:00
2022年10月10日(月・祝)14:00

公演時間
約4時間25分(第1幕90分 休憩25分 第2幕60分 休憩30分 第3幕60分)

スタッフ・キャスト
【指 揮】リナルド・アレッサンドリーニ
【演出・衣裳】ロラン・ペリー
【美 術】シャンタル・トマ
【照 明】ジョエル・アダム
【ドラマトゥルク】アガテ・メリナン
【演出補】ローリー・フェルドマン
【舞台監督】髙橋尚史

【ジュリオ・チェーザレ】マリアンネ・ベアーテ・キーランド
【クーリオ】駒田敏章
【コルネーリア】加納悦子
【セスト】金子美香
【クレオパトラ】森谷真理
【トロメーオ】藤木大地
【アキッラ】ヴィタリ・ユシュマノフ
【ニレーノ】村松稔之

【合唱指揮】冨平恭平
【合 唱】新国立劇場合唱団

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