宗教についての憲法第20条と政教分離を巡る頭の体操

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公明党と創価学会の関係について、憲法の「政教分離原則」に反するのでないかという批判が後を絶たない。 だが、公明党の出現以前から、宗教団体が特定の候補者や政党を応援することは普通に行われてきたことだ。神道政治連盟は自民党の有力な支持団体である。

参議院議員選挙比例区ではさまざまな宗教が、組織候補といえるような形の応援もしている。かつては浄土真宗の東(真宗大谷派)と西(本願寺派)で地方選挙でも激突したこともあった。

それも含めて『日本の政治「解体新書」: 世襲・反日・宗教・利権、与野党のアキレス腱』(小学館新書)で論じている。

政教分離を定めた憲法第20条は、以下のようになっている。

  1. 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
  2. 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
  3. 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

1の「国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」で、宗教法人が税制上の優遇を受けることを「特権」だとする人もいるが、他の非営利団体と同じなら問題ないと普通はされる。文化財の寺社も、他の文化財と同様の援助はいいことになっている。

2では、例えば修学旅行で寺社に連れて行っていいのか、そしてそこで合掌させていいのかというのが問題になる。一般的には前者はセーフだが、嫌だという生徒に強制はできまい。後者はアウトだろう。

「ごちそうさま」と言って手を合わせるのもそれを拒否する人に強制すべきではない。「御馳走様」というのは仏教由来の言葉だからだ。宗教と関係ないと思う人も多いだろうから、たとえば、先生がご馳走様といおうというまではぎりぎりセーフだろうが、嫌なら絶対に強制は良くない。

靖国神社の国家護持、閣僚などの参拝、地鎮祭などはどうだろうか。

国立大学で仏教やキリスト教に関しての教育や研究を受けるのはどうなのか。私の学生時代には東京大学で「印度哲学科」という名前だった学科が、最近では「インド哲学仏教学専修過程」となっているので、独立法人になったので、少し柔軟に解釈しているのだろうか。

ただ、テレビのドラマや文化系番組でも新興宗教は厳しく排除されている。在来宗教の葬式は出てくるが、それ以外はタブーだというのはどうか。僧侶や神主、牧師は出てくるのに、天理教の信者や創価学会の指導者が登場人物になるドラマはない。

ミッション系の同志社大学の創立者の妻である新島八重がNHK大河ドラマの主人公になっていいなら、創価大学や天理大学の創立者やその関係者が主人公になれない理由はないはずだ。神道やキリスト教の結婚式はよく出てくるが、ほかはだめというのはおかしい。私はすべての宗教は信者数などに比例して平等に扱われるべきだと思う

人口の0.7%しかないキリスト教は、天理教と同じくらい、創価学会の一割よりやや多いくらいの宗教なのに、やたら優遇されているのはおかしい。

靖国神社の問題は戦後処理の甘さから派生した問題で、文殊の知恵が必要だ。私は、靖国神社の鳥居の前に施設を創って、そこに総理などは参拝してはどうかといっている。どんな角度でお参りできるようにしてはどうか。

確かに、宗教施設を持ったり、行事を主催したりするのはいかがかと思うが、「参列」やそれに伴う常識の範囲の支出はもう少し甘くてもいい。

厳密にいえば、地域のお祭りに首長が参加するのも、例えば米国大統領の就任式やミサなどに日本政府代表が参列するのもダメということになってしまうが、それは行き過ぎだろう。