山上容疑者はデジタル感染の重症例?

米紙ニューヨーク・ポスト9月17日電子版には米国の著名な心理学者ニコラス・カーダラス博士の「ソーシャルメディアが如何にティーンエージャーを文字通り精神的病にしているか」というタイトルの記事が掲載されていた。

記事の内容は米国社会の若者たちにソーシャルメディアによる精神的病が蔓延していると指摘し、日々の生活にも深くかかわるソーシャルメディアの影響を実証的に記述している。同博士はわれわれの社会を「デジタル社会」と呼び、新型コロナウイルスの生物学的感染ではなく、人間の心理的免疫システムを破壊する「デジタル感染」が世界で広がっていると警告している。

当方がこの記事に強い関心をもった直接の理由は安倍晋三元首相を暗殺した山上徹也容疑者の犯行動機について考えていたからだ。

山上容疑者が安倍元首相の暗殺への具体的な計画が動き出したのは2021年以降という。それまで同容疑者は安倍元首相に対して暗殺したいと思うほど敵意を持っていなかったという。容疑者は当初、母親の高額献金問題で世界平和統一家庭連合(旧統一教会)への恨みから教会指導者の殺害を考えていたという。それが急遽、安倍元首相射殺へとターゲットが変わっていったが、その背景にはソーシャルメディアの影響があったことが推測されるからだ。

中国武漢発の新型コロナウイルスはパンデミックとなって世界で多くの犠牲者を出した。Covid-19は空気感染などを通じて感染を広げていった生物学的感染だ。一方、デジタル感染は、Twitter、Facebook、Instagram、TikTok、YouTubeなどのソーシャルメディアを通じて様々な精神的疾患が生まれてきているというのだ。

カーダラス博士によれば、ソーシャルメディアによる精神疾患グループを検証していくと、中毒、うつ病、自殺、性別違和といった現象の多くがデジタル社会的伝染によってもたらされたという。

同博士は記事の中で、22歳の大学を卒業したばかりの女性のケースを紹介している。彼女は境界性パーソナリティ障害に悩んでいた。うつ病になり、自傷行為などを繰り返してきた。

彼女は以前は活発な学生で、成績もよく、家庭には精神的病歴を有する家族はいない。彼女が変わってきたのは、「境界性パーソナリティ障害」(BPD)というハッシュタグが付いたTikTokページのスクリーンショット、BPDインフルエンサーや投稿に関心を寄せていった結果、「自分自身もBPD」と自己診断するようになっていったという。生物的病原体コロナウイルスにやられ、コロナに感染するように、デジタル病原体に感染したわけだ。コロナ感染防止もあって、自宅でオンラインに耽る時間が多くあったことも症状を悪化させた。

ちなみに、彼女は治療を受け、全てのデバイスとソーシャルメディアを削除すると、彼女の症状は急速に回復し、自殺したいという思いが消えていったという。

同博士は、「私たちはデジタル社会伝染の時代に生きている。特定の病気は生物学的病原体ではなく、心理的免疫システムを攻撃するデジタル感染によって広がっている。私たちの心理的な脆弱性を見つけ、それを悪用するアルゴリズムが使用される場合、われわれは重病となる」と説明する。

ブラウン大学の医師リサ・リットマン女史は、「ソーシャルメディアへの露出」と性別違和などの以前はまれだった「障害の増加」との相関関係を図にしている。また、Facebook内部告発者であるFrances Haugen氏の議会証言によると、Instagramなど同社の製品が10代の少女の自殺傾向を高め、摂食障害を悪化させたという。有毒なコンテンツの絶え間ない激流にさらされ、気まぐれで浅いインフルエンサーによる影響は特に若い精神にとって深刻という。トランス心理学者のエリカ・アンダーソン博士は、「遅発性の性別違和がソーシャルメディアやトランスジェンダーのインフルエンサーにさらされている若い10代の間に広がっている」と述べている。

カーダラス博士は、「私たちが切実に必要としているのは、ソーシャルメディアのこれらの強力な形成効果をよりよく理解し、今日のソーシャルメディアの世界の荒れ狂う海をナビゲートするために、若者が強力な心理的免疫システムと批判的思考スキルを開発できるようにすることだ」と述べている。

話を山上容疑者の犯行動機に戻す。ソーシャルメディアの影響は21世紀を生きている全ての人に当てはまることで、山上容疑者だけの問題ではない。問題は山上容疑者の安倍元首相像がどうして射殺するまでヒートアップしたかだ。日本社会に蔓延していた反安倍メディアとそのインフルエンサー、ソーシャルメディアの影響は大きい。だからといって、同じデジタル感染下にある全ての人間が安倍氏暗殺へ行動を移すことはないだろう。

それでは、「なぜ、山上容疑者はヒートアップしたか」だ。新型コロナ感染の場合、重症化せずに軽症で回復する患者と、重症化しやすい患者がいる。その違いは、高齢者のほか、がんや糖尿病など基礎疾患がある場合、感染者は重症化しやすいといわれている。

山上容疑者には基礎疾患があったのだ。「恨み」だ。旧統一教会への「恨み」がデジタル感染した山上容疑者を重症化させたのではないか。

「憎しみは憎む側(本人)をも破壊するがん細胞のようなものだ」と語ったパレスチナ人の医師イゼルディン・アブエライシュ氏の言葉を思い出す。同医師は3人の娘さんをイスラエル軍の攻撃で失ったが、「憎悪は大きな病気だ。それは破壊的な病であり、憎む者の心を破壊し、燃えつくす」と述べ、イスラエルとパレスチナ人の和解のために努力している

山上容疑者は「恨み」を止揚できず、デジタル感染が重症化し、暗殺を実行する以外に他の選択肢が考えられなくなるほど追い込まれていったのではないか。一つ疑問は残る。山上容疑者の単独犯行か、共犯者がいたかだ。デジタル感染の場合、感染者は同じ問題を抱えているか、それを理解しているデジタル・コミュニテイーを模索する傾向がある。ひょっとしたら、決定的な影響を与えたインフルエンサーがいたかもしれない。なお、デジタル感染はShadow Pandemic(影のパンデミック)と呼ばれている。山上容疑者の場合、デジタル感染の重症化例というべきかもしれない。

Cecilie_Arcurs/iStock


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年12月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。