顧客に甘える金融機関は淘汰される

金融庁は、金融機関に、顧客本位の徹底を求めているが、当初は、顧客本位ではなく、英米法の言葉を借りて、フィデューシャリー・デューティーの徹底と呼ばれていた。フィデューシャリー・デューティーというのは、信認されたものが負う義務のことで、信認は、耳慣れない日本語だが、高度な信頼というほどの意味である。

例えば、投資信託の販売、顧客からの信頼を前提にしている以上は、販売者である金融機関は、顧客に対して、決して信頼を裏切ってはならないという義務を負うはずで、事実、英米法のもとでは、信頼を高度化して信認に高め、義務を高度化してフィデューシャリー・デューティーという厳格な法規範を導いているのだから、金融庁は、日本でも、理念的には同じ原理が働くべきだと考えたのである。

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問題の要諦は、英米法の文化では、信頼から高度な責務を導き、日本では、信頼から低度な甘えを導く、この規範意識の格差である。金融庁は、この日本の現実について、法令等の強制力のある規制によって是正することは可能でも、それでは本質的な解決にならないと考えて、金融機関の自律的行動を促し、新たな規範意識を醸成していく戦略を採用したのである。

金融機関の自律的行動を促すためには利益誘因によるほかないわけで、故に、金融庁は、金融機関に対して、顧客からの信頼を守り、顧客基盤を強化して、中長期的な企業価値の向上を図るように促しているのである。

その施策の実効性を高めるために、金融庁は、顧客からの信頼について、それを守る金融機関は成長し、それに甘える金融機関は淘汰されるような社会の原理を確立しようとしている。この淘汰という厳しい用語は、実際に、かつて金融庁長官であって森信親氏が口にしていたものである。金融機関からすれば恐ろしいことだが、森氏は、顧客本位に徹することのできない金融機関は淘汰されるべきで、淘汰を促す環境の整備こそ金融庁の仕事であると公言していたわけだ。

顧客への甘えは、何も投資信託に限らず、金融の全ての領域にある。世のなかには、単なる付き合いとして、習慣的に断れないものとして、従来からの申し送りとしてなされている金融取引は極めて多いはずである。それらは、是正が厳格に要求される優越的な地位の濫用とまでは認定され得ないが故に、かえって野放しになるのである。

今の金融行政のもとで、顧客本位を狭くとらえようとする金融機関は、淘汰されるだろうし、淘汰されるべきである。今こそ、金融機関は、全業務分野において、顧客本位に示された理念に基づく改革を断行しなければならないのである。

もっとも、顧客への甘えは、金融だけでなく、日本全体の根源的問題かもしれない。そして、顧客に対する甘えだけではなく、従業員に対する甘えも深刻なのであろう。政府が推進する働き方改革の真の課題は、おそらくは、従業員に対する甘えの是正である。

改めて真剣に問われなくてはならないのは、なぜ、英米法の文化では、信頼から高度な責務を導き、なぜ、日本では、信頼から低度な甘えを導くのかという点である。その答えの先に日本の再生と成長戦略があるのである。

森本 紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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