報道の前に読み解く能力を備えよう:自身の相場観がない金融関係者たち

2-3か月前からドル円はレンジを抜けず、そろそろ円高に反転すると何度か申し上げ、現在、その方向に進んでいます。産経は12月1日付記事でようやく「円相場、1カ月で11円超上昇 為替相場に潮目の変化」と報じています。ちなみに産経はもともと日経と勝負ををするほどの経済新聞だったのを知る人はあまりいらっしゃらないかもしれません。経済記事は定評があるはずなのですが、報道は時として事実が明白にならないと書けないこともあります。

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よく言われるのが大手新聞社が「書かない」あるいは「書けない」記事。その為に専門紙やミニコミ誌、オタク系の情報などを拾い集めなくてはいけませんが、その中でお宝情報を探すのは至難の業です。皆、好き勝手書いていますので当たるも八卦当たらぬも八卦に近いものがあるのです。もちろんマネーの話に限らず、政治から国際情勢、経済全般まで「そうくるか」という奇想天外なものもあります。調べれば調べるほど訳が分からなくなり、迷路にはまるのです。

少なくとも投資やマネーに関しては私は限られた一次情報しかないのです。重要な統計、決算、企業動静、重要な発表だけが頼りであとは市場との対話なのです。私のパソコンの一つの画面では株価ボードがチカチカと点灯しているのですが、そこには生きた人間と同じように事実だけに基づいた株価という生命があるのです。その呼吸や波動を感じ取れれば相場は少しずつ見えてきます。

最近このブログでは機会がなかったのでゴールドの話をあまり振らなかったのですが、1か月ぐらい前から相場付きが変わってきたのに気がついていました。理由は複数あります。利上げの頭打ちが見えてきたこと、ドル高が止まりそうなこと、仮想通貨の足腰が弱いこと、世界で不和があること、中国などが金を大量に買い付けていること…。これらは全て金相場を押し上げるに十分な理由です。特にドル独歩高が反転するのは極めて大きな後押しなのです。

実は相場と呼吸を共にしているともう一つ、気がつくことがあるのです。金は秋が深まると買われやすい、と。これはアノマリーに近いと思いますが、不思議と年内は結構上がることが多いのです。

昨日のパウエル議長の講演で何を述べるか、概ね分かっていたのに何故かNY市場は議長の講演が始まる午後になるまで死んだような相場つきでした。講演中に目が覚めたような急騰となり、ダウは700㌦を超える上昇となりました。これなどもなぜ、皆、待ち続けたのだろうか、と考えるとその数日前からインフレはそう簡単に収まらないというニュースがブルームバーグあたりから出ていたため、疑心暗鬼になった投資家が「それじゃ、パウエルさんの講演を聞いてからにしよう」となった気がします。ですが、データでは明らかに12月のFOMCで0.50%の利上げが優勢であることは分かっていました。

本日、PCE(Personal Consumption Expenditures、PCEデフレーター)が発表になりました。これは月中に先行発表されるCPI(消費者物価指数)よりも広範な物価についての調査であり、言ってしまえばCPIが簡易型、PCEがフルスペック型の物価指標であります。FOMCでは当然、こちらのフルスペックのPCEを物価判断に使います。ただ、CPIとPCEにはある程度数字の出方に特徴があり、CPIの方がブレが大きいのです。偏差の大きさの違いと言ったほうが正確かもしれません。またCPIとPCEで逆の動きをすることもまずないと言え、11月半ばにでた10月度のCPIでインフレ鎮静化の動きが見て取れればそれをPCEが踏襲するとみて間違いない訳です。ここが相場の判断をするにあたっての読み込み方なのです。

しかしながら最近、本当の相場師がいなくなったのではないか、という気がしているのです。プログラム売買が進んでいるために相場を自分のカラダと頭で判断する癖が無くなってきているのではないか、ということです。その昔、野村證券の田淵節也元会長(当時)と私が短い時間ですが二人っきりで酒を片手に話をするチャンスがありました。「相場がうまく読めないがどうしたらよいだろうか?」と20代の若造の私が聞くと「今はコンピューターが取引するからワシもわからんよ、ワハハハ」と言われたのは1988年だったと思います。それから35年も経てば相場をいじくるファンドマネージャーもコンピューターの言うなりになり、相場観を身に着けていないのではないかと思うのです。

この世の中、プロと称する人たちはどこの世界にもいます。が本当のプロ、プロ中のプロは少ないのです。例えば私が昨年地上げして改築したアパートでは工事の際、既存の基礎のそばに50センチ程度の空洞が見つかりました。私は検査結果、地形、地層、土地の歴史からして防空壕的にお金を隠した人為的な穴の残骸だろう、だから掘り起こして埋め戻せば大丈夫じゃないか、と申し上げたのですが、建設会社がビビりまくってしまい、3か月ぐらい工事が止まったのです。議論を重ねても現場責任者が動かないので「念書をいれるから工事を進めよ」と無理やりやらせたことがあります。この場合、建設会社があらゆる可能性を考えるのは良いのですが、どれがprobable(ありそう)なのか判断できないのです。これではプロではないのです。

結局、何事も人から教えてもらったり書籍から学ぶ以上に体得し、失敗し、様々な考察の中で判断する能力を持つことが大事なのです。最近のさまざまな議論では「ああいえばこう言う、こういえばああ言う」一種の不毛論争をすることもあります。が、結局、誰かが判断しなくてはならないのですが妥協点を探り中庸となり、尖ったものにならなず、「まずまず」の結果で終わることも多いような気がします。

人々は判断し、失敗せよ、そして学ぶ、ということを忘れてはいけないと思います。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年12月2日の記事より転載させていただきました。

会社経営者
ブルーツリーマネージメント社 社長 
カナダで不動産ビジネスをして25年、不動産や起業実務を踏まえた上で世界の中の日本を考え、書き綴っています。ブログは365日切れ目なく経済、マネー、社会、政治など様々なトピックをズバッと斬っています。分かりやすいブログを目指しています。