会長・政治評論家 屋山 太郎
私が通信社に入社し、政治部に配属されたのは丁度、岸信介内閣が安保騒動で倒れた1960年だった。当時、政界では金を集めてきて子分を増やす“金権政治”が猖獗を極めていた。
制度の改善を願う連中が、同じ中選挙区制度で選出された仲間同士だったのが致命的だった。同一の選挙区から選ばれた同じ党の候補者では、異を唱えにくい。佐賀県などは定員5人全員が自民党出身者だった。政治資金を親分が賄い、子分を候補者に立てる。これで子飼いを増やして党内の選挙で総裁になる。与党は総裁を総理大臣にすることができるから、子分の多い派閥が総裁を出すのに有利である。
金集めのやり方も福田赳夫元総理は「浄財を集める」と言っていた。浄財とは宗教や慈善などのために寄付する金銭のことだが、そこには「常識的に無理しない」という儒教道徳的なニュアンスがあった。古い男たちの論理だが、田中角栄元総理の集金には一切限度がなかった。派閥が抱える人員は50人が限度と言われた時代に150人近くの子分を集め得たのである。
この結果、政治資金の分野には泥棒と同格の人物が出入りするようになった。日本高速道路、新幹線の建設計画は田中角栄氏の下で作られた。その目的のための敷地も国が買収した。公共事業のデカイものはほとんど田中氏の手にかかり、その儲けの一部は政治資金として還流した。
この醜態に対する失望と怒りの矛先が政治体制への怒りとなって表れた。1994年選挙制度の法改革が行われ、新制度下、最初の選挙は96年に行われた。当時、私も選挙制度審議会に参画し、世界の選挙制度を学んだ。
驚いたのは、多くの国が小選挙区制で選挙を行う結果、各種政党が誕生し、政権交代が起こることである。最近の日本では逆に、政権交代が起こらないから「選挙制度を変えよ」という議論が出る。しかし政権交代が起こらないのは、公明党のような宗教政党が与党に食い込み、共産党のような独裁主義的な体制の政党が存在し続けているからだ。
政治資金が何にいくら使われてきたのか、当時、信頼できる資料はなかった。選挙制度の変更に当たって最大の改革は、必要な政治資金は「国が賄う」という仕組みを導入したことである。その金額は国民一人当たり250円に相当し、22年の年間総額は約315億円である。それでも若干足りないので、自らも集めていいことになっているが、昔のようにどこにでも手を突っ込んで良い訳ではない。
選挙制度の変更の際には、禁止事項を山ほど作った。それまで公共事業といえば談合があり、その際、政治が紛れ込んだものである。このため談合を全て禁ずる新手を盛り込んで独禁法まで改正した。
政治に大分お金が掛からなくなった筈なのに、政治とカネの問題は相変わらず続いている。今度は薗浦健太郎議員がパーティー収入の過少申告で辞任だという。どうしたものか。
(令和4年12月21日付静岡新聞『論壇』より転載)
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屋山 太郎(ややま たろう)
1932(昭和7)年、福岡県生まれ。東北大学文学部仏文科卒業。時事通信社に入社後、政治部記者、解説委員兼編集委員などを歴任。1981年より第二次臨時行政調査会(土光臨調)に参画し、国鉄の分割・民営化を推進した。1987年に退社し、現在政治評論家。著書に『安倍外交で日本は強くなる』など多数。
編集部より:この記事は一般社団法人 日本戦略研究フォーラム 2022年12月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は 日本戦略研究フォーラム公式サイトをご覧ください。