ホワイト企業認証制度の導入とともに、労働側も声を上げるべき

こんにちは。

かなり重要なご質問をいただきましたので、今日はそれにお答えさせていただきます。

ご質問:私はこれまでの就職経験から「日本はもう少し労働時間を減らすなど、労働環境を改善したほうがうまく経済が回り幸福度も増すのではないか」と考え、「勤怠データや従業員幸福度調査などのデータに基づいてホワイト企業を認証する事業」をできたらと考えています。

このようなホワイト認証を普及できた場合どのような効果が見込めるか、また副作用もあるかなど伺いたいです。

お答え:労働環境の改善や賃金の上昇は確実に経済成長率を高めるとともに、日本国民全体の幸福度を上げると思います。ホワイト企業認証制度は試してみる価値があるでしょう。

副作用としては、ホワイト企業認証に使うデータの集計・分析を地方自治体がおこなうにしても、民間の研究所や世論調査企業などに委託するにしても、企業側がワイロで高い点を取ろうとするとか、調査企業がワイロを要求するとかが考えられます。

ですが、日本の場合、上は大統領から下は自治体職員までワイロ漬けになっているアメリカと違い、そうした弊害があまりにも横行して信頼を失うところまでは行かないでしょう。あまり心配する必要はないと思います。

ただ、こうした第三者による制度的な改善もさることながら、これはやはり働く側にいる人間が声を上げるべき問題だ、と私は思います。

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最低賃金が低すぎるのは事実だが

最大の理由は、公的機関の介入によって労働者の待遇を改善するという議論の中には、非常に危険な要素があると思っているからです。

その代表的な例が賃金大幅底上げ論、具体的には「最低賃金を一挙に1200円とか1500円とかにせよ」という主張だと思います。

そこには、一見勤労者の味方のようで、じつは製造業全盛期の遺物でしかない大企業と正規・定時労働者優遇論がひそんでいるからです。

その行き着く先は、サービス業でさえアメリカ型の画一的で味気ないサービスを高い価格で消費者に押しつける大企業ばかりが繁栄する、いびつなサービス主導経済でしょう。

「日本の最低賃金は低すぎるし、もっと高い伸び率で上げて行くべきだ」という点については、完全に同意します。

未だに加重全国平均で1000円台にさえ届いていないのは、いくらなんでも低すぎます。ただ、この最低賃金をいきなり大幅に上げろという議論には、賛成できません

最低賃金大幅引き上げ論者の主張は、大ざっぱに言えば以下のとおりだと思います。

「低賃金が指摘される日本経済でも、大手製造業の正規雇用での賃金はそれほど低くない。問題は、最低賃金さえ払えない中小零細企業が非正規労働者を極端な低賃金で雇って生き延びていることだ。最低賃金を大幅に引き上げれば、こうした中小零細企業が大量に潰れるし、非正規労働も減って、勤労者全体の所得が上がって経済成長率も高まる

かんたんに言えば、中小零細企業・非正規労働切り捨て論です。これは、大企業であることが実際に効率的であった製造業主導経済では部分的に正しかったところもありましたが、サービス業主導の現代経済ではまったく見当外れな議論だと思います。

日本の若者たちは仕事に何を望んでいるか

まず、現代日本の若い人たちが将来自分が就く仕事にどんなことを望んでいるかを見てみましょう。

「とても重要」と「まあ重要」を合わせたパーセンテージで並べると、「安定性」が88.8%でトップ、「高収入」が88.7%で2位に続いて、3位のやりたいことができる」が88.5%となっています。

この3つの選択肢は、ほとんど意味のある差がないほど重要視されている項目だと思います。

4位は「福利厚生の充実」で85.2%となっていて、これはちょっと重要度が下がると考えていいでしょう。ただ、この4項目と、5位位以下の項目とのあいだには、かなり重要度の違いがあると見るべきです。

最下位が「実力主義で偉くなれる」で51.6%しか重視する人がいないことにも、注目しておきたいと思います。

じつは悲惨なアメリカの職場

今度は、実際にアメリカで働いている労働者が、どんなことについて「自分たちの発言権が低すぎる」と考えているかのグラフをご覧ください。

こちらでも「福利厚生」「収入」「雇用の安定」はトップ4を形成していますが、3位に「昇進の機会」が入り、「仕事のやり方を選ぶ権利」がここに取り上げた17項目の中では最下位になっています。

「やりたいことができる」と「仕事のやり方を選べる」ではかなりニュアンスが違いますし、一方はこれから就職先を選ぶという段階、もう一方はすでに働いている段階での要求という差もあります。

ただ、「だから日本人は自分の地位を高める意欲に欠ける。それに比べて、アメリカ人は意欲的ですばらしいという考え方には、私は賛成できません

アメリカの職場は、ほんとうに指揮命令系統の確立された軍隊のような組織になっていて、「仕事のやり方の改善法」とか「問題や衝突を解決する方法」とか「仕事にかかる時間」とか「スケジュール調整」とか「仕事のやり方の選択肢」とかは、管理職の専決事項です。

これとは別のアンケート調査ですが、大手一流企業もふくめた経営者と労働者の意識調査で、アメリカの労働者の約7割が「昼食にたった30分の時間も取れない」という不満を抱いているとの結果が出ていました。

だからこそ、アメリカの労働者は「それぐらいヒラの勤労者でいるうちは不自由を堪え忍ばなければらないなら、偉くなってやろう」と切実に思う人が多くなるのだと思います。

やりたいことができるには時間の余裕も含まれる?

私は、非正規・不定時労働はなるべく少なくするべきものだとは思っていません。次のグラフにもあるように、現実として徐々に増えているのは働く側からもこうした労働形態への需要があるからだと思います。

過剰解釈かもしれませんが、日本の若者たちからの回答で3位に入った「やりたいことができる」仕事には、もし日常業務でやりたいことができなければ他のところでしたいから「定時で必ず出社すること」という縛りのない職場という意味もあるのではないでしょうか。

わたしは、それはとても自然な要求で「非正規は賃金が安くて勤労者全体の所得を押し下げるからで、きるかぎり少数に抑えろ」というよりは「非正規でも、賃金だけでなく福利厚生も時間当たりで正規労働者と同等の処遇をしろ」と要求すべきだと思います。

低すぎる賃金をどう上げていくか?

ただ、現状で日本の賃金水準が低すぎることは間違いない事実です。

上のグラフにもあるとおり、実効為替レートで見ればもちろんのこと、購買力平価で見ても日本の賃金は一般論として低すぎます。

一挙に平均賃金が上がるほど大幅な最低賃金引き上げを実施すべきでしょうか。

私は、いきなり最低賃金を急上昇させて非正規労働に頼らざるを得ない中小零細企業を大量に破綻させるより、じわじわ最低賃金を上げていくべきだと思います。

その賃上げによる人件費上昇分をカバーする自社の製品やサービスの値上げに耐えられる企業は生き残り、耐えられない企業は潰れていくという方向がいちばん妥当ではないでしょうか。

というのも、現在の消費者向けサービス業の世界では、とくに中小零細規模の経営であまりにもいいサービスをあまりにも低価格で提供している企業や個店経営の店が多すぎると思うからです。

たしかに大企業は、製造業でもサービス業でも賃金が高い傾向がありますが、反面残業をさせながら勤務時間は定時だけと記録させたり、どう考えても定時でできるはずのない仕事量を課して自宅に仕事を持ち帰らせたりといったブラックな大企業もかなり存在しています。

一挙に最低賃金を大幅に上げてなるべく大勢の勤労者を大企業の正規・定時雇用に集中させるのは、二重に非効率だと思います。

まず、消費者向けサービスには規模の経済どころか規模の不経済が働く分野も多いのに、すでに規模の不経済を生じさせている大企業に勤労者を集めてしまうという非効率があります。

次に、もっと賃金を上げ、自社の製品やサービスも値上げすれば収益が向上するはずなのに、取りあえず低賃金で働いてくれる労働者がいる限り、今のままでいいと考えている中小零細企業を、突然の人件費上昇で破綻させてしまうという非効率があります。

製造業の労働生産性が高い理由は?

次のグラフをご覧になれば、日本の非製造業は明らかに自社のサービスを安売りしているとおわかりいただけると思います。

日本の企業は新入社員を採用するときに仕事をする能力を測定して、優秀な人を製造業へ、あまり優秀でない人を非製造業へと振りわけているのでしょうか。そんなことはないでしょう。

製造業とサービス業でこれだけ労働生産性の格差が広がっている主な理由は、ふたつだと思います。

ひとつは、製造業ではとくに国際金融危機後にかなり大規模な人減らしをして、産業全体の付加価値がGDPに占めるシェアに比べて就業者数を絞りこんだことです。

次の2枚のグラフが、そのへんの事情を明らかにしています。

日本は先進諸国の中ではGDPに占める製造業のシェアが高いほうで、2018年でも20.7%と20%台を保っていました。

ですが、その製造業に従事する勤労者が就労者全体に占めるシェアは、かなり低くなっています

2018年の時点で製造業就業者の全就業者に占める比率は15.9%でした。少ない人数で大きな付加価値を生み出せば、労働生産性は上がります

製造業の場合、とくに国際金融危機が勃発した2007年には18.2%だった就業者シェアが、この危機を抜け出した2010年には16.9%まで下がっています

もうひとつの理由は、非製造業各社が自社のサービスを安売りしすぎていることだと思います。そして、安売りしているから従業員にも低賃金しか払えず、したがって慢性的な人手不足に悩まされているのでしょう。

次のグラフで、非製造業の中でもとくに狭義のサービス業と建設業(こちらは第二次産業、つまりモノづくり産業の一翼を担っていますが)が深刻な人手不足に悩んでいることがわかります。

それではどうすれば、サービス業のさまざまな企業が自社が提供するサービスを値上げする環境をつくれるでしょうか

非正規・不定時労働組合で賃上げ交渉を

私は企業別でも産業別でもなく、労働形態別の労働組合を結成して賃上げ交渉をすべきだと思います。

できれば全国的な組織として立ち上げたいところですが、取りあえずなるべく広い地域をカバーして非正規・不定時の労働に従事している人たちを組織化すべきでしょう。

賃上げ交渉と実際の賃金上昇とのあいだには、かなり高い相関性があります。

労働争議が年間少なくとも4000件、多いときには1万1000件以上起きていた時期には、消費者物価もかなり大幅に上がりましたが、賃金はそれ以上に上がっていたことをご確認ください。つまり、実質賃金が安定的に上昇していたのです。

労働争議が年間2000件台を割るようになってからは、消費者物価変動率がゼロ%近辺で推移してくれているからこそ、わずかながらも実質賃金が上がっていますが、物価上昇率が3%を超えると実質賃金は下がってしまっています

今後の日本経済はインフレ率が2%以上ということが多くなりそうです。おとなしくしていれば物価上昇のしわ寄せをいちばん強烈に感じさせられることになる非正規・不定時の労働者が勇気を持って立ち上がって、賃上げ交渉をすべきでしょう。

日本の賃金水準が底上げされて消費が活性化すれば、企業側も潤うことになるのですから。

増田悦佐先生の新刊が出ました。


編集部より:この記事は増田悦佐氏のブログ「読みたいから書き、書きたいから調べるーー増田悦佐の珍事・奇書探訪」2022年10月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は「読みたいから書き、書きたいから調べるーー増田悦佐の珍事・奇書探訪」をご覧ください。