テレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」で、コメンテーターの玉川徹氏が安倍元首相の「国葬儀」に関して行った発言が問題となった。テレビ朝日は「事実に基づかない」ものだったとして、同局社員の玉川氏を10日間の謹慎処分としたが、先ごろ玉川氏は番組で改めて謝罪し、同番組に復帰した。以下はその際の謝罪の全文である。
おはようございます。今回の私の事実誤認のコメントにより、ご迷惑をおかけした電通および菅前総理大臣に対し、改めておわび申し上げます。
このような事実に基づかない発言をテレビでしてしまったということです。それは私の慢心とおごりがあったからだと反省いたしました。申しわけございませんでした。謹慎の10日間、私は事実確認の大切さ、テレビで発言することの責任の重さを考え続けました。そして、事実確認こそが報道の根幹であり、その原点に立ち返るべきだと考えました。
これまで私はスタジオでさまざまなニュースに対しコメントを続けてきましたが、これからは現場に足を運び、取材をして、事実確認をして報告する、その基本にもう一度立ち返るべきだと考えました。そしてその結果はこの「羽鳥慎一モーニングショー」でお伝えする。そういうふうな考えに私は今回至りました。
この間、報道局幹部との話し合いを続け、このような私の考えを理解してもらいました。視聴者の皆様にもご理解いただけるとありがたく存じます。今後、このような形で仕事を続けてまいりますが、ご支援のほどよろしくお願い致します。
私は玉川氏の最初の発言について、自身のブログで取り上げ、「事実」云々以上の問題点として次のように指摘した。
……玉川氏は「僕は演出側の人間。ディレクターをやってきた。そういうふうに作りますよ」と語っていた。「そういうふうに作りますよ」の「そういうふうに」の意味など、ここでも発言の趣旨は不分明だが、要するに、視聴者の印象を操作するのがテレビのディレクターの仕事であり、自分はそういうことをやってきたということを語っているのだろう。当日の発言にかかわれば、「国葬儀」に対する批判を鎮静化する方向に菅氏の弔辞は「演出」されたということになる。
玉川氏が行った再度の謝罪には、私が指摘した部分に答える内容はまったくない。
再度の謝罪で、玉川氏は「事実確認こそが報道の根幹であり、その原点に立ち返るべきだと考えました。……これからは現場に足を運び、取材をして、事実確認をして報告する、その基本にもう一度立ち返るべきだと考えました」と語った。
玉川氏は現在59歳とのことだが、いまさら「事実確認こそが報道の根幹」と言われても、正直「エッ!」という感じである。でもまあ、この点については、今後はしっかり「原点」に立ち返ってほしいと思うのみである。
しかし、問題はその先である。玉川氏は引き続き「コメンテーター」という名前で番組に登場するという。となると、「事実」に対して、何らかのコメントをすることになる。コメントには、単なる「事実」の説明とは違う、何らかの評価なり判断なりが求められる。となると、どうしても、私が指摘した点について、ちゃんと“落とし前”(ヤクザ社会みたいな、変な言い方だが、私の気分としては、この言い方がぴったりくる)をつける必要があるはずだ。
今後も玉川氏が自認する「ディレクターをやってきた演出側の人間」としてふるまうのだろうか。それとも、こうした自己認識は誤っていたと考えるのか。この点について言及がない今回の謝罪には意味がない
さらに、「事実確認こそ報道の根幹」という点についても、実は単に「原点に立ち返る」と表明しただけでは済まないことを指摘しておきたい。
当たり前のことだが、「事実」は明白なものだけではない。必ずしも自明ではないものもあれば、「解釈」や「切り取り方」によって、異なる「事実」が表象されることもある。この点でも玉川氏は自認していた「ディレクターをやってきた演出側の人間」として今後の態度が問われるはずだ。
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奥 武則
法政大学名誉教授。近現代日本のジャーナリズム史を研究。著書に『ジョン・レディ・ブラック――近代日本ジーナリズムの先駆者』(岩波書店)、『増補 論壇の戦後史』(平凡社ライブラリー)など。