国際情勢の変化に伴い安全保障戦略を更新することは重要だが、対外的脅威だけではなく対内的脅威への対処についても国家戦略を策定すべきである。なにしろ日本には具体的な定義も共通理解もなく特定団体をカルトと呼び攻撃する者が非常に多い。
7月8日以降に突如、出現した統一教会報道の教訓は同教会に関する被害者救済ではなく日本国内の自由社会から外れた「異形」と呼べる団体への対処法を規定した国内安全保障戦略の策定である。
異形団体への対処法について政府も政党も国民も何も戦略がないから左派マスコミによる統一教会報道を真に受け混乱し大いに時間を浪費した。これを繰り返さないための国内安全保障戦略の策定である。
一口に異形団体といっても暴力団・極左暴力集団・旧オウム真理教・旧統一教会・朝鮮総連・日本共産党と様々ではあるが私達が自覚すべきは政治・宗教・民族団体は精神的結社の側面があるということだ。精神的結社の側面があるから完全な意味で解散はできない。
ここが同じ異形でも営利団体の暴力団とは違うところである。営利団体の場合は構成員を別の営利団体に転職させれば済む。「ヤクザから堅気」になってもらえば良いのである。
しかし、精神的結社は所属先を変えても思想・信条・民族意識は内面のことだから存続する。必要なのは転向だが、転向は人権侵害である。また、上手くいかないと考えるべきである。
このことから異形の政治・宗教・民族団体は解散ではなく健全化を目的とすべきである。具体的な健全化措置として構成員による違法行為の摘発の徹底は当然として団体所管(実質も含む)の施設への立ち入り検査・使用禁止、団体による所属構成員・財務情報の報告義務化、不祥事の再発防止計画の策定の義務化などが挙げられる。特に所管施設への立ち入り検査・使用禁止は構成員の過剰な結束、過激化の防止が期待できる。
異形団体の暴力・秘密活動の阻止を徹底することが健全化措置の基本である。
もちろんこれだけではない。国家による健全化措置への抵抗として異形団体がその特性を生かして国政中枢に圧力を加える危険性がある。国政中枢への圧力は敵の大将首を狙うことと同じである。圧力対策は健全化措置の大前提である。
異形団体による具体的な圧力として構成員による集団的な威圧、ハラスメント、ストーカー行為などが挙げられる。特定の国会議員を長時間・長距離に渡り追跡したり国会前に多数で集合し金切り声をあげる行為も立派な国政中枢への圧力である。政治家も人間である。集団的な威圧、ハラスメント、ストーカー行為には対抗できない。
国会は私達が選出した「国民の代表者」が法と予算について審議する施設である。それを国会前デモの名目で妨害されてはたまらない。国政は麻痺し肝心の健全化措置が実施できなくなる。
異形団体による国政中枢への圧力を封じるためにも警備に従事する現場警察官に政治家・国政重要施設(国会・首相官邸・政党本部等)へ正当な理由なく接近する不審者に対し停止命令を出せる権限を付与すべきである。
ここまでのことを整理し7月8日以降、日本に必要な国内安全保障戦略を簡潔に表現するならば異形の政治・宗教・民族団体に対しては警察力を用いて国政中枢の防御を固めつつ健全化を強制することである。
団体の解散を追求しないこの国内安全保障戦略に「手ぬるさ」を感じる者も多いだろうが、やはり団体の解散を追求した治安維持法の「負の歴史」は真摯に受け止めるべきだし、満点ではなにしろ一応、戦後日本は異形団体に対抗できている事実も考慮したい。
戦後日本は日本共産党の武装闘争も阻止したし極左暴力集団の封じ込めも成功している。旧オウム真理教の毒ガス攻撃はかなり危うかったが、それもなんとか乗り切った。
話題の統一教会に対しては事件化できるものは徹底的に事件化し2009年にコンプライアンス宣言を出させることにも成功した。私達はもう少し自分のいる社会の強靭さに自信を持っても良い。
だから異形団体の存在に過剰反応すべきではない。必要なのは団体を解散・消滅させることは野蛮なことだといった余裕である。殲滅・根絶主義を放棄することは恥じることではない。むしろ誇るべきことである。
話を戻すが「異形団体取扱説明書」とも呼べる国内安全保障戦略の策定に向けて政治家は指導力を発揮すべきである。
7月8日以降の統一教会報道への世論の反響を見る限り率直に言って国内安全保障戦略がないと日本の世論は極めても脆い。この脆さは外国の侵略者を呼び寄せるほど危険である。