ネットで批判してくる人を3つに分類してみた

黒坂岳央です。

発信者の立場は、影響力の多寡に比例して必ず誰かからは批判を受けることになる。これは運命的なものといって良く、「意見や感想を述べるが、誰からも批判は受けたくない」という矛盾を突破することはできないと思った方がいい。だから意見を発信をするなら、批判を覚悟をする必要がある。

筆者も人目の触れる場所へ意見を出すことで、例外なく批判を受けてきた。そしてこの経験から、ネットの批判者は3分類できると思っている。筆者の個人的視点で取り上げてみたい。

Rawpixel/iStock

ストレス解消型

もっとも多いパターンがストレス解消型だ。リアルでもネットでも、口を開けば文句しか言わない類の人種がいる。そうした人たちはリアルでは聞いてくれる相手を捕まえることに苦労した結果、その舞台をネットへ移しているものと推測できるだろう。

ストレス解消型はSNSにおいて、人気者に絡んで文句を言ったり、ニュースアカウントのリプ欄で不満ばかり言っている姿を見ることができる。文句を言うために作成された専用アカウントもある。

ストレス解消型の真の目的は、注目を浴びて承認欲求を満たし、ストレス解消することにある。通常、承認欲求を健全に満たすためには有益性、公共性のある話や情報を出したり、称賛に値するような活動をするか、誰かから直接感謝されるような行為をすればいい。

他人からの「ありがとう」を受け取れば、自己愛が満たされる。わざわざ文句を言う必要性はない。だが、それが実現しない場合、有力者に対して文句をつけることで、あたかも自分が上の立場に立ったような錯覚を覚える。しかし、これは本質的に社会的優位性を得られたわけではなく、一時的な感覚に過ぎない。だがその錯覚に浸り、彼らは自我を保っている。

その一方で発信者はその活動を通じて価値提供を実感することで、結果的にビジネスや自己愛を満たしている。そのため、彼らとは油と水のように交わらない関係性にあるといえる。故にこうした人種からの批判は気にせず、ブロックがおすすめだ。直ちに静寂が戻ってくるだろう。

警察型

「間違っていることを見たら正さずにはいられない欲求」というものがある。警察型はそうした欲求に素直な人種であり、リアルでは優先席に若者が座っていたり、歩きスマホを見たら果敢に注意しに行く。ネットでは間違った発言だと感じたら、積極的に相手の発言や行動を正しに行くイメージだ。行き過ぎた場合、暴力性を帯びたケースさえ見られる。

昨今、この警察型人種の思考、行動が可視化されたことにより、「正義感」というワードはどちらかといえばネガティブな文脈で使用される場合の方が増えたのではないだろうか。

この欲求は「Cunningham’s law(カニンガムの法則)」と呼ばれるもので、いわば人間の機能性と呼んで良い類の性質だ。本人は「間違った相手をわざわざ正してあげている」と社会貢献活動のようだと錯覚しがちだが、心理学を紐解けばこれは親切でもなんでもなく、単に脳から発せられる欲求に突き動かされて支配欲で動いているに過ぎない。よく聞く「これはあなたのために言っている」という説教の前の前置きがあるが、相手のためではなく他ならぬ自分のために言っているケースがほとんどである。

ちなみにネットでは彼らの機能性を狡猾に使われるケースも有る。権威性を落とさない程度の小さな間違いをわざと犯すことで、意図的に彼らからのコメント欄に書き込みを誘発する。結果、警察型ユーザーからのメディアエンゲージメントを高めるといった手法である。つまり、彼らは相手の手のひらの上で踊らされてしまっているわけだ。

発信者の立場としては、本来は間違いの指摘は大変ありがたいものである。しかし、過剰な警察型に絡まれると厄介である。この人種からの批判の最適解は「ご指摘ありがとうございました。ご意見参考にします」という具合に「受け流すこと」である。自分の意見を聞いてもらえたことに満足した彼らは、次の正すべき間違い探しへの旅へ向かうだろう。

親切型

最後は親切型である。情報メディアとしての公共性を意識し、視聴者視点で発信者が気づきにくい意見をくれるタイプだ。これは発信者にとって神様のような存在である。意見や批判の目的は、自己愛を満たすためではなく、発信者相手や社会公共性に立脚するため最も歓迎するべき人種である。

自分も何度も親切型からのコメントで正すべき過ちに気づけたり、新たな着想を得られた経験がある。こういう親切型からの指摘は決して無下にせず、大事に扱うべきだろう。

批判は聞き過ぎるべきでない

個人的には、他人からの批判はあまり真剣に聞きすぎるべきではないと思っている(全て遮断せよというつもりはまったくない)。

これは発信者あるあるだと思うのだが、真剣に見てくれる人のことを思うほど、寄せられるコメントに心を病む瞬間はどうしても出てしまう。「自分は発信活動をすることで周囲に迷惑をかけているのでは?」「自分のコンテンツに価値なんてないんじゃないか?」と。そして批判に耐えられず、退場してしまう。

筆者は90年代からネットで入り浸ってきたが、心から尊敬し、応援していた発信者が他者批判を真摯に聞きすぎた結果、心折れて何人もやめていく姿を見てきたし、これはとても残念に思ってきた。

発信者は「発信をやめない」ことが重要だし、実際にそれだけ途中でやめてしまう人は多いのだ。誰かが自分の発信を誰かが楽しみに待ち、明日の活力にしている。なら批判が理由でやめてしまうべきではないし、そもそも批判の半分くらいは、本人のストレス解消にすぎない。

真に傾聴すべきは、建設的意見や親切心から来る意見だけでいいだろう。あまり批判は気にしすぎず、サイレントマジョリティーを向いて発信を続けていくのが良いと思っている。

 

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ビジネスジャーナリスト
シカゴの大学へ留学し会計学を学ぶ。大学卒業後、ブルームバーグLP、セブン&アイ、コカ・コーラボトラーズジャパン勤務を経て独立。フルーツギフトのビジネスに乗り出し、「高級フルーツギフト水菓子 肥後庵」を運営。経営者や医師などエグゼクティブの顧客にも利用されている。本業の傍ら、ビジネスジャーナリストとしても情報発信中。