新しい社会論、分散型自立組織の行方:GAFAMのピークは過ぎた

なにやらタイトルからして難しそうな話です。私も正直、十分理解していない部分もあるのですが、コンセプトはそれなりにわかっていますのでそのあたりを展開してみたいと思います。

最近、時々目にするWEB3という言葉、何だろうと思っている方も多いと思います。簡単に言ってしまえば、WEB1はウィンドウズ95がでて、インターネット黎明期に人々が情報を読み取ることができるようになったこと。WEB2はインターネットを介し、人々が参加することができるようになったSNSの時代です。WEB1の時代もコメントを入れるなどの双方向のコミュニケーションはあったのですが、それは付属的な意味合いでWEB2になり、本格的な時代を迎えたとも言えます。

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もう一つ、WEB2はデータの時代だったともいえます。大企業がそれらSNSのアドミニストレーターとなり、データはそれらサービスの提供者に所属することになってしまいました。彼らはそのビックデータを解析し、AIにつなげていったことでビジネスとしては成功したかもしれませんが、人々は必ずしも満足しうる形ではなく、最大公約数的な状況になっていたわけです。

私がGAFAMの時代のピークは過ぎたと申し上げているのはここにあるのです。そして近年話題になっているのがWEB3です。コンセプト的には2014年頃にできたのですが、当初はあまり盛り上がりませんでした。しかし、この1-2年に急速に話題になったのです。WEB3が普及したのはいわゆる仮想通貨のベースであるブロックチェーンの存在が大きいのですが、本ブログの主テーマではないのでここでは述べません。

ただ、着目していただきたいのは先般破綻したFTXという仮想通貨取引所の事業であった分散型トークンの普及です。トークンというだけでいかがわしいものと思われるでしょうがほぼ全ての人が今までトークンは何らかの形で使っています。一言でいえば「引換券」なのです。ポイントカードも図書券もトークンだというのはそういう意味です。パチンコ屋のお金に換える景品もそうですね。ただ、狭義のトークンはそれをインターネット上のブロックチェーンに乗せることでデータを残し、管理し、監視するという機能が備わったのです。

これが社会で一気に広まったのは個々人が支配下に置かれたくないという願望の下、自分たちの世界を作り始めたからです。これを分散型自立組織(DAO=Decentralized Autonomous Organizaiton)といいます。日本語を見るとピンとこないのですが、英語はストレートな表現です。Decentralizedですから中央管理を否定することであり、自分たちだけの世界で自立(Autonomous )する社会(Organization)なのです。

私が今日、ここで述べたかったのはWEB3のコンセプトにある分散型自立組織は明らかに社会を変えるだけの力をもつ新たな潮流になり得る点です。

ノマド族、一瞬、古い言葉だなと思うでしょう。これからノマド族は再度ブームが来るかもしれません。それは先進国を含む多くの国がノマド族のためのビザを用意しているからです。この流れは単にGAFAMに対する反発だけではありません。COVIDという制約も人々がそこからの脱却を図るための一環だったと思います。グレタ嬢が環境問題を提起して、多くの若者がそれに賛同したのも国境を越えた分散型自立の一環とみています。

以前、このブログでバラバラになる社会ということを記したと思います。我々の社会は国境という枠組みで大枠管理され、地方政府が細かいことを設定します。国家の枠組みは概ね似たような法律が設定され、国外と識別するのが当たり前でした。これが変わるとしたらどうでしょうか?

BTSやテイラースイフトが好きな人は韓国やアメリカだけではなく世界中にファンがいます。その人たちが作り出す分散型自立組織という考え方は可能です。発想としては共通のインタレストを持つ人たちが集まり、何かを作り出すということにもつながります。これは時としてスポンサーを超える力を生み出すかもしれません。

日本の社会は「お上(=スポンサーや株主)」に対する遠慮意識が異様に強いと言えます。メディアなどはその端的な例です。が、仮にメディアや企業が株主からの束縛から解放され、DAOがその経営支配をしたらどうなるでしょうか?DAOとはその経営に興味があるすべての関連者、顧客も取引先も従業員など全てです。その時、株主の意向ではなく、より公共性の高い判断が下されるのではないか、というものです。

美談です。もちろん私はそう簡単なものではないと思っています。そもそも意見を言う人、講釈を垂れる人はどんな世界にもいるもの。そしてそういう人はしつこいしうるさいし、自己主張が顕著であります。100人のDAOがいてもごく一部の声の大きな人の影響力は消すことが出来ないだろうと思います。よってこのコンセプトは適用しやすいところとそうではないところがあり、万能型ではありません。クラウドファンディングで100人からお金を集めたとしてその中に強い意見を言う人がいたら経営者はウザいと思うでしょう。企業が時々MBOをして非上場にするのはDAOの真逆だともいえます。

そうはいっても私は徐々にこの社会は成長するとみています。「社会にリーダーは必要か?」という議論があります。これは参加者が果実を平等に共有できるならリーダーが必要以上にそれを奪い取らなくてもよいだろう、という考えです。今の北米の上場会社のトップの報酬は異様なほど高いです。不平等社会を生み出した原因の一つです。ではREITの組織はどうかといえば報酬は低廉に抑えられ、より平等な分配が形成されているからこそ高い配当が期待できます。その代わり成長率は低いです。そう、徐々に、なのです。

社会は急激な成長から成熟時代を迎えつつある中、「徐々に」というスピードを受け入れるならこれはアリでしょう。日本は既に30年も「徐々に」進んでいます。が、日本人から不幸せだという声は諸外国に比べはるかに少ないでしょう。一種の分散型自立組織が世界より一歩早く展開しているのかもしれません。

この概念は実に面白く、奥深く、日本人論にまで展開できるものだと思います。世界の潮流をこういう形で見るとまた違った絵図になるのではないでしょうか?

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年12月1日の記事より転載させていただきました。

会社経営者
ブルーツリーマネージメント社 社長 
カナダで不動産ビジネスをして25年、不動産や起業実務を踏まえた上で世界の中の日本を考え、書き綴っています。ブログは365日切れ目なく経済、マネー、社会、政治など様々なトピックをズバッと斬っています。分かりやすいブログを目指しています。