「思いやりのあるAI医療」による日本の誇りと経済の立て直しを

中村 祐輔

2001年にノーベル経済学賞を受賞したスティグリッツ教授が、日本は製造業から「知的サービス産業」への切り替えが重要だと、NHKのインタビューで述べていた。私もそう思う。

「知的サービス産業」の代表例は、言うまでもないが医療だ。

東京オリンピックを誘致する際のキーワードが「おもてなし」だったが、今や、金権主義の象徴となってしまった感がある。今のような利権主義、金権主義がまん延し続ければ、日本の凋落は加速する。「おもてなし」の心は、観光産業の柱である。

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観光客に「また日本に来たい」という気持ちを抱かせるには日本の四季折々の風景の美しさや歴史的遺産に加え、相手を思いやる温かい心が不可欠だ。「知的サービス」としての医療には、「医学の科学性」という知性と、患者や家族に対する「思いやり」を持ったサービス(この言葉を好まない人は多いが)が必要だ。

大学病院や高度医療センターに行って、医師の顔色を伺いながら治療を受けるようでは、医療を「日本の誇りにする」ことなどできるはずもない。日本のどこにいても、いつでも、誰でもが質の高い医療を受けることができ、そして、医療関係者の温かい心に触れてこそ、医療なのだ。

内閣府の評価委員会で、「大学病院でAI医療ができれば十分だ」という声を聞いた時は愕然とした。地域格差をなくし、国民全員が高度で先進的な医療を受ける環境を作る高い目標が重要だ。デジタル化医療・AI医療のゴールはそこにある。

いつまでも「東京に住んでいれば助かったのに!」と言っているようでは、政治の意味はない。常に便宜を図ってもらっている政治家には実感できないかもしれないが、心ない医療がまん延しつつある。

最近「ビッグデータ」の利活用が叫ばれているが、データ量が大きければいいというものではない。大きくても味噌と糞を混ぜたデータは使い物にならないのだ。質の高いデータを集めることが、日本が生き延びる肝となるのだが、そこが理解できていない。

東京大学医科学研究所のバイオバンクジャパンのデータと火事場泥棒のようにできた低品質のバイオバンクデータを一緒にできるはずもないのだが、こんな火を見るより明らかな事実を理解できない人たちがビッグデータを叫ぶなど、海外から見れば漫画の世界だ。

Nature Medicine誌9月号にEric Topol教授が「Multimodal biomedical AI」というタイトルの総説を書いている。Multimodal biomedical AI | Nature Medicineその中にAI開発につながるバイオバンクの例としてバイオバンクジャパンが記されている。日本からは“唯一“の例で、開始年は世界で最も早い2003年だ。

このバイオバンクジャパンの試料・データを用いてNatureやNature Genetics誌に60を超える世界をリードする論文が報告されている。最近の日経新聞に日本には世界に伍するバイオバンクがないと書かれていたが、日本のメディアのリテラシーの無さは救いようがないと悲しくなる。もっとしっかり調べて欲しいものだ。

と怒りに任せて話が横道に逸れたが、日本の医療の平均値は海外に比べはるかに高い。その臨床データやゲノム情報を集めれば、質の点で世界を凌駕する情報データベースを構築することができる。

そうすれば、私が1990年代に提唱したオーダーメイド医療(個別化医療・プレシジョン医療)・予防を日本全国で受けることのできる将来が見えてくる。健康寿命を延ばすためにも、ゲノム情報に基づく個別化リスクの判定が不可欠である。

私の懸念は、最近、医療から「思いやり」が失われつつあることだ。医療現場でのAIの重要性は、「思いやりのあるAI医療」={DEEP MEDICINE}という言葉で前述のTopol教授の著書で紹介され、私はその「思いやりのあるAI医療」という言葉に感銘して、日本語に訳した。

米国では経済格差が医療格差に直結している。日本で「思いやりのあるAI医療システム」を構築でき、それが「知的サービス」として広がれば、日本の誇りも経済も取り戻すことができる。日本の将来を憂う人たちには是非読んで欲しい。そして、医療の課題とAI・デジタルを活用しての克服案を理解して欲しい。


編集部より:この記事は、医学者、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のこれでいいのか日本の医療」2022年10月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。