映像演出で楽しむ気鋭歌手たちの歌声:ARTS MIX主催公演『リゴレット』

2022年の夏にメゾ・ソプラノ歌手の藤井麻美とソプラノ歌手の宮地江奈が立ち上げた舞台プロジェクトARTS MIX(アーツミックス)の旗揚げ公演が11月23日に上野の飛行船シアター(旧石橋メモリアルホール)で行われる。

ヴェルディの『リゴレット』の舞台に立つのは、上記の二人の女性歌手のほか、タイトルロールにバリトン小林啓倫、テノール宮里直樹、バス松中哲平、バリトン倍田大生という若手の実力派メンバー。奥村啓吾演出では語り手の牧田哲也が加わり、オペラの登場人物の一人としてナレーションも務める。

当初は演奏会形式の上演が予定されていたが、演出家が加わりアイデアが膨らんでいく中で、270度の視界を埋め尽くすプロジェクションマッピングの導入も加わり(映像・荒井音楽企画)、歌手たちもオペラ用のコスチュームをつけての本格的上演となった。コロナ禍でオペラ歌手の活動が制限されることの多い現在、勇敢に立ち上げられたプロジェクトへの期待は高まる。多忙な歌手たちがそろった本番直前の稽古場を取材した。

国立の練習スタジオに集まった歌手たちは、オペラやリサイタルで大活躍をしている多忙な若手ばかり。稽古場ははじまりと同時に若々しい美声で埋め尽くされ、忽ちヴェルディが描いた16世紀が立体的に現れた。マントヴァ公爵役の宮里直樹は、既に二期会をはじめとする公演で主役を張る大物スターだが、意外にも『リゴレット』の全幕は初めてだと語る。

宮里 直樹

ドゥーカ(マントヴァ公爵)は有名なアリアが3つありますが、どれも気持ちの現れ方が全然違いますし、どのシーンも綺麗でかっこいい。全体の移り変わりが興味深いですし、愛に突然気づいたような場面もいいですよね。結局は軽薄な男の役なので、自分を一回全部捨てて取り組んでいます。『蝶々夫人』のピンカートンなど、尻軽な役が多いのはテノールの宿命です。

今回の『リゴレット』は当初、コンサート形式の予定でこんなに大変な舞台になるはずではなかったのですが(笑)、270度プロジェクションマッピングも入って、本格的なオペラ上演になります。最後の四重唱ではマッダレーナとの絡みがすごくて、ずっといちゃいちゃしていますので、その場面も見どころかと思います。

マントヴァ公爵 宮里 直樹

主役デビューが早かった宮里は現在35歳。宮廷の道化役リゴレットを演じる小林啓倫も37歳という若さ。70代のバリトンもこの役を得意としている歌手が多いだけに、とても若いリゴレットという印象だが、稽古場での小林には目覚ましい演劇性があり、声楽的なパワーも驚異的だった。

小林 啓倫

リゴレットは想像も出来ないほど悲惨な人。現代の人物とはかけ離れ過ぎているので、どうやって気持ちを作っていこうかと色々考えました。リゴレットはマントヴァ伯爵を憎んでいるようで、世界のすべてを憎んでいる。自分が世界を呪っていることが、結局全部自分に返ってきてしまっているんです。

役作りは、現代のマイノリティの人々の内面を参考にしています。声楽的にはヴェリズモの要素もあり、それだけでは歌いきれない繊細さもある。アリアの抜粋などは学生のときからいいなぁと挑戦してきましたが、やっと全部歌える機会が来ました。

リゴレット 小林 啓倫

リゴレットに殺人を依頼される殺し屋スパラフチーレはバス松中哲平。「ふだんは虫も殺せないタイプ」と語るが、稽古場では平然とした表情で迫力満点の悪人を演じる。

松中 哲平

演出の奥村さんには、登場した段階で100人くらい殺したような雰囲気で、と言われています(笑)。殺人系の映画などを観て準備しましたが、日常的に淡々と人を殺す役というのは難しい。

マッダレーナに泣きつかれてプロの掟を破る場面は葛藤もあって、人間的だなと思います。きっとスパラフチーレという人物も、殺し屋で生きるしかないという背景から、孤児だったんでしょうね。マッダレーナは妹という設定になっていますが、実のところそれも曖昧なのかも知れません。

スパラフチーレ 松中 哲平

マッダレーナとジョヴァンナの二役を歌う藤井麻美は、プロジェクトの発起人として稽古中もつねに全体を見まわし、歌い出す場面ではしっかりと役に入る。二期会の『蝶々夫人』ではスズキ役の名演が心に残るが、悪女マッダレーナも魅惑的に歌い上げる。

藤井 麻美

皆さんとてもお忙しい歌手の方ばかりなので、稽古のスケジュール調整もなか難しかったのですが、無事公演当日を迎えられそうで何よりです。

歌手は、大変といえば大変ですが、楽しいことのほうが多いですし、こうやって無我夢中にやっているうちに、いつの間にか本番も終わっているという感じです。自分が脇役で、なおかつ仲間が輝く場を作るのが嬉しい。楽しくなければ出来ません。

マッダレーナ/ジョヴァンナ 藤井 麻美

悲劇的なヒロイン、ジルダは、高音が命のコロラトゥーラ・ソプラノにとって難易度が高いドラマティックな役。稽古のときから献身的な歌唱を聴かせたソプラノの宮地江奈も、このプロジェクトの発起人のひとりだ。

宮地 江奈

留学中にコロナ禍が始まり、帰国してからもコロナの影響が続き、オペラ歌手にとってはとても辛い時期でした。今回『リゴレット』全幕を歌うに当たっては幸運もあり、日本に滞在中のアンドレア・ロスト先生から指導を受けることができたのです。ロスト先生のジルダに感動して、指導していただくために留学したので…先生のジルダは一瞬一瞬が奇跡のようで、まだまだ追いつけていないのですが。

今回はピアノ伴奏による上演で、指揮者がいないということで私たちにとっても大きな挑戦なのですが、ピアニストの篠宮先生が呼吸感を作ってくださるので、とても心強いです。

ジルダ 宮地 江奈

語りを担当する牧田哲也は、宮本亞門版『蝶々夫人』で、成長したピンカートンの息子を黙役として演じていた俳優。『リゴレット』では、リゴレットに恨みを持つチェプラーノ伯爵の役として、物語全体の語り部を担う。

マントヴァ公爵の廷臣であるマルッロを演じる倍田大生の調子も上々で、声楽も本格的な学んだ演出家の奥村啓吾は一語一句の大切さをかみ砕きながら、歌手たちに寄り添って演技をつけていく。本番前の稽古場は贅沢なほどの高揚感に満たされていた。

奥村 啓吾

今回は映像つきの演出ということで、時代背景を変えて上演しようかとも考えたのですが、演出として何か変えるというより、ヴェルディが作曲したオペラの美しさをそのまま表現したいと思いました。

この作品には「光と闇」というテーマがあり、リゴレットは道化として、ドゥーカ(マントヴァ公爵)が神に呪われないよう、身分の高い人の傍にいて目立つように振舞っています。いわばドゥーカの裏側の存在で、彼の厄をはらうために、反感を買うような言葉で人を笑わせたり嘲笑ったりする。今回はデフォルメといって身体が不自由な人の演技をリゴレット役の小林さんにもしていただきますが、肉体の病のせいでリゴレットは道化としてしか生きられないわけです。

映像では、時代背景を映し出すもののほか、心理的な描写を含ませたいと思っています。心理的な衝撃によって、宮廷そのものが崩壊したり、ジルダが初めて恋する心を映像を使って膨らませることもやってみたいですね。

ジルダという女性は、原作ではビアンカという名前で、白い、純粋という意味合いの名前で、ヴェルディでは設定が変わってジルダになっていますが、純粋ではあるけれどか弱い少女ではない。父親であるリゴレットに対しても、ドゥーカに対しても母性のような愛を捧げていて、それくらい大きい人物なのではないかと思っています。

演出家 奥村 啓吾

篠宮 久徳

ヴェルディ・オペラの中で一番好きなのが『リゴレット』です。どの役も演劇的に深く、音楽的にも充実していて、凄い作品だと思います。今回は指揮者がいないので『音で誘う』ということに気を付けていまして、皆さんの意識を見えない指揮棒で「振る」と言いますか、書かれていない音を出して誘うこともありますし、ヴェルディ先生には失礼かも知れませんが(笑)ピアノをフォルテで弾いたり、オーケストラ的な音を加えたりしています。歌手の皆さんはもう「さすがだな」と。一日一日どんどん良くなっていきますし、本当にオペラっていいなと思います。

本番の舞台ではグランドピアノを上手に置いて、歌手の皆さんを見て演奏します。客席を見ながらの対面の演奏にもなりますね。『リゴレット』というオペラですが、僕の中では『ジルダ』というオペラでもあります。彼女は本当に愛の人なんです。

ピアニスト 篠宮 久徳

ARTS MIX主催公演『リゴレット』

公演日
2022年11月23日
開場:13:00
開演:13:30

場所
飛行船シアター(上野駅徒歩8分)

チケット料金
一般席 7000円 / プレミアムシート 10000円 (席数限定・特典付き)

出演
マントヴァ公爵:宮里 直樹
リゴレット:小林 啓倫
ジルダ:宮地 江奈
スパラフチーレ:松中 哲平
マッダレーナ/ジョヴァンナ:藤井 麻美
モンテローネ/マルッロ:倍田 大生
語り:牧田 哲也
助演:白石 渉、松本 明音、吉田 静香
ピアノ:篠宮 久徳
演出:奥村 啓吾
映像:荒井音楽企画
照明:飛行船シアター
制作:市村 真美
ヘアメイク:趙 英