中間層の消え去ったアメリカ中の大都市:CHATTANOOGA CHOO CHOO

こんにちは。

きょうは2週続きの変化球として、もう1年半近く休眠させてしまっていた「歌はヴァースから」の第4回で、第二次世界大戦中に爆発的なヒットとなったグレン・ミラー楽団の『チャタヌガ・チュー・チュー(汽車ポッポでチャタヌガへ)』を取り上げたいと思います。

「そんな古い歌の歌詞がどうのこうのなんて興味ないよ」とおっしゃる方も、3番目の見出しから後はぜひお読みください現代アメリカ社会が抱える病巣を浮き彫りにする事実をいろいろご紹介しているからです。

stacey_newman/iStock

まず歌詞をご紹介しましょう

テネシー州チャタヌガというと、第二次世界大戦中おそらく最大のヒット曲となった『チャタヌガ・チュー・チュー』の舞台として、ご記憶のポピュラー音楽ファンもいらっしゃるかもしれません。アメリカ最大のスモールタウンと言う人もいれば、最小のメトロ(都市)圏と言う人もいる、人口約18万人の町です。

というよりは、もしこの歌がなかったらとっくの昔に忘れ去られていたかもしれない鉄道と河川を航行する汽船とで構成された、クルマ社会化以前の交通の要衝だった町なのです。

さて、例によってまずヴァースから、原語の歌詞と私の訳を比べていきましょう。

(Hi there Tex, what you say)

Step aside partner, it’s my day

(やあ、テックス。どうしたんだい?)

みんな脇に寄ってくれ。今日はオレが主役だぜ

Bend an ear and listen to my version

(Of a really solid Tennesse excursion)

みんなオレの言うこと、しっかり聴いてくれよ

(テネシーへの豪勢な旅の話をってことかい?)

カッコの中がバックコーラスで、カッコに入っていないのがソロの掛け合いになっています。そして、ここからがヴァースに対するコーラス(あるいはリフレイン)になります。

Pardon me, boy

Is that the Chattanooga choo choo?

(Yes yes track twenty-nine)
Boy, you can gimme a shine

ごめんよ坊や、これがチャタヌガ行きかい?

(はい、はい、29番線です)じゃ、靴でも磨いてもらおうか

(Can you afford
To board the Chattanooga choo choo?)

I’ve got my fare
(And just a trifle to spare)

(チャタヌガまでの乗車賃はお持ちで?)

ああ、持ってるよ。(チョッピリ奮発する余裕もお持ちで?)

You leave the Pennsylvania Station ‘bout a quarter to four

Read a magazine and then you’re in Baltimore

Dinner in the diner, nothing could be finer

(Than to have your ham an’ eggs in Carolina)

4時15分くらい前にペンシルベニア駅を出て、

雑誌を読むうちにボルチモア、

食堂車の夕飯とくりゃ、(カロライナの

ハムエッグスほど)うまいもんはないね

When you hear the whistle blowin’ eight to the bar

Then you know that Tennessee is not very far

Shovel all the coal in, gotta keep it rollin’

(Woo, woo, Chattanooga there you are)

列車の汽笛さえエイトビートで鳴らすようになりゃ

もうすぐテネシーってことがわかる

どんどん石炭くべろ、機関車走らせろ

(ウー、ウー、そろそろチャタヌガだ)

There’s gonna be

A certain party at the station

Satin and lace (doo doo)

I used to call “Funny Face”

駅には誰かさんが待っている

サテンとレースでおめかしして、(ドゥ―、ドゥ―)

昔は「ヘン顔ちゃん」って呼んでたあの娘がね

She’s gonna cry

Until I tell her that I’ll never roam

(So Chattanooga choo choo)

Won’t you choo-choo me home?

泣くだろうな、オレがもう二度と

あちこちほっつき歩かないよって言うまでは

(だからチャタヌガ・チュー・チューよ)

チャタヌガまで連れてってくれ

(Chattanooga Chattanooga)

Get aboard

(Chattanooga Chattanooga)

All aboard

(Chattanooga Chattanooga)

(チャタヌガ、チャタヌガ)

ご乗車ください

(チャタヌガ、チャタヌガ)

出発進行

(チャタヌガ、チャタヌガ)

(Chattanooga choo choo)

Won’t you choo-choo me home?

(Chattanooga Choo Choo)

(チャタヌガ・チュー・チュー)

オレをチャタヌガまで連れてって

(チャタヌガ・チュー・チュー)

ご覧のとおり、近田春夫さんの言うバカ歌、しかもかなり本格的なバカ歌です。

でも、私は押しつけがましい戦意高揚歌でもなく、二度と会えないかもしれない別れをけなげに耐えるお涙頂戴歌でもなく、こんなバカ歌が第二次世界大戦中最大のヒットソングになったところに、アメリカ社会がまだまだ健全だった頃の名残りを感じてしまうのです。

第二次世界大戦中というと、まさにビッグバンドジャズの最盛期でした。でも、数ある人気バンドの中でも突出した人気で、バンドのメンバー全員が当人役で出演する長編劇映画が2本も放映されたというのは、グレン・ミラー楽団だけでしょう。

『チャタヌガ・チュー・チュー』は、そのうちの1作、Sun Valley Serenade(銀嶺セレナーデ)』の劇中歌で、1941年8月の封切りとほぼ同時にレコードも発売されていました。

極めつけと言えば、フィルムはぼろぼろにすり切れたような画像になっていますが、本職はサックス奏者であるテックス・ベネキーが、この映画の1場面としてズブのしろうと丸出しの発声で歌詞を投げ出すようにぞんざいに歌うシーンでしょう。

まん中で野球帽をかぶってドヤ顔をしているのが、テックスです。この曲が爆発的なヒットとなったため、大戦末期の1944年にグレン・ミラーが搭乗機ともども失踪して帰らぬ人となったあと、バンドのリーダーを任されるほど楽団にとって貴重なレパートリーになりました。

もうひとつ名演を上げれば、第二次世界大戦前後のヒット曲は、ほとんどなんでもカバーしていた印象のあるアンドリューズ・シスターズの歌でしょう。

いろいろなコンピレーションに収録されていますが、YouTubeの『アンドリューズ・シスターズ:最大ヒット、最高の名演』というタイトルで探すと、『チャタヌガ・チュー・チュー』から『B中隊のブギウギラッパ兵』へのメドレーが楽しめます。

こんなバカ歌が史上初のゴールドディスクになってしまった

1941年夏に発売されたこの曲のシングル盤は、42年の2月には売上100万枚を突破します。そのあまりにも速い売れ行きに感激したレコード会社が、記念に金箔を貼り付けたレコードをグレン・ミラーに贈ったのが、ゴールドディスクによって100万枚突破を記念する制度の始まりでした。

「もっと売上枚数の多いヒット曲は、それ以前にもいくらでもあったろう」とおっしゃる方も多いでしょう。

ですが、おそらく100万枚を売り上げるのに何年かかかっていて、記録として意識する人もほとんどいなくなってからやっと突破する程度だったのではないでしょうか。

とにかく、レコードをかけるにはかなり重くて大きな蓄音機が必要だった時代に、約半年で100万枚を売り上げるというのは、とてつもないスピードだったからこそ、話題性もあったのでしょう。

鍵となったのは、明るい曲調、軽快なテンポに乗せて語る歌詞の醸し出す、ほのぼのとしたおとぎ話的な郷愁だと思います。

何事につけきびしい大都会ニューヨークで勝負してきた青年が、さて身を固めようかと思ったとき、ふるさとの幼馴染に「もう二度とどこにも行かないよ」というかたちでプロポーズする……。

いやまあ、そんなにうまいこと行くものかとは思うけれども、そんなことが実際にあったらいいなとほほえましく感じられるお話だということです。

もちろん、惨憺たる時代だった1930年代大不況の爪痕も、それとなく織りこんでいます

駅を仕事場とする靴磨きの少年が、これから列車に乗りこもうとする見込み客に「乗車賃はお持ちで?」と聞くとか。まさかそんなことはないでしょうが。

そしてアメリカ人ならふつうは朝飯にするハムエッグスが、最上のディナーだとか。それもこれも、背景となる時代の象徴だけであって、深く考えこんでしまうための材料ではない。それがむしろ、ポピュラーソングの良さなのではないでしょうか。

じつは、突然こんな古い曲を思い出したについては、ある小さな事件がきっかけとなっています。まあ、私が思い出すのは、ほとんど自分が生まれる前に書かれた古い曲ばかりなのですが。

上司ひとりを殺し、拳銃自殺というのはアメリカでは小さな事件だが……

アメリカでは、年間約2万人が銃による殺人事件の犠牲になっています。そういう国で郵便局員が直属の上司ひとりを銃で撃ち殺し、逃走中の自動車の中で自分の頭を撃ち抜いて自殺したというのは、小さなローカルニュースに過ぎないでしょう。

しかし、その陰に新しいものが登場するたびに古いものを捨て去っていく、アメリカ文明の基本形が浮かび上がってくるような気がするので、あえて『チャタヌガ・チュー・チュー』の牧歌性と対比して、この「大きなスモールタウン」のその後を取り上げてみようと思ったのです。

チャタヌガ市中央郵便局で、若い局員がふだんから口論の絶えなかった直属の上司を殺して自動車で逃亡する途中、車内で自分の頭も撃ち抜いて自殺し、クルマをネイルバーの店に突っこませるという事件を起こしました。

最初の2枚の写真が上司を銃で撃ち殺した現場であり、次の2枚が犯人がハンドルを握ったまま自殺したあとにクルマが突っこんだネイルバーの犯行直後の写真です。

事件の背景として、ネット化で手紙・葉書の配達需要が激減し、全米で約460あった集配センターのある中央局を200以下に削減する計画が2011年の時点で策定されていたという事実があります。

実際には、今年8月の段階でも集配センターのある局は全国に350以上残っていました。それだけ、郵便に頼る人々や労働組合の反発が大きかったのでしょう。

その中で、チャタヌガ中央局も統廃合の対象になり、中間管理職は効率化を推進する経営陣と、職を守ろうとする現場職員の板挟みになっていたのだろうと思います。

上司を撃ち殺した犯人は、自分のクルマで逃走する途中、車を走らせたまま自分の頭を打ち抜いて、写真左側の「ネイルバー」の看板を掲げた店に突入させました。右側は大破した店内の様子ですが、かなりのスピードで突っこんだことがうかがえます。

他人の命を奪ったから自分も死ぬというのは潔さそうに見えますが、罪もない大勢の人を巻き添えにするやり方はまったくいただけません

ネイルバーというのはネイルペイントを待つあいだ酒を飲んでもらう業態で、おしゃれな若者たちのたまり場になっているようです。郵便局員という地味な仕事をしていた犯人が、そういう人たちのことを最期の道連れにしたいと思うほど、うらやんでいたということなのかもしれません。

新技術が登場すると、旧技術が捨て去られる文明

それにしても、インターネットの普及で郵便配達需要が激減するやいなや、集配センターを半分以下に絞りこもうという方針もまた、なんとも余裕のないスタンスだと思います。

そして、アメリカは、約1世紀前に自動車が陸上交通でもっとも実用性の高い交通機関としてのし上がってきた頃、先行していた鉄道網をほぼ完全に切り捨てることによって大きな問題を抱えこんだのではなかったでしょうか。

私は、日本は世界中からいろいろなものを取り入れるけれども、何かを取り入れても前からあった同じような役割のものを捨ててしまうことはない、追加挿入型の文明だと思っています。

だからこそ人口稠密な大都市とその郊外を結ぶ交通機関として、安全で安上がりに大量輸送を担える鉄道網が衰退することはありませんでした

逆に、アメリカは自動車と飛行機を取り入れたら鉄道網をほぼ完ぺきに除去してしまう、上書き消去型の文明です。

去年、おととしと今年ほど驚天動地の大事件が続発していなかった頃、アメリカの食品加工会社が次々にハッカーにネット内に保存していた帳簿類をロックされてしまって、日常業務に差し支えるので巨額の身代金を払って、解錠する方法を教えてもらったというニュースが出ました。

アメリカ企業は「ペーパーレス化」と号令がかかると、ネット上に置いてある帳簿の内容をときどきプリントアウトして保存するどころか、インターネットとつながっていない「冷たい」コンピューターにコピーを保存することさえしない会社が多いようです。

黒塗りのT型フォード1車種で量産効果を最大限発揮して、ふつうの工場労働者の賃金でも自動車が買える社会を創出したのは、たんなる技術だけではなく、文化的にも偉大な革新です。

しかし、平均的な賃金を得られない貧困層は細々と運行されているバスを頼りに大都市中心部で生きていくしかないというところまで鉄道を廃絶してしまったのは、致命的な失敗でした。

今では、アメリカ中の大都市が自衛手段をカネで買える大金持ちと、どんなに不便で割高でも公共交通機関のある町でしか生きられない貧しい人々だけが残り、中間層の消え去った都市になっています。

テネシー州のチャタヌガという地名は、白人にとっての開拓時代に先住民(アメリカン・インディアン)の部族語で、深い川のほとりという意味だそうです。テネシー川の川幅はそれほど広くないけれども川底までの水深が深いので、大型汽船の発着できる良港がありました。

それとともに、鉄道ではオハイオ州最南端のシンシナチからほぼまっすぐ南下する鉄道があり、これが元祖チャタヌガ・チュー・チューです。

そして、この歌の主人公が乗った、ニューヨークからワシントンを経てノースカロライナ州シャーロットまで東海岸沿いに南下してから内陸に入る鉄道も通っていました。

ふたつの鉄道と汽船が発着する港との結節点として、チャタヌガは鉄道・汽船全盛期には水陸交通の重要な拠点でした。

この写真が撮られたのは、1947というから驚きです。その頃までチャタヌガ周辺では汽船はごくふつうの実用的な水上交通機関でした。今でも、そうした時代を思い起こすよすがは、歴史遺産として残っています。

ただ、鉄道遺跡はいろいろ残っているのですが、実際に列車が運行されているのはルックアウト(見晴らし)山に登るために急勾配をスイッチバックするインクライン鉄道とテネシーバレー(峡谷)鉄道博物館で運行している遊園地のおとぎ列車のようなアトラクションだけです。

ターミナル駅は残っていますが、高い天井を利用したホテルロビーに使われ、客室は止まったままの寝台車という趣向の観光ホテルになっています。

派手な赤と緑に塗り分けられた蒸気機関車が観光客を迎えてくれますが、その機関車が発着するための線路は完全に撤去されています。このアメリカ一大きなスモールタウンでは、鉄道は実用的な交通機関としての役割を完全に喪失してしまったのです。

文化的伝統さえも形骸化して残っているだけ

チャタヌガが誇るべき文化的伝統についても、まったく同じような風化が進んでいます

現在マーティン・ルーサー・キング大通りと改名した昔の9番街は、ビッグ・ナインとも呼ばれていて、伝説的なジャズやブルースのミュージシャンが演奏し、歌うライブハウスがあちこちにあって、賑わった場所でした。

中でも、いまだに「ブルースの女帝」と神格化されているベッシー・スミスが、まだ少女時代に歌いながら道を歩いて道行く人の投げ銭をもらっていたというエピソードは、クラシックブルースというジャンルの愛好者なら知らない人はめったにいないでしょう。

市当局もこの事実を誇りにしていて、当時のミュージシャンたちの常宿だったマーティン・ホテルの跡地に、ベッシー・スミス文化センターを設立しています。

マーティン・ルーサー・キング大通りには、大きな壁画一杯に初期ジャズとブルースの伝説の巨人たちが描かれています。次のコラージュのうちの下半分です。

テネシー州東南部についての観光ガイドサイトも、もちろんこのベッシー・スミス文化センターを最大級の観光名所として推奨しているのですが、そこで私としてはちょっと当惑したことがあります。

そのサイトで「これがベッシー・スミス若き日の姿」と紹介されている左上の写真が、たとえベッシーの顔かたちを全然知らない人が見ても、解像度の良さだけでこれは1894年に生まれ、1937年に亡くなったベッシーの写真であるはずがないとわかる代物なのです。

ジャズヴォーカルのファンなら、一目でサラ・ヴォーンの若い頃と見抜くでしょう。現存している数少ないベッシー・スミス若かりし日の姿は、右上の写真が伝えています。

こういう人違いの写真を平然と掲載するのは「黒人は男性と女性の区別ぐらいはできるが、ひとりひとりの個性などわからないし、わかろうと努力する価値もない」と告白しているようなものです。

黒人文化の遺産を貴重だと言っている人たちがこれでは、その伝統を忠実に継承するのは至難のわざではないでしょうか。

チャタヌガでは今、もっとひどいことが起きている

つい最近、チャタヌガでもっとひどいことが起きているというニュースに接しました。世界経済フォーラムが推進している「スマートシティ計画」に参加している約40都市の中に、チャタヌガも入っているというのです。

次の図表の右上が、この計画に参加している先進国の都市一覧です。

この表を見ていると、先進国から参加している都市はほぼふたつの類型の中に納まりそうです。

  1. 都市として、あるいは国全体として世界に果たす役割が縮小してきているので、なんとか退勢を挽回したい都市
  2. 自己評価に比べて世間の評価が低すぎると思っていて、なんとか注目を集めたい都市

ようするに、健全に発展しているし、その発展に自信を持っている都市はおそらくひとつも入っていないだろうということです。

ただ、アメリカ中で住民に占める10億ドル長者の比率がいちばん高いサンノゼだけは、例外かもしれません。

それもそのはずです。スマートシティ計画というのは、中国政府がすでに実現している顔認証カメラ網を張り巡らせて、住民ひとりひとりの一挙一動を捕捉しようという、全面監視社会化計画なのですから。

サンノゼに住む10億ドル長者たちは、安全を買うための自己負担がだいぶ節約できると大喜びでしょう。

世界経済フォーラムは、この計画を推進するためにまず「大都市は耐えられないほど人口集中が進んでいる」と決めつけます背景写真はおそらく、日本の大都会で通勤時の駅周辺の雑踏を撮ったものでしょう。

彼らはもちろん、そんなことは一言も言いませんが、鉄道の利用によって見ず知らずの人たちの中での立ち居振る舞いを学んでいる日本の都会人は人口200万人以上の大都市でも犯罪発生率を低く保っています

そして、欧米の都会人ならあちこちでののしり合いや殴り合いが起きる狭苦しい環境の中でも、安全で平和に暮らしているのです。

そういう美点を持っている日本の都市が、そしてかつて交通の要衝だった頃にはのどかな田舎町の良さを持っていたチャタヌガが、いったいなぜ全住民を監視し、個別管理しなければならないというのでしょうか

その秘密を解く鍵が、2020年春以来のコロナ騒動の本質だと思います。

たとえば、大疫病が起きたとき、その疫病に感染したと疑われる人たちを集めてカメラで眺め渡せば、どんな生活習慣病にかかっているか、その進行度合いはどうか、どんな既往症を持っているかが、顔を確認するだけでわかってしまうというわけです。

しかし、たまにしか起きない疫病対策としてどんなに効率的だったとしても、そのために日常生活での行動の自由を譲り渡しても惜しくないと思う人がいったい何人いるでしょうか。おそらく圧倒的な少数派でしょう。

そこで彼らは、こう説得するのです。

昔、天災は忘れた頃にやってくるものだった。だが、現代世界では、疫病は忘れる暇もないほど次々に我々を襲ってくる。今度やって来る疫病がどれほどすさまじいものか誰にもわからないのだから、あなた方はある程度行動の自由を束縛されることになっても、我々の暖かい監視の目で守られていなければならないのだ」と。

それが、近ごろ流行りの「ウィズ・コロナ」という標語の意味なのではないでしょうか。

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編集部より:この記事は増田悦佐氏のブログ「読みたいから書き、書きたいから調べるーー増田悦佐の珍事・奇書探訪」2022年12月15日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は「読みたいから書き、書きたいから調べるーー増田悦佐の珍事・奇書探訪」をご覧ください。