生きている元首相を議会が追悼?:フェイク死亡報道を考える

独裁者は本当に死去するまで何度か自身の死亡通知を聞くことがある。北朝鮮の金日成主席や金正日総書記は生前に何度か自分の死亡報道に接している。その度に世界のメディアは大慌てとなったものだ。ただ、ここで話す「彼」は独裁者ではない。銀行総裁から連邦首相になったれっきとした政治家であり、現在は政界から引退し、年金生活を楽しんでいる。その「彼」が亡くなった、というツイッター上の死亡通知を受けたオーストリア国民議会は29日、急遽「彼」の追悼の黙祷(Trauerminute)を捧げたのだ。

社民党主導の長期政権を誇っていた首相時代のフラ二ツキー氏(当時)=1989年、オーストリア連邦首相府で撮影

「彼」とはフランツ・フラニツキー氏で1986年から97年まで11年間、オーストリア連邦首相だった。死亡通知が流れた時点で同氏は85歳と高齢だが、生きている。偽の死亡通知はツイッターの偽アカウントが引き金になって流れたという。

フラニツキー氏と同じ社会民主党のハイニシュ・ホーゼック議員はその偽の死亡通知を受け取った。後で偽と判明し、同議員は社会委員会で自分自身の過ちを謝罪し、「偽のアカウントに巻き込まれた」と弁明している。

オーストリアのメディアによると、オンライン上で多くの政治家、著名人の死を流しているイタリア人のトマソ・デベネデッティ氏がこのツイッターアカウントの背後にいるという。彼は2011年、シリアの独裁者バシャール・アル・アサドの偽死亡通知を発表したことがある。その直後、世界の石油価格は上昇した。デベネデッティ氏は今回、ノルベルト・トシュニッヒ農業大臣(OVP)を装い、偽死亡通知をハイニシュ・ホーゼック議員の関係者に伝え、その人物が同議員に通知して、今回の議会での追悼となったわけだ。議会で死んでもいない政治家の追悼式が行われたのはもちろん初めてだ。

当のフラニツキー氏は29日、国民議会で自身の死を追悼する黙祷が行われていることも知らず、ホイリゲ(ワイン酒場)でガチョウの料理(マティーニグース)に舌鼓を打っていた。現地のメディアは同氏が自身の死亡報道をどのように受け取ったかについては報じていないが、さぞかし驚いただろう。食べていたガチョウ料理が喉に詰まって窒息死などすればもう漫画だった。幸い、同氏は生きている。

フェイクの死亡報道はもちろんフラニツキー氏が初めてではない。過去、多くの著名人が生前に死亡報道の洗礼を受けている。ツイッターが生まれる前にもこの種の「生前死亡報道」はあった。米国作家マーク・トウェインは1897年、朝食で新聞を読みだしたとき、自身の死亡が報じられていたので驚いたという。今年9月8日96歳で亡くなった英国のエリザベス女王は2015年、「病院に運ばれた」という急報が流れ、一部で死亡説が報じられた。最近では、名誉教皇ベネディクト16世(95)の死亡説が今年7月流れた、といった具合だ。

オーストリアの議会では、時たま、ハプニングが生じるが、首相を務めた政治家の偽死亡通達とそれに伴う黙祷といった少々滑稽な出来事は今回が初めてだ。労使間の賃金交渉関連の報道、エネルギー危機と物価高騰などに明け暮れていた現地のメディアは今回の報道を結構大きく報じ、読者に笑いを提供している。

死亡のフェイクニュースは第3者が聞けば笑いで済ますことができるが、「お前は死んだよ」といわれた人間はどう感じるだろうか。自分の死を願っている人間がいるのではないか、と勘ぐる人も出てくるだろう。政治家や著名人の場合、一種の有名人税といえるかもしれないが、通常の人間の場合、そうはいかない。

ところで、ドイツで「一度死んだといわれた人はその後、案外長生きする」という諺がある。日本でも類似する諺があるのではないか。生前死亡説が流れた人は「そう簡単に死んでたまるか」といった意地が沸き、結果として長生きすることになるのかもしれない。

フラニツキーさん、フェイクの死亡報道に挫けず、ガチョウ料理を食べてさらに長生きしてください。

ウィーンのグラーベン通り(編集部) n0n4m3h3r0/iStock


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年12月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。