「人間関係は全員が選ぶ側でいい」という発想

黒坂 岳央

黒坂岳央です。

筆者が考える人間関係における真理に「人間関係は全員が選ぶ側である」というものだ。「いやいや、選ぶ側、選ばれる側にわかれるではないか?」という反論は当然に来るだろう。しかし、そこを踏まえて考えても本質的には「全員が選ぶ側に立っているという発想を持っても良い」、そのように自分は思っている。筆者自身、この発想を持ってから人間関係において問題が生じた記憶はない。

この話はなにかの統計データなどを拠り所にしたものではなく、あくまで筆者の個人的感覚値である。できるだけ、客観的視点で事例を取り上げながら論考したい。

chachamal/iStock

「選ぶ側、選ばれる側」は本当に正しいのか?

婚活などでは「市場には選ぶ側、選ばれる側の人材がいる。本来は相手から選ばれる側に立つべきなのに、選り好みをするとうまくいかない」という話をよく聞く。

低俗なゴシップ消費されるようなカテゴリの話題において、「自分はこういう人と結婚したいがなかなか成立しない」という嘆きに対し、「身の程を知れ。あなたにそのような市場価値はない」という嘲笑が寄せられる場面を見ることもある。

しかし、この概念は本当に正しいのだろうか?

ここで婚活市場において優位性のある男性がいたとする。顔はイケメン、高収入で安定性抜群の企業に努めてトークも上手。女性のエスコートも弁えているという漫画の登場人物のような人材であるという仮定だ。この場合はいわゆる「選ぶ側」にカテゴライズされるのが一般的だろう。

だが、そんな男性であっても、絶対的強者ではなく、あくまで相対的強者でしかないと思うのだ。現実的には、その男性であっても市場の女性全員を自由に選べるわけではない。これは冷静に考えれば当たり前である。「確かにハイスペックだが、自分の好みではない」と女性から言われたら成立しない。「選ぶ側、選ばれる側」という概念は、あくまで市場ニーズにおける相対的強者としての意味合いで便宜的に使われているカテゴリにすぎない。

人間関係はスペック勝負だけでは決まらない。相手の雰囲気や価値観、性格など、好みのゆらぎという実に人間臭さを感じるファクターで成否を決定しうる。AIのようにロジカル一辺倒では成立しないような、美女と野獣は現実にあり得るのだ。

故に筆者は思う。誰だって付き合う相手は選んで良い。それが市場価値という一要素で見た場合に、決して魅力的に映らないケースであっても、だ。「自分も相手を選んでいいが、相手からも自分を選びたくなるような人物であれ」というのが理想的な発想ではないだろうか?

人間関係とはお互いに選んだ時のみ発生する

上述の通り、片方だけが相手を求める関係は本質的にあり得ない。アイドルとファンの関係においても、アイドルはファンの応援や資金提供というメリットと、ファンサービスを当価値交換していることからも、ビジネスにおいては金銭が片方のニーズ不足を充足して取引がなされる。

先日見たニュースで、高齢男性が20代女性にアプローチするも、相手にしてもらえなかった怒りから嫌がらせをしたというものがあった。これは一方通行の人間関係の構築は成就し得ない、という社会的な本質を見落としたことから生じている。

自分は小規模な発信者をやっているが、付き合う相手は選ぶし、相手からも選ばれていいと考えている。お互いに選び合う。だから自分が関わりたくない人は意識的に避けるし、筆者と関わりたくないと思う相手からはブロック機能などを活用して積極的かつ確実に避けてもらいたいと思っている。

このような思考では人間関係の構築に至らないのではないだろうか? と言われるかもしれない。否、一緒に遊んでお互いに楽しいと感じる友達だったり、一緒に人生の苦楽を共にしたいと感じる家族においてはお互いが求め合う関係が生じることがある。これは本質的に両者が相手と付き合いをすることを選んだ結果である。片方が拒絶すれば、この関係性は生じ得ない。やはり、この場合においてもお互いが選ぶ側の立場を取っているといえよう。

よく聞く話が「自分はスペックが低い人物であるため、誰からも求められない。だから自分なんかが選ぶ側をやってはいけない。誰かが選んでくれたら御の字という謙虚さを持たなければ」という話があるが、そんなに自分を卑下する必要はないと思っている。

確かに自分が望む相手とのマッチングの難易度は低くはないだろう。しかし、条件を変え、柔軟さを持って探し続ければ、どこかで自分も選び、相手も選んでくれるような関係性に巡り会えるはずだ。実際にそういう事例を見てきた。

マッチングを阻害する最大の理由は、巡り会える舞台に身をおいていないことだ。自身のスペックを気にせず、YouTubeやブログといった特定多数に見られる場に身をおいて発信を続けた結果、逆にそのコンプレックスが武器になって結婚や親友獲得に行き着いた事例はいくらでもある。

蓼食う虫も好き好き、人の好みは人の数だけ存在する。「世の中誰もが選ぶ側。自分も付き合う相手を選んで良い」という発想は有効ではないかと個人的に考えるがどうだろうか?

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ビジネスジャーナリスト
シカゴの大学へ留学し会計学を学ぶ。大学卒業後、ブルームバーグLP、セブン&アイ、コカ・コーラボトラーズジャパン勤務を経て独立。フルーツギフトのビジネスに乗り出し、「高級フルーツギフト水菓子 肥後庵」を運営。経営者や医師などエグゼクティブの顧客にも利用されている。本業の傍ら、ビジネスジャーナリストとしても情報発信中。