リバタリアニズムについて:ジョン・ロックからロバート・ノージックへ

リバタリアニズムの提唱者は、17~18世紀の英国の思想家ジョン・ロックだ。

人間は、自分自身を所有し(自己所有権)、自己の労働で得たものも所有すると説く(ロックの場合は、未開拓地の所有権に止まったが)。

自己所有権という発想は、ロックが生きていた時代に農奴たちが王侯貴族の所有物であったことを考えると、斬新なものだった。

20世紀の思想家ロバート・ノージックはリバタリアニズムを継承・発展させた。

ロバート・ノージック Wikipediaより BruceStanfield/iStock

人間は自己所有権を持ち、自己の労働で得た財産は不可侵だと説いた。

国家には、警察、国防、裁判という最低限度の機能を担わせ、高額所得者から高額な税金を取ることを収奪であり強制労働と説いた。

具体例は次の通りだ。

年間100試合戦って10億円の報酬を得るバスケットボールの選手がいるとする。

彼から5億円の税金を取ると50試合を国家のために戦うためになるので、国家による強制労働だと説く。

そもそも、国家による徴税権というものは16世紀の思想家ボダンの考えに起因するものであり、長い人類の歴史に鑑みれば決して普遍的な制度ではない。

このように、ノージックは国家による富の再分配を否定する。

国家による富の再分配が非効率だということもノージックの考えの背景にあったのかもしれない。

税金として納められたお金が貧困層にきちんと回らずに、必要性の薄い建築物などがたくさん作られていることを斟酌すれば、国家による富の再分配が上手く機能しているとは言えないと考えたのかもしれない。

では、富の再分配はどうするのか?

ノージックは、富裕層から貧困層への「自由意思による寄付」で行えばよいと説いた。

ノージックを始めとするリバタリアンは、自由意思による行為は尊重する。

日本人にはにわかに理解しがたい考えだが、寄付の文化が根付いている米国では完全な絵空事ではない。

かつての大富豪アンドリューカーネギーが亡くなり、莫大な財産を相続した相続人が激怒したという話は有名だ。

なぜ激怒したのか?

カーネギーは、相続人たちが受け取るお金よりも遙かに高額なお金を慈善事業に寄付したからだ。

ロックフェラーもビルゲイツも慈善事業に多大の貢献をしている。

宗教観によるものかもしれないが、米国にはこのような文化が根付いている。

ノージックとて、警察、国防、裁判という最低限の国家機能を維持するための徴税までは否定しない。

それすら否定する考え方を、アナルコキャピタリズムと呼ぶ。

教育は塾に、警察は警備会社に、防衛も民間会社に委せればいい。

すべて自由意思による契約で行うべきだというのがアナルコキャピタリズムで、一種の無政府主義思想だ。

さて、リバタリアニズムの立場に立つと「トロッコ問題」はどのように考えるべきだろう?

功利主義であれば、1人を犠牲にして5人を助けるのが原則として正しいことになる。

しかし、リバタリアニズムは「自己所有権」を最も尊重する。

自らの「自己所有権」を尊重するのであれば他人の「自己所有権」も尊重すべきであり、当人の意思に反して生命を奪うことは間違っていると考えるのがスジだ。

この考え方を貫けば、レバーを引いて線路を変えて1人の作業員を犠牲にするのは「自己所有権」の侵害になるはずだ。

リバタリアニズムの立場を貫徹すれば「何もしてはならない」という結論になると私は考えるが、いかがだろう?


編集部より:この記事は弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2022年10月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。