外国人の政治活動の容認が統一教会を拡大させた

「統一教会はなぜ日本で勢力を拡大したのか?」という問いかけに対し「岸信介が文鮮明の対日活動を支援したからである」というのは誤りではないが不十分な回答である。

統一教会の日本進出・勢力拡大を考えるうえで重要なのは外国人の政治活動である。

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統一教会の開祖たる文鮮明は外国人である。もし日本で外国人の政治活動が禁止されていたならば岸信介は文鮮明との面会すら容易ではなく、対日活動の支援などできなかったはずである。

統一教会の日本進出・勢力拡大は実は単純な話である。外国人の政治活動の容認が文鮮明と岸信介その他自民党有力者との接触・支援を許し、日本における統一教会の勢力拡張を実現したのである。

このことから統一教会を消費者保護政策の範疇を超え「政治と宗教」「民主主義」の問題と捉え批判する者は外国人の政治活動の規制を主張すべきだろう。

「元信者」自称者に同情し統一教会に怒りを抱く者も是非、外国人の政治活動の規制を主張してほしい。

既に外国人の政治活動の規制として政治献金が禁止されている。政治活動の禁止事項を増やせば良い。難しいことではない。

筆者のこの主張に対し違和感を覚える方もいるだろう。

しかし、安倍元首相への銃撃テロ以降、突如出現したワイドショーによる統一教会報道では時計の針を半世紀以上前に戻して「統一教会とは何か」と論じ「政治と宗教」「民主主義」といった「高次元」から統一教会、そして自民党を批判している。統一教会報道はまさに徹底している。報道というより歴史番組のようだ。

これほど徹底的に「統一教会とは何か」と論ずるならば「そもそも統一教会の開祖たる文鮮明は外国人であり、彼が岸信介に対日活動の支援を依頼することは『外国人による政治活動』に他ならない」という視点を持つことは自然ではないか。話が大きくなれば着眼点も多くなるからだ。

現在、統一教会対策として宗教法人法に基づく解散命令の請求について議論されているが、当然、統一教会の「信教の自由」は尊重されなくてはならない。

信教の自由は歴史ある基本的人権である。歴史ある信教の自由を脅かす措置を国会でおっかなびっくり議論するよりも既に一部規制措置が取られている外国人の政治活動の規制範囲の拡大について議論するほうが簡単だろう。

議論は簡単なものからすべきであり、統一教会を「政治と宗教」「民主主義」の次元で問題視する政治家・記者・識者は宗教法人法に基づく解散命令の請求より「外国人の政治活動の規制」について議論すべきである。