なんとも嘆かわしい底浅コラム:天声人語『国を守るとは何か』

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今年10月1日に筆者が交代した影響なのだろうか(同日から郷富佐子、古谷浩一、谷津憲郎の論説委員3名が交代執筆)。久しぶりに「らしい」看板コラムが掲載された。朝日新聞らしく、いかにも「天声人語」らしい。

12月8日付「朝日新聞」朝刊一面にはないが、「朝日新聞デジタル(版)」では、「国を守るとは何か」との見出しが付けられている。

(天声人語)国を守るとは何か:朝日新聞デジタル
 機体が斜めに傾くと、落ち葉に覆われた茶色い山肌がぐうんと目の前に迫ってきた。東京・羽田から朝日新聞の社機「あすか」に乗って約30分。きのう長野市の川中島古戦場近くにある舞鶴山一帯を上空から見た▼日本…

命名者によると、「天声人語」という連載タイトルは「天に声あり、人をして語らしむ」という中国の古典に由来するらしいが、以下のとおり、同日付コラムは、天(皇)の声を借りて、「朝日新聞綱領」が掲げる「進歩的精神」とやらを語っている。

コラムは、記者が朝日新聞の社機「あすか」に乗って「舞鶴山一帯を上空から見た」というエピソードから始まる。続けて、こう書いた。

日本陸軍がこの山々の中に巨大な地下壕「松代大本営」の建設を始めたのは敗戦間近の1944年。東京が戦場になるのに備え、皇居や大本営を移転する計画だった。国民の命よりも「国体」の維持が最優先された時代を如実に示す話だ。

さらに、林虎雄(旧社会党の政治家)著『過ぎて来た道』を論拠に、戦後、長野を訪れた昭和天皇が「この辺に戦時中無駄な穴を掘ったところがあるというがどのへんか?」と「尋ねたそうだ」と紹介したうえで、「指導層だけが地下にこもって戦争を続けようとした史実を、天皇も気にしていたのだろう」と書いた。

コラムの最後も以下のごとく、虎の威ならぬ天の威(昭和天皇の御威光)を借りている。

機中からは幾十にも尾根が複雑に絡み合った信州の山々が見えた。その山あいに隠れるようにして天皇が移り住む予定だった建物もあった。遠くには東京のビル群が白くかすんでいる。きょうで真珠湾攻撃から81年。

本当に、昭和天皇が「無駄な穴」と御発言されたのか。「天声人語」は「尋ねたそうだ」と書いたが、日本共産党の推薦を受け当選した社会主義者の著作だけでは判断しづらい(これ以上の追及は控える)。

問題は、コラムが〝天の威〞を借りながら、次のとおり、「敵基地攻撃能力」の保有と防衛費の増額を批判したことだ。

時を経て、いま日本の安全保障は転換点を迎えている。「敵基地攻撃能力」を持つといい、今後5年間の防衛費を1.5倍超にするという。専守防衛を揺るがす重大事なのに何とも慌ただしく議論が進んでいるようで心配になる。

そもそも国を守るとは何なのか。大切なのは国民一人ひとりの命が最大限に尊重され、暮らしが守られること。領土防衛や抑止力強化を叫ぶのもいいが、武力だけで語れるほど単純な話ではあるまい。

全国の大学「入試出題数No.1」の看板コラムにしては、底が浅い。

公正を期そう。朝日が「反撃能力」と呼ばず、あくまでも「敵基地攻撃能力」と呼ぶのはよい。理由や動機は違えど、私もほぼ同意見である(拙著最新刊『ウクライナの教訓』)。

だが、その保有を批判しつつ、同時に「今後5年間の防衛費を1.5倍超にする」ことに対して、「専守防衛を揺るがす重大事なのに何とも慌ただしく議論が進んでいるようで心配になる」とは、いったいなんだ。

朝日記者が「心配になる」のは勝手だが、問題は、その原因ないし理由であろう。それが、「何とも慌ただしく議論が進んでいるようで」ときた。こんな腰の引けた表現が許されるなら、「天声人語」など、誰にでも務まるであろう。

そもそも国を守るとは何なのか。その結論もおかしい。「大切なのは国民一人ひとりの命が最大限に尊重され、暮らしが守られること」ではない。あえてコラムを借りれば、「国体」の維持(國體護持)である。

けっして暴論ではない。歴代総理以下、政治家もマスコミも勘違いしているが、国民一人ひとりの命や暮らしを守るのは、警察や海上保安庁の仕事であり(警察法2条など)、「国を守る」べき自衛隊の任務ではない(自衛隊法3条他)。

「領土防衛や抑止力強化を叫ぶのもいいが、武力だけで語れるほど単純な話ではあるまい」との一文にも驚く。なるほど「武力だけで語れるほど単純な話」ではない。だが、武力がなければ、いくら「領土防衛や抑止力強化」を叫んでも、むなしい。それが「ウクライナの教訓」ではないのか。

いや、それ以前に、いったい誰が「武力だけで」語ったというのか。まず、その実名を挙げよ。これほどひどい印象操作も久しぶりではないか。この秋に筆者が交代するまで、ここまで最低のコラムは私の記憶にない。