功利主義は18世紀の英国の思想家、ジェレミー・ベンサムが提唱した思想だ。
「最大多数の最大幸福」という言葉で有名だ。
「最大多数の最大幸福」は、すべての人々が最大に幸福になるという意味ではない。
社会全体の幸福(効用)のトータルが最大になるということだ。
具体例を示そう。
社会全体の構成員が、A、B、Cの3人だけだとする。
3人は全員が喉がカラカラに渇いている。
そこに3杯の水がある。
どのように分配するのが社会全体の幸福(効用)が最大になるか?
限界効用逓減の法則からすれば、喉が渇いている時の一杯目の水の満足度が10だとすると、2杯目は7、3杯目は5というふうに下がっていく。
これは経験的にも納得できる。
もし、A一人が3杯の水を飲んだとすれば、Aの満足度はトータルで22となる。
BとCの満足度は0で、社会には3人しかいないので社会全体の満足度は22となる。
しかし、A、B、Cの3人がそれぞれ一杯ずつ水を飲むと、各人の満足度は10なので、社会全体の満足度は30になる。
Aが3杯すべて飲む場合の22に比べて、各人が1杯ずつ飲む30の方が大きい。
満足度を幸福(効用)と読み替えれば、3人が最初の1杯を飲んだ方が、社会全体の幸福(効用)は最大になる。
もちろん、喉がカラカラに乾いている各人は1杯だけでは到底満足できないので、最大の幸福は味わえない。
しかし、社会全体の幸福度(効用)を最大にするには、1杯ずつ飲むのが正しいということになる。
このように、功利主義は社会全体の満足度(効用)を最大にすることを目的とする。
では、トロッコ問題で、レバーを引いて犠牲になる人があなたの母親だとしよう。
5人の作業員は知らない人だ。
あなたなら、レバーを引くだろうか?
頑固で徹底した功利主義者であるゴドウィンは身びいきをしないので、仮に犠牲になるのが自分の母親だとしてもレバーを引くべきだと説く。
家事になった家の中に2人が取り残され、1人が頭脳明晰な科学者で、もう1人が母親だとしよう。
1人しか助けることができないとしよう。
ゴドウィンは、迷うことなく科学者を助けるべきだと説く。
頭脳明晰な科学者は新しい発明をして社会全体の幸福度を上げることができるが、母親にはそのようなことができないからだ。
かなり極端な考え方だ。
ゴドウィンの考え方をトロッコ問題に応用すると、一方が科学者1人、もう一方が作業員5人だとすればどうなるのだろう?
作業員が5人ではなく100人だとしたら・・・。
社会全体にどれだけ貢献できるかをどうやって測るか疑問だし「身びいきをしない」というゴドウィンの考えからは明確な回答をだすのは難しいと私は考える。
1人が幼い子どもで、5人が余命数時間の人たちだったらどうするか?
命の値段が同じだとすれば、5人を助けるのが功利主義に沿っている。
あくまで私の考えだが、人間を始めとする動物には「種の保存」本能がある。
人間の子孫をたくさん残すというのが本能であれば、子孫を残す可能性のある幼い子どもを助けるのも一つの考え方だ。
自動運転自動車がトロッコ問題のような究極の場面に直面したとき、子孫を残せる可能性の高い方を優先するというふうに設計するのもアリだ。
各人の個性ではなく単なる年齢だけで判断するので、モデル化が可能だ。
年齢をデータとしてインプットしておけばいい。
多々異論があるだろうが、他の案があれば是非ともご教示いただきたい。
編集部より:この記事は弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2022年10月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。