3・11のとき原子力安全委員長だった班目春樹氏が死去しました。これは2016年3月12日の池田信夫blogの記事。
福島第一原発事故の当時、原子力安全委員長として菅首相のアドバイザーをつとめた班目春樹氏が、なぜか個人ホームページに、当時の事故の様子をマンガで描いている。
シンポジウムで同席したことがあるが、よく悪くも正直な人で、「電源喪失のリスクはわかっていたが無視した」などと大胆な発言をして驚いた。このマンガも、当時の菅首相のパニックぶりを描き、「◇◇の一つ覚え」などと嘲笑している。
当時の最高責任者が、あの深刻な事故をマンガで描く神経はいかがなものかと思うが、政権の内幕についての貴重な情報ではあるので、ハイライトの部分を紹介しよう。
彼は首相に「水素爆発はしない」と当初は説明した。原子炉の中には酸素はないので、核燃料が溶けて水素が出ても爆発はしないと考えたのだが、ベントで外気に出ると空気があるので水素爆発が起こり、建屋が崩壊した。これが最初の誤算だった。
これが最大の争点だった海水注入の場面。再臨界とは無関係なので、彼は一般論として「(東海村のような)再臨界の可能性はゼロではない」と答えたが、菅首相は「海水を注入したら再臨界=核爆発する」と誤解し、海水注入をやめさせようとした。
問題になった東電の清水社長の「撤退」発言は、もともとなかったのだが、菅首相がどなり散らして、現場は混乱した。
小佐古内閣官房参与の「涙の記者会見」で1mSvが一人歩きし始めたが、なぜ泣いたのか、本人もわからない。彼はもともと「20mSvでも低すぎる」という立場だったのに、記者会見で急にヒューマニズムを演じたのだろうか。
線量基準やSPEEDIなどは文科省の管轄なのに、みんな逃げていなくなった。おかげでSPEEDIの「隠蔽」が騒がれ、班目氏がマスコミに追及された。
まるで本人は被害者のように描かれている。たしかに菅首相の興奮ぶりは異常で、役所の責任逃れもひどかったが、ふだんから緊急時の体制を考えておかなかったから、こういう大混乱になったのだろう。そういう体制づくりも安全委員会の仕事だ。いざとなったら素人の政治家には何もできないのだから、それを「天罰」などと笑っている場合じゃないだろう。