8月に訃報のあった医師、近藤誠氏。近年では、「がんもどき理論」や「がん放置療法」などで有名で、医療従事者からは「トンデモ医療」という批判もあった。
しかし、近藤誠氏が、日本の医療における近年の課題を、ある意味で象徴した存在であったということは、一部の医療関係者以外には、今では知る人はあまり多くはないかもしれない。
エビデンス・ベースト・メディスンとインフォームド・コンセント
現代の医療では、医療者は、統計学的な研究から導かれる「エビデンス」(科学的根拠)にもとづいて診断や治療を行うこと(エビデンス・ベースト・メディスン)、患者さんが医療従事者から十分な説明を受け、納得した上で治療に同意すること、つまり、「インフォームド・コンセント」が、ともに重要な柱となっているが、かつての日本では、そうではない時代があり、近藤誠氏は、初期にそういったことを主張、実践した医療者のひとりだった。
1980年代、乳がんの手術では、侵襲が少なく、乳房を全て切らなくてもよい「乳房温存療法」(術後に放射線治療も併用する)が主流になりつつあったが、国内では、乳房ばかりではなく胸筋もあわせて切除する「ハルステッド手術」という大がかりな手術が主に行われており、こういった慣行に対して、1988年、文藝春秋にて、「乳ガンは切らずに治る」という論考を発表し、乳がん患者に大きな影響を与えた。
また、乳房温存療法を受けた近藤氏の患者と中心として、患者団体「イデアフォー」が設立され(2018年に活動停止)、乳房温存療法の普及を後押しした。
同時に、初期の近藤氏は、当時日本ではタブーとされた「がん告知」にも取り組み、患者に情報を与え、意思決定を支援した。
「がんもどき理論」「がん放置療法」「標準治療の否定」
その後近藤氏は、日本の「手術偏重主義」を否定し、著書で独自の「がんもどき理論」や「がん放置療法」を説くようになった。その頃から、近藤氏の著書は、医学的に正しい言説と、「トンデモ」ともいわれる自説がモザイク状に混在するようになっていく。このため、ときには、医療従事者にとっても、真偽を見極めるのが難しい部分がある。ましてや、患者や一般の人が、それぞれの説の真偽を見極めるのは、非常に困難だ。
「がんもどき理論」「がん放置療法」とは、がんはもともと、転移をして命に関わる「本当のがん」と、そのまま放置しても大きくならずに命に関わらない「がんもどき」とに分けられるから、「本物のがん」であれば見つかったときにはすでに遅く、「がんもどき」は放置しても命にはかかわらないから、いずれにせよ、慌てて治療する必要はないとの説だ。
医学的な事実はこれほど単純ではないが、しかし、全くの間違いというわけではない。乳がんの非浸潤がんの一部や、甲状腺がんの一部の「おとなしいがん」に、こういった性質のものがあることも事実だ(しかし、そういったがんを、発見時に見分けることはできない)。健康診断の否定もそうだが、そこには、部分的な正論がいくつもあり、「必要のない治療を、必要のない時期に受けてしまう」過剰診断・過剰治療の問題に警鐘を鳴らしているとも言える。
また、著書内には標準治療の否定やワクチン忌避などの言説も見られるようになり、いくつものベストセラーが誕生した。
「よりそう医療」と「正しい医療」はどうバランスをとるべきなのか
近藤氏の著作がなぜ大きな共感をよんだのか。医療従事者や識者には、当時の「医療不信」をあげる人は多い。それはおそらく正しく、近藤氏は、医学的に正しいか正しくないかにかかわらず、徹底して患者の、不安や不満を含めた感情に寄り添っている(しかし、それは、社会的にも医療的にも、あまりよい結果を生まなかった)。
医療は、医学的に正しい診療が行われ、しかも、医療者が患者の様々な感情や選択によりそうのが理想だが、そういった医療は、日々、多くの医療従事者の努力により、少なからず実現されている。しかし、患者と医療者とのコミュニケーションがうまくいかず、突き放されたように思ってしまった場合、「不安に寄り添ってくれる、民間療法を含む、科学的根拠のない医療」に患者が向かうこともときに起こることだ。
「よりそう医療」と、「正しい医療」を、どのようにして両輪のように実現していけるのか。にそこには未だに多くの課題が残されている。筆者が運営メンバーをしている「メディカルジャーナリズム勉強会」では、こういった問題について考えるため、近藤氏の元患者であった方や、初期の文藝春秋における担当編集者をお招きし、医療の課題について話し合う会を開催する。