追悼演説は、理想的な熱誠
今年7月に安倍晋三・元総理が凶弾に倒れて早三月。10月25日、野田佳彦・元総理による追悼演説が衆議院本会議で行われました。
先の国葬儀では菅義偉・前総理による弔辞が話題を呼びましたが、議場で披露された追悼演説もまた、実に堂々たる名演説であったと思います。私のみならず、識者の目にもおおむね高い評価だったようです。
中でも朝日新聞・前田氏のコメントにもあるように、尻上がりに熱を帯び、最高潮に達したあとは静かな余韻が残る。熱量の高まり方は斎藤隆夫の「反軍演説」を彷彿させ、単なるテキスト原稿としての出来をはるかに超えた「熱誠」を感じさせるものでした。
憲政史に名を遺す追悼といえば、昭和期では池田勇人首相による「浅沼稲次郎追悼演説」、平成では尾辻秀久議員による「山本孝史哀悼演説」が挙げられます。今回の野田総理による追悼演説もまたそれらに列せられ、令和を代表する演説のひとつに挙げられることでしょう。
なぜ、野田総理の演説は響いたのか
私はネットのライブ中継で仕事の合間に耳を傾けていましたが、なぜ、野田さんの演説は良かったのかと想いを巡らせます。松下政経塾仕込みの演説術か。地元・千葉船橋での辻立ちの賜物か。はたまた、犬養毅や尾崎行雄らの「憲政二柱」、あるいは尾崎の代名詞「人生の本舞台は常に将来にあり」への言及か。いずれも違うでしょう。尾崎財団のスタッフとしても注目はしたものの、いずれでもない。
ならば何かといえば、「議会人の一分(いちぶん)」を議場内の与野党各議員に、そして院外の有権者に示してくれた。何よりもそれが一番の要因だと私は考えます。
2006年に映画化もされた藤沢周平の「武士の一分」という時代小説があります。題名にもある「一分」とは一身の面目や責任、体面となどという意味を持ちますが、これまで私たちは議場でさまざまな醜悪を見せつけられてきました。罵声の応酬や聞くに堪えないヤジ、フリップを使った学芸会ともおぼつかない質問、そして説明責任を果たそうとしない往生際の悪さ。
そういう意味では安倍元総理も、けっして行儀が良いとは言えなかった。木で鼻をくくったかのような野党への態度の数々には、私も何度もなく顔をしかめました。しかしながら野田総理の姿勢は支持する政党が与党であれ野党であれ、不偏不党の立場でも大いに共感しうるものでした。演説に臨む心境として綴ったブログの一節が、端的にそれを示しています。
松井孝治慶大教授は、「激しい論戦をしていても根底には相手への敬意がある。死は究極のノーサイド。死が論敵と自らを分かつときにはその旅立ちにエールを送る。それが議会制民主主義の根幹であり、追悼演説はそれを体現した美風であるはずです」と、述べています。全く同感です。
これこそは議会に求められる是々非々、そして美風に他なりません。このたびの追悼演説は政敵として真剣勝負を挑んだ野田総理だからこそ発することのできた、議会人としての正当さ、潔さを感じさせるものでした。
自衛官の父をもつ野田総理は、昔風にいえば防人、つまり武士の倅(せがれ)です。池田勇人首相が悼んだ浅沼稲次郎・社会党委員長は「演説百姓」と称されましたが、野田総理は「演説侍」として、見事な立会いを披露してくれた。私はそう感じています。
議員の方々は、そして私たちは追悼演説から何を学べるか
今回の追悼演説が行われたあとのネット評では、野田総理を立派だと称えるばかりではなく、「現在の党にいるのがもったいない」「野党にもまともな人がいた」そういう意見も仄聞(そくぶん)されました。
与党の不祥事追求への邁進は結構ですが、前のめりになるあまり、自党の支持者以外は見えていないのではないか。野党が本当に広く国民の支持を得んとする、あるいは支持されているならば、今回の追悼演説の高い評価は一体なにを意味するのか。そこを考えなければいけません。
姿勢を正さねばならないのは、政権をあずかる与党ならば一層求められます。選挙で選ばれたから自分は国民の信任を得ている、そんなのは昨日までの話です。今日信頼を損ねたら、明日からの絆など無いに等しいのです。
そしてもちろん有権者である我々も、「誰が正しいかでなく、何が正しいか」を評価する軸が必要なのは言うまでもありません。
野田総理が追悼演説でも名前を挙げた咢堂(がくどう)・尾崎行雄は、次のような歌を詠んでいます。
国よりも党を重んじ党よりも 身を重んじる人の群れかな
国のため懇談熟議すべき場所 動物園となりにけるかも
はたして現代の私たちは、尾崎の戯れ歌を笑うことができるだろうか。
議会人も、そして有権者も、それぞれの立場での「一分」を持たなくてはなりません。