ロシアの日本侵攻はあり得るのか:疑惑のFSB内部情報(藤谷 昌敏)

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政策提言委員・経済安全保障マネジメント支援機構上席研究員 藤谷 昌敏

11月25日、ニューズウィークは、「ウラジーミル・プーチン大統領が率いるロシアは、ウクライナへの大規模侵攻に着手する何ヵ月も前の2021年8月、日本を攻撃する局地的な軍事紛争の準備を進めていた」との衝撃的なニュースを報道した。

同誌によると、「Wind of Change(変革の風)」と名乗るロシア情報機関FSB職員がロシア人の人権擁護活動家ウラジーミル・オセチキンに定期的に送信しているメールの一つに基づいたものという。

オセチキンは、ロシアの腐敗を告発するサイト「グラグ・ネット」の運営者で、オセチキンが公開した内部告発者のメールは、FSB専門家でオープンソースの調査報道機関べリングキャットの代表のクリスト・グローゼフによって分析されている。グローゼフがこのメールを「FSB(現・元)職員の知人」に見せたところ、「FSBの同僚が書いたものに間違いない」という答えが返ってきたという。

告発者は、「日本政府にとって、北方領土が現在の地政学的関係の土台となっている。日本にとって北方領土の返還は、戦後のステータスの見直し(場合によっては取り消し)を意味することになる」とし、「ロシア政府にとって北方領土は、有利な交渉の切り札であり、戦後の取り決めを見直す試みをすべて、非常に否定的に受け止める」とする。

そして「FSBは2021年8月、第2次大戦中に日本の特殊部隊がソビエト連邦の国民に拷問を与えたとする文書や写真などの機密を解除したが、こうした機密を解除して、ロシア社会で反日情報キャンペーンを開始するのがFSBの目的だった」という。「機密解除された情報には、第2次大戦時の日本陸軍大将で関東軍総司令官だった山田乙三に尋問した際の情報も含まれている」とのことだ。

さて、この告発者の情報は果たして本当なのだろうか。日本に対する戦争の準備をロシア側が行っていたということが事実ならば、日本人にとっては、大変ショックなことだ。また、対中国寄りにシフトしていた防衛体制も見直す必要があるだろう。

まずは、事の真偽を確認するために事実関係のチェックをする必要がある。今回、結果として日本に攻撃してこなかったからと言って無視すれば、今後、ロシアの戦争準備の兆候をつかんだ際、分析と検証に時間がかかり過ぎて即座に対応できないことになる。情報の仕事というものは、日常的にこつこつと分析や検証を進めておくことが、いざとなれば大きな力となることを肝に据えておくべきだ。

告発者の情報の検証

情報を検証する過程では、第1に「情報源の特定」(その情報を知りうる身分、立場なのか)、第2に「情報の伝達ルートの確認」(情報の入手が可能か)、第3に「情報内容の検証」(公然情報との比較など)、第四に情報の評価を行う必要がある。

(1)「情報源の特定」だが、通常、情報源の身分や立場は秘匿性が高く、不明の場合が多い。この場合は、FSB職員ということが判明しているのみだが、内部の人間なので情報をある程度入手しうる立場の人物と考える。

(2)「情報の伝達ルートの確認」だが、この場合、人権擁護活動家ウラジーミル・オセチキンが定期的にメールを受け取っており、ベリングキャット代表のクリスト・グローゼフによって分析されて、「FSB(現・元)職員の知人」が「FSBの同僚のもの」と証言している。入手ルートに限っては問題ないが、厳しいFSBの監視を逃れて定期的にメールが可能かという疑問もある。

(3)「情報内容の検証」では、2021年8月にロシアで機密解除された資料を確認すると、確かにヴィシンスキー外相宛報告、スターリン宛報告書、また細菌兵器の開発および使用の罪を問われる日本の戦犯をソ連に引き渡すよう米国指導部に求めたソ連外交文書などが機密指定解除となっていた。

告発者のメール中、「日本の特殊部隊」とは、旧陸軍の石井四郎軍医中将が率いる七三一部隊(関東軍防疫給水部)のことで、中国東北部のハルビン郊外を拠点とし、致死的な生体実験を秘密裏に行うための特別な一大研究施設があった。

この施設では、スパイや思想犯の中国人、ロシア人、朝鮮人、モンゴル人などを「マルタ」と呼んで人体実験を行っており、「ソビエト連邦国民に拷問を与えた」との記述に一致する。また、ハバロフスク裁判で戦犯とされた昭和天皇や石井四郎を引き渡すよう求めたマッカーサー宛の書簡や関東軍司令官山田乙三の尋問調書もあり、告発者の記述と一致する。

告発者の情報の評価

検証が済めば、この情報の評価をしなければならない。

筆者の結論は、「この情報はある程度の信ぴょう性はあるが、対日侵攻の高いリスクを考えれば、実現性に乏しく、実際に真剣に練られた作戦とは思えない。例え検討されたとしても、あくまでも幾つかの選択肢の一つとして参考程度に過ぎなかったのではないか。731部隊の資料を開示した反日情報キャンペーンも、実際どれほどの効果があったのか疑問が残る」ということだ。

他から伝えられる情報がほぼ無いことや裏付けとなるような情報に乏しく、告発者の単独の情報だけでは、この情報が事実だとする根拠に乏しい。

筆者の疑問点

  • 日本への侵攻は、背後にいる米国との全面戦争を覚悟しなければならず、核戦争の危険性さえある。これほどのリスクを覚悟して戦争を仕掛けるメリットが果たしてあるのだろうか。
  • 日本との間の海上を大量の物資や兵員を運ぶだけの輸送能力や警備能力がロシアには乏しい。陸地つながりのウクライナとは戦闘の装備も準備する物資や兵員も大きく異なる。
  • 日本の海上自衛隊の潜水艦群や哨戒機は極めて優秀であり、最新の装備を持っている。その厳しい監視の目を逃れて上陸部隊を輸送することはかなり困難だ。一回目は成功しても継続的に物資の補給が無ければ、上陸部隊は崩壊する。フォークランド戦争で、アルゼンチンの第二次大戦仕様の中古潜水艦に英国海軍の駆逐艦が振り回された教訓もある。
  • 告発者は、北方領土問題が戦争の争点となっているとしているが、北方領土問題のイニシアチブはロシアが握っており、日本が強引に武力で奪取しない限り、大きな対立点にはなり得ない。北方領土問題だけでは、ロシアの対日侵攻の必然性が説明できていない。
  • あくまでも推測だが、告発者が辻褄の合う事実をつなぎ合わせて、意図的に作った情報ではないかとの疑いも捨てきれない。

最後に、人間の心には、「こうありたい」「こういうのが欲しい」「こうなるべきだ」などのバイアスがかけられており、専門家であっても冷静に情報を検証するのは難しい。企業や官庁などで情報の分析を担う者は、科学的でかつ経験を生かした情報分析を心がけていただきたい。

藤谷 昌敏
1954年、北海道生まれ。学習院大学法学部法学科、北陸先端科学技術大学院大学先端科学技術研究科修士課程修了。法務省公安調査庁入庁(北朝鮮、中国、ロシア、国際テロ部門歴任)。同庁金沢公安調査事務所長で退官。現在、JFSS政策提言委員、合同会社OFFICE TOYA代表、TOYA未来情報研究所代表、一般社団法人経済安全保障マネジメント支援機構上席研究員。


編集部より:この記事は一般社団法人 日本戦略研究フォーラム 2022年11月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は 日本戦略研究フォーラム公式サイトをご覧ください。