田原総一朗です。
2022年が終わろうとしている。時の流れをひしひしと感じる、そんな年末に2冊の本を上梓することができた。
1冊目は『日本という国家』(河出書房新社)、副題は「戦前七十七年と戦後七十七年」。もうお分かりだと思うが、1868年の明治維新から、1945年の太平洋戦争敗戦までが77年、1945年から今年2022年までが77年。2022年は近代国家日本の、区切りの年と言っていいだろう。
その2022年、新型コロナウイルスは収まらず、ロシアのウクライナ侵攻が世界を震撼させ、戦争はいまだ終息の気配もない。また、中国の台湾有事もリアリティを持ち、世界各地で紛争が起きている。食糧危機、エネルギー危機も迫りくる。
日本は大丈夫なのか。この区切りの年に僕が考えたのは、やはり日本の来し方と未来だった。戦後、日本が平和で安全な、豊かな国を築いてきたというのは、幻想だったのではないか――。そんな不安が頭をもたげた。
僕は御厨貴さんとどうしても、日本について語りたくなった。これまで何度も議論を交わしてきた御厨さんは、政治、歴史学者だ。御厨さんは「オーラル・ヒストリー」という手法で、多くの政治家、関係者の聞き取り調査を続けている。個々の記憶や考えを丹念に聞いたうえで、歴史を俯瞰して考えているのだ。
だからこそ僕は御厨さんを、深く信頼している。明治維新から現在の政治まで語りつくし、改めて、歴史に学ぶことは多いと強く感じた。たとえば、明治時代の日露戦争についてだ。
歴史家の多くは、「日露戦争で日本は道を間違えた」と言う。しかし、僕はそう思わない。御厨さんも同意してくれて、こう語った。
日露戦争で道を間違えたのではなく、日露戦争の総括をしなかったことが、問題だと考えています。
御厨さんは、その後日本が戦争に巻き込まれ、ことごとくうまくいかないのは、「日露戦争の総括をしてないから」だという。総括できなかったのは、軍人や上層部が、「かろうじて勝った戦争だ」とは言いたくなかったからだ、と御厨さんは説明する。
それが「日比谷焼き討ち事件」にもつながる。日露戦争に辛くも勝利した日本は、ポーツマス条約を締結した。ところが国民は「辛勝」だとは知らされない。賠償金がないなど、講和条約の内容に不満を持ち暴動となった。それが「日比谷焼き討ち事件」だ。死者17名、負傷者約2000名にものぼった。
「焼き討ち事件」が起こったことも、「総括」を難しくした。
政治家にとって一番難しいのは、かろうじて勝った戦争をどう総括するかなんです。
御厨さんの意見に、僕は深くうなずいた。敗けた戦争についても然りだ。あの太平洋戦争についても、日本はいまだ「総括」していない。
悪かった点、まずかった点をオープンにし、「総括」できない体質を改めない限り、日本の未来は暗いのではないか。政治だけではなく、企業もまた同様である。
御厨さんとは、5月、7月の2度にわたって議論を重ねた。7月8日には安倍晋三元首相が銃殺されるという、あの衝撃的な事件が起こった。安倍長期政権の功罪については、御厨さんとも多くの時間を割いて議論した。
安倍政権の「功」について、御厨さんと共通した見方は、やはり外交の成果である。「首脳外交というものを、日本は安倍さんのときにやっとできるようになった」と御厨さんは言う。
まったくその通りで、それ以前は、毎年首相が変わるから、本気の話し合いができなかったのである。そして安倍さんは、アメリカからも、ロシア、中国からも信頼を得た。
安倍元首相は、自分が理想とする、やりたいことがはっきりしている政治家であり、首相だったと思う。ただ、長期政権となり、周りの議員たちがすべてイエスマンになっていった。安倍元首相本人もそれを嘆いていた。
安倍元首相については、12月7日に上梓された、もう1冊の著書『さらば総理』(朝日新聞出版)で、語らせていただいた。
安倍元首相のほか、田中角栄、中曽根康弘、福田赳夫、小泉純一郎……そして菅義偉前首相らとの秘話をまとめ、副題を「歴代宰相通信簿」とした。
実は、御厨さんと対談したのは、安倍さんが撃たれた4日後のことだった。その日、赤坂での対談を終えて外に出ると、安倍さんの棺を乗せた車が、国会議事堂のほうへと通り過ぎたのである。まったくの偶然だった。僕とまだ話したい、と思ってくれたのであろうか。僕はまだまだ安倍さんと話したかった。
編集部より:このブログは「田原総一朗 公式ブログ」2022年12月16日の記事を転載させていただきました。転載を快諾いただいた田原氏、田原事務所に心より感謝いたします。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「田原総一朗 公式ブログ」をご覧ください。