事故当時の東電幹部に13兆円の賠償を命じる(世界最高額の)判決
東日本大震災に伴って発生した福島第一原発事故から11年余、その深刻かつ重大な被害から今も逃れられない多くの被災者がいる。事後発生時からこれまでの間に、故郷からも我が家からも引き離され、失意のうちに亡くなった人も少なくない。
東京電力の当時の旧経営陣に対して、事故を発生させた責任の所在を明らかにし、法的責任を追及しようとする動きの前に、日本の法制度の壁がたちはだかった。業務上過失致死傷罪という「犯罪」による処罰を求めて告訴したが、検察は不起訴、検察審査会の起訴議決で「強制起訴」されたものの、一審は全員無罪の判決が出ている。
そうした中、原発事故被害者の東電の株主48人が、旧経営陣5人に対し、津波対策を怠り、原発事故が起きたために廃炉作業や避難者への賠償などで会社が多額の損害を被ったとして、東電旧経営陣に対して提起した「株主代表訴訟」に対する一審判決が、2022年7月13日に言い渡された。
東京地裁は、巨大津波を予見できたのに対策(原発建屋などの水密化、内部に水が流入しない対策)を先送りして事故を招いたと認定。取締役としての注意義務を怠ったとして、勝俣恒久元会長と清水正孝元社長、武黒一郎元副社長、それに武藤栄元副社長の4人に対し、連帯して13兆3210億円を支払うよう命じた。
通常、個人より高額になるはずの会社への賠償額を含めても、世界最高額になると思われるような莫大な金額だ(これまで裁判上の手続きにおいて一度に確定した賠償の最高額は、英石油大手BPが2010年4月にメキシコ湾で起こした大規模原油流出事故の、BPと沿岸政府・自治体との訴訟和解賠償金としての総額が208億ドル[約2兆5000億円]と推測されている)。
この判決のわずか一か月前の6月17日に、同じ東京電力福島第一原発事故をめぐって、最高裁判所が、原発被災者に対する国の賠償責任を否定した判決を出していた。
それもあって、この「13兆円賠償命令判決」に対して、
「現実離れした賠償額に驚く」(読売「社説」)
「またもや司法の大迷走だ」(産経「主張」)
など、異常な賠償額や、最高裁判決との矛盾などを理由に批判的な報道がある一方で、朝日は、社説「断罪された無責任経営」のなかで
「事実を踏まえた説得力のある指摘だ。最高裁の判断は早晩見直されなければならない。」
と指摘し、東京は、社説「甘い津波対策への叱責」のなかで
「後世に残る名判決」
と評価するなど、マスコミの評価はみごとに真っ二つに割れた。
このように、裁判所の判断とそれに対する評価が大きく分かれたのはなぜなのか。その原因については、これまで殆ど報じられて来なかった。
株主代表訴訟は、「会社のための訴訟」であり、取締役と会社の間の内部的な問題なので、勝訴しても賠償金は会社に対してのみ支払われる。賠償金の支払を受ける東京電力は、リスクの高い事業によって収益を上げ、その恩恵にあずかってきた立場である。被害者が加害者の法的任追及をする「本来の手段」とは言い難い。被害者にとって「一銭の得」にもならず、単に、東電経営者に膨大な金銭的損失を負わせることで、処罰感情を満足させる意味しかない。
しかし、一見「筋違い」にも思える訴訟で、訴訟大国アメリカでも類を見ない、もちろん日本でも前例のない、異常な金額の賠償を命じる判決が出された。それは、日本の原子力損害賠償法(以下、「原賠法」)の枠組みの構造的欠陥と、それに起因する原子力事業における電力会社の「ガバナンス不在」の現実を反映したものだった。
原発をめぐる政府の方針転換
2011年の東京電力福島第一原発の事故以来、歴代首相は原発の新増設を認めず、電力発電に占める原発依存度は可能な限り低減させる政策を貫いてきた。ところが、岸田文雄首相は、ロシアのウクライナ侵攻で発生した石油や天然ガスの供給不安をエネルギー危機と捉え、
「原子力規制委員会による設置許可審査を経たものの、稼働していない7基の原子力発電プラントの再稼働へ向け、国が前面に立つ。」
「既設原子力発電プラントを最大限活用するため、稼働期間の延長を検討する」
「新たな安全メカニズムを組み込んだ次世代革新炉の開発/建設を検討する」
などの方針を打ち出している。
しかし、福島原発事故までの原発事業は、実際には、原子力事業者だけに責任を押し付ける原賠法の異常な枠組みの下、各電力会社は、「原発安全神話」を前提に、「いざとなったら国が助けてくれる」という全く自律性を欠いたガバナンスによって運営され、それが多くの重大な不祥事の原因にもなってきた。
今回、民事の損害賠償命令として「異常な金額の賠償命令判決」が出されたのも、「原賠法の特異な法的枠組み」と、それに起因する電力会社の「ガバナンス不在」が原因で、福島原発後も、重大な電力会社不祥事が相次いでいる。岸田政権がそのような現実に全く目を向けることなく、日本の原発政策の大きな転換を行うとしていることには重大な問題がある。
原賠法による損害賠償責任の特異性
原賠法が定める日本における原子力損害の賠償責任は、「無過失責任」とされている。原子力事業者側は、そもそもそのような危険な施設を設置し、事業を行うことで巨額の利益を得ているのであるから、危険なものを管理する者は、過失がないとしても、そこから生じた損害に対して責任を負うべき、という「危険責任」の考え方や、被害者からの賠償請求を容易にする「被害者保護」の観点から、原賠法は、被害者が加害者に故意又は過失があったことを立証する義務を不要としている。
このような原子力損害についての「無過失責任」は、発電所を持つ諸外国においても一般的に採用されている。
原賠法は、「異常に巨大な天災地変又は社会的動乱」による場合には賠償責任を負わない規定を設けている。しかし、法的にみても、「異常に巨大な天災地変又は社会的動乱」との文言からして、単なる不可抗力は想定しておらず、戦争などに比べても「想像を絶するような事態」「超不可抗力」だと解釈できる。東日本大震災と、それに伴う津波のレベルであれば、上記の規定が適用される余地はない。
原賠法には、とくに原子力事業者の責任制限、金額の上限等についての規定がなく、他の一般的な法律同様、原子力事業者は無限に責任を負うものと理解されている。
原発事故について、このような「無限責任制」を採用する国は、他にドイツやスイスなど極めて少数であり、アメリカをはじめ、他の多くの国の原賠法制度では、原子力事業者の賠償責任に一定の限度を設けていて、世界的には、有限責任が基本的な原則の一つとされている。
「無限責任」を負うことが、万が一原発事故が発生した際に、どれだけの金額に上るのか。原賠法制定の2年前の1959年に、科学技術庁が社団法人日本原子力産業会議に委託して行った調査の報告書が存在する(「大型原子炉の事故の理論的可能性及び公衆損害額に関する試算」)。これによれば、当時の貨幣価値で最大約3兆7,000億円の損害が発生するとの試算が出されている。当時の国家予算の2倍以上という莫大な金額だ。
このように厳格な「無限責任」を負わされる原子力事業者は、万が一原発事故が発生して損害が発生した場合、「莫大な責任」を負うことになるので、その履行の担保が必要となる。そこで、原賠法及び補償契約法では、「民間保険契約」と「政府補償契約」の締結を義務付けており、これらの損害賠償措置を講じていなければ原子炉の運転等を行ってはならないと規定している。
民間保険契約は一般的な事故をカバーするのに対し、政府補償契約は民間保険契約では補償されない部分(地震、噴火、津波等)を対象としていて、万一事故が発生した場合、いずれか一方から一事業所あたり最大1,200億円(法制定当時は50億円だった。)が支払われる仕組みになっている。
しかし、賠償措置額は、法制定時で50億円、現在でもわずか1200億円であり、試算された被害想定額と比較してあまりにも少額であり、それを超える金額については、原子力事業者が自ら支払う義務が残る。しかし、その履行の確保について、原賠法は、何の仕組みも設けていない。
原子力事業者への責任集中及び求償権の制限
原賠法は、原子力事業者以外の者は一切の責任を負わないとする「原子力事業者への責任集中」を規定し、原子力損害については製造物責任法等を適用除外とすることとし、賠償責任を負った原子力事業者は、他に自然人の「故意」により損害が発生した場合にのみ求償権を有することとしている。メーカーや工事会社等の原発関連事業者は、原子力損害についての損害賠償責任を基本的に負わない仕組みとなっている。
製造物責任の考え方でいけば、本来は、製造物の生産で利益を得ているメーカーは、製造物に「欠陥」があり、「欠陥」のある原発プラントを設置した場合には、原発メーカーが「無過失責任」を負うことになるはずだ。ところが、原賠法は、メーカー等のこうした重い責任を免除し、原子力事業者にのみ責任が集中する仕組みを採用した。
その理由については、
① 被害者が賠償請求の相手方を容易に特定できること
② メーカーや工事会社等の原発関連事業者を被害者の賠償責任との関係で免責することにより、民間企業が巨額の賠償責任を負うことを恐れて参入しなくなる事態を避け、原子力産業を健全に育成し、原発資材供給等の取引を容易にすること
③ メーカー等も責任を負う可能性があれば、それに対して保険加入を求めるようになるが、そうなると保険業界として各事業主体に十分な保険を用意できなくなるおそれがあるので、原子力事業者のみに責任を負わせ、重複なく保険による賠償措置を講じることができるようにして、原子力事業者のために提供される保険の引受能力を最大化するため
などと説明されている。
このうち、①は、被害者が賠償請求を行う相手を原子力事業者に集中させる理由としては理解ができるが、求償権を制限して、原発メーカー等を免責する理由にはならない。③「保険の集中の必要性」については、前述したように、保険によって賄われる賠償措置額が、被害想定と比較して少額すぎ、集中させたところでたかが知れている。むしろ、大企業の多い原発メーカーなども、責任主体に加えたほうが、被害者への賠償責任を果たすという意味では適切とも考えられる。
結局、原発メーカーの製造物責任をほぼ全面的に免責にする理由は、実質的には、上記②の「民間企業が巨額の賠償責任を負うことを恐れて参入しなくなる事態を避ける」ということしかあり得ない。
しかし、民間企業という意味では、原子力事業者となる「電力会社」も同じである。同じく原発をビジネスとする企業であっても、電力会社は無過失責任、無限責任を負うのに対し、原発メーカーは原発事故に対してほぼノーリスクというのは明らかに不公平だ。
なぜ、原賠法がそのような不公平な制度の枠組みとなったのか。実際には、原発メーカーが免責されたのは、政治的・外交的理由であることが明らかになっている。その経緯には、GE(ゼネラル・エレクトリック)、東芝等の原発メーカーが関わっていた。
立法当時、米国らは冷戦時代に突入し、軍需産業としての原子力産業維持のため、原子力の平和利用を国策として積極的に推進していた。
この米国の意向を受けたGEは、円滑・安全なプラント輸出のために、自社の完全な免責に強くこだわり、日本の原賠法の立法過程にも口を出していた。原子力災害補償専門部会での当初案では「故意若しくは過失」により原子力損害を生じさせた場合には原子力事業者が求償できるとの規定であったのが、GEや東芝などの原発メーカーの要求によって過失責任が削られ、最終的に、原発メーカーは「故意」に原子力損害を生じさせた場合でない限り、何らの責任も負わない規定となったのである。
このような規定は、原子力事業者に、不当な責任を押し付けられているという意識すら生じさせかねず、原発メーカーのモラルハザードを生む危険性がある。
非常にあいまいな「国の責任」
原賠法は、賠償責任が賠償措置額を超える場合の国の責任について、「必要と認めるとき」は、政府が原子力事業者に対して「必要な援助」を行うという極めて曖昧なものにとどめている。
世界では少数派と言える「無限責任」を原子力事業者に負わせることに加え、原子力事業者の資力を上回る損害が発生した場合に「援助」するに過ぎないというのも、我が国独自の制度であり、それによって、「国の責任」は非常に曖昧になっている。
「援助」とは、文字通り「助けてあげること」であり、義務ではない。また、援助の対象は原子力事業者であって、被害者ではない。国が直接的に被害者に賠償責任や義務的負担を負うのではなく、賠償責任を一義的に負う原子力事業者に対する資金「援助」を通じての間接的な支援にとどまるという構造となったことで、原子力政策における国・政府の責任や、賠償措置額を超えた場合の原子力事業者が負わなければならない責任の範囲等が、極めて曖昧なものとなっている。
もともとの法律の素案はこんな曖昧なものではなかった。1959年12月12日、故我妻栄東京大学名誉教授を会長とする原子力災害補償専門部会は、原子力事業が国を挙げて取り組む政策である以上、被害者の保護に欠けるところがあってはならないという趣旨から、「損害賠償措置によってカバーしえない損害を生じた場合には国家補償をすべきである」と答申している。
しかし、法案では国家補償制度は見送られ、「援助」という極めてあいまいな規定となった。
同時期に試算された莫大な被害想定が行われていたことを考えると、当初から、国が賠償責任を負うことによる財政的懸念が、原子力事業を開始することの支障にならないように、意図的に国の責任を曖昧にしたのではないかと考えられる。
「原賠法の枠組み」の根本的な問題
科学技術庁の説明によれば、前記の最大約3兆7,000億円という損害の試算は「結果的にはこの法案には直接反映しなかった」とのことである。
通常の経営判断・合理的判断で考えれば、無限責任を負わされ、国の責任はあいまいで、理不尽な規定もある原賠法の下で、莫大な被害が想定される原子力事業に参入し、原子力事業者になろうと手を挙げる民間電力会社など、ないはずだ。
しかし、沖縄電力を除く全国の電力会社が原発を作り、原子力事業者になった。
このような莫大な損害について「無限責任」を負うことを前提に原発事業を行うというのは、「原発事故が発生する可能性はない」という「原発安全神話」を前提にしない限り、私企業の経営者として行い得る判断ではない。しかし、電力各社は、横並びで原発事業に参入した。万が一、法の想定しない莫大な被害が発生した場合には、「国が助けてくれるだろう」と期待し、それ以上のことは考えなかったのであろう。
それは、独立した私企業としての株式会社の経営者の判断としては、あり得ないものであり、客観的に見れば、そのような重大なリスクを伴う原発事業に参入したこと自体が、取締役としての善管注意義務反であり、それを敢えて行う電力会社には「自律的なガバナンス」は存在しなかっと言わざるを得ない。
全国の電力会社経営者は、国策にしたがい、原発事業への参入を決断し、「原発安全神話」を妄信し、原発事故のリスクには目を背ける姿勢で原発事業を運営してきたのである。
そして、東日本大震災に伴う大津波によって福島原発事故が発生、原発周辺の住民に深刻な被害を発生させた。そして、最終的に、その責任追及の矛先が向かったのが、福島第一原発の運営に関わった東電経営陣個人であり、その場となったのが株主代表訴訟だった。
会社法上の「善管注意義務違反」という会社経営者として任務懈怠の責任を問われた結果、合計13兆円という、年収合計の数万年分という異常な金額の損害賠償を命じたのが「7月13日東京地裁判決」だった。
「13兆円賠償命令」判決の必然性
株式会社は営利を目的としており、会社に利益をもたらすような経営をするのが取締役の善管注意義務の中心的な内容であり、会社に損失を与えないよう「善良な管理者の注意義務」を尽くさなければならない。それに反すれば、任務懈怠による損害賠償責任を負う。
事故に関係する東電幹部4人の善管注意義務違反による損害賠償責任を認めた判決の論旨は、誠に明快だった。
まず、原子力事業者である東京電力の取締役の善管注意義務について、一般論として、
「原子力事業者である東京電力の取締役であった被告らが、最新の科学的、専門技術的知見に基づく予見対象津波により福島第一原発の安全性が損なわれ、これにより周辺環境に放射性物質が大量放出される過酷事故が発生するおそれがあることを認識し、又は認識し得た場合において、当該予見対象津波による過酷事故を防止するために必要な措置を講ずるよう指示等をしなかったと評価できるときには、当該不作為が会社に向けられた具体的な法令の違反に該当するか否かを問うまでもなく、東京電力に対し、取締役としての善管注意義務に違反する任務懈怠があったものと認められるということになる」
という前提を示した上、阪神大震災の教訓から、地震の研究成果を社会に発信するために発足した地震調査委員会が、2002年7月31日に公表した「長期評価」(長期的な地震予測)の見解について、
「単に一研究者の論文等において示された知見にとどまらず、津波の予測に関する検討をする公的な機関や会議体において、その分野における研究実績を相当程度有している研究者や専門家の相当数によって、真摯な検討がされて、その取りまとめが行われた場合であって、一定のオーソライズがされた相応の科学的信頼性を有する知見であった」
として、
「相応の科学的信頼性を有する知見として、原子力発電所を設置、運転する会社の取締役において、当該知見に基づく津波対策を講ずることを義務付けられるものということができる」
と評価して、津波の予見可能性を肯定している。
そして、
「原子力発電所の安全性や健全性に関する評価及び判断は、その前提とする自然事象に関する評価及び判断も含め、極めて高度の専門的・技術的事項にわたる点が多いから、原子力発電所を設置、運転する会社の取締役としては、会社内外の専門家や専門機関の評価ないし判断が著しく不合理といえるような場合でない限り、これに依拠することができ、また、そうすることが相当というべき」
とした上、
「何らの津波対策に着手することなく放置する本件不作為の判断は、相応の科学的信頼性を有する長期評価の見解及び明治三陸試計算結果を踏まえた津波への安全対策を何ら行わず、津波対策の先送りをしたものと評価すべきであり、著しく不合理であって許されるものではない。」
などとして、4人それぞれの任務懈怠の時点から津波の襲来時までに水密化措置を講じれば事故も回避可能であったとして、会社の損害と任務懈怠との因果関係も認めた。
歴代の電力会社経営者による「リスクの継承」
原子力事業者である電力会社だけに責任を集中させ、製造メーカーへの求償すら認めないという、原賠法による、あまりに原子力事業者にとって不利な法制度の下で原発事業を行うということは、会社にとって巨大なリスクを伴うもので、その事業実施の決定自体が、電力会社の取締役にとって善管注意義務違反に近いものであったが、当時の電力会社経営者は、原発事業への参入の決定を行い、それが歴代の電力会社経営者に継承されてきた。
そうである以上、その巨大リスクが顕在化することがないように、最新の科学的・専門技術的知見に基づく予見対象津波により、周辺環境に放射性物質が大量放出される過酷事故が発生を防止するために万全の措置を講ずることが、電力会社経営者の当然の善管注意義務だったが、東電の取締役がそれを尽くしていたとは言えないことは明らかだった。
そこには、「国の原子力政策への盲従」、「安全神話の妄信」、そして、「電力会社間の横並びの意思決定」があるだけで、本来、上場企業の経営者として求められる「自律的ガバナンス」は全く存在していなかったのではないか。
福島原発事故前、電力会社の経営者は、日本では放射能漏れを伴う原発事故は起こり得ないという「安全神話」を前提に、その「神話」について、世の中の理解、とりわけ原発周辺住民、立地自治体等の理解を促進するという「理解促進活動」を徹底すること、その関係者・有力者を懐柔し、原発の運転に支障が生じないようにすることが「至上命題」であった。そして、そのためにはコストを惜しまないこと、そして、そのような「理解促進活動」を組織的に行うが、実態の一部は、世の中に知られることがないよう秘密裏に行うことなどが大前提とされていた。
しかし、そのような「安全神話」を前提とするガバナンスは、福島第一原発事故という放射能漏れによる重大事故、悲惨な被害の実態を目の当たりにした、「原発事故後の世の中」においては、到底通用するものではなかった。
「ガバナンス不在」の東京電力経営陣の福島原発事故対応の惨状
原発事業という電力会社事業の根幹に関わる「ガバナンス不在」は、福島原発事故発生直後から、様々な不祥事として顕在化した。
東日本大震災に伴う大津波が襲来し、東電福島第一原発が危機にさらされていた時に、事故当事者の東電代表取締役2人はどのような行動をとっていたのか。
清水正孝社長は「関西に出張中」と報じられたが、実際には平日でありながら妻と秘書を従えて、奈良観光をしていた。大地震による交通途絶のため、東電本社に戻ったのは翌日午前10時だった。3月13日に記者会見を開き、放射性物質の漏洩を謝罪したが、その後、めまいや高血圧で入院したこともあり、公の場に姿を見せたのは事故から1ヶ月目の4月11日だった。
勝俣恒久会長は、東日本大震災当日、副社長とともに、日中の経済交流を進める訪中団の一員として中国にいた。福島原発事故の最中、自衛隊統合幕僚監部運用部長に対して「自衛隊に原子炉の管理を任せます」と東電の事故対応の責任を放棄するかのような発言をしたことも問題とされた。
一つ間違えば東日本が壊滅する程の深刻な原発事故を目の当たりにし、多くの国民が、原子力事業がいかに大きな危険をはらむもので、一度事故が起きれば、多くの市民・国民の生活を破壊し、社会にも壊滅的な影響を与えるものであるかを痛感した。そうした中で、原発事故当事者の原子力事業者である東電の代表取締役2人の事故後のあまりに無責任な対応・言動に、東電のみならず電力会社の経営者全体に対する信頼が大きく損なわれることになった。
「九電やらせメール事件」の原因となった原発「理解促進活動」の不透明性
原発事故後、原発施設の安全対策が十分なのかという客観面の問題に加えて、原発事業を運営する電力会社が、万一重大な事故が発生した場合に、安全を確保するための万全の措置をとり得る能力を有しているのか、情報公開・説明責任等について信頼できるのかという人的、組織的な問題が、社会の大きな関心事となった。
電力会社の「ガバナンス不在」は、福島原発事故後、停止中の原発の運転再開をめぐる世論形成に関する不祥事という形で顕在化した。事故後初の運転再開をめざしていた玄海原子力発電所2、3号機について、経済産業省が主催し生放送された「佐賀県民向け説明会」実施にあたって、九州電力が関係会社の社員らに運転再開を支持する文言の電子メールを投稿するよう指示していた「やらせメール問題」が表面化した。
この問題について、九州電力は、第三者委員会を設置し、委員長には私が就任した。委員会の下で調査を担当した弁護士チームにより、佐賀県の古川康知事の発言を発端に、九州電力が、説明番組に関して、同社及びクループ企業社員・取引先社員等に働きかけて、組織的に「賛成投稿」を増やそうとした事実が明らかになった。
それに加え、2009年の玄海原発3号機へのプルサーマル導入に関する佐賀県主催の討論会でも、「仕込み質問」で会場の市民からの賛成意見を偽装するなど、原発をめぐる議論の透明性を害する行為を行い、そのことが佐賀県側に事前に報告され容認されていた事実も明らかになった。
これらの事実を踏まえ、第三者委員会報告書では、問題の本質を、福島第一原発事故による環境の激変に適応し、事業活動の透明性を強く求められるに至った九州電力が、その変化に適応できず、企業としての行動や対応が不透明であったこと、その背景に、九州電力と原発の立地自治体側との不透明な関係があったことを指摘した。
このような原発事業に関連する「不透明性」が問題の本質だとする第三者委員会の指摘に対して、真部利應社長を中心とする九州電力経営陣は強く反発した。調査開始後まもなく、原発部門は、立地自治体の政治家との関係に関する資料廃棄などの露骨な調査妨害行為を行い、内部告発で、廃棄の最中に発覚しても毅然たる態度をとらなかった。
第三者委員会の調査結果に対しても、「当社の見解」を公表して、古川知事の発言が組織的な賛成投稿の発端だったことを否定し、第三者委員会の調査結果を経産省に報告する際にも、古川知事に関する部分を除外するなどした。
当時の枝野幸男経産大臣は、自ら設置した第三者委員会の意見を否定する九州電力経営陣の姿勢を厳しく批判した。
九州電力は、経産省から再報告を求められたが、その後も、第三者委員会側との対立が続いた。当時、福島原発事故後の、原発の稼働に対して世の中の厳しい見方が続く中で、九州電力の6基の原発はすべて停止しており、原発依存度の高い九州電力の経営は急激に悪化していた。そうした中、第三者委員会側との対立が続き、やらせメール事件からの信頼回復が果たせていなかった九州電力には原発再稼働の見通しが全く立たない状況だった。
このような状況の九州電力に対して、水面下で経営陣の人事に介入する動きを見せていたのが、当時経産省資源エネルギー庁次長だった今井尚也氏だった。今井氏は、その後発足した第二次安倍政権で内閣総理大臣秘書官、補佐官を務め、内政から外交にまで暗躍した影響力から「影の総理」とまで言われることになる「大物経産官僚」だった。
今井氏は、当時、私にコンプライアンス講演の依頼をしてきたことで面識があったった企業経営者を通じて、九州電力経営陣との対立を続けていた元第三者委員会委員長の私に接触してきた。私の意見に賛同するかのような言い方で、九州電力社長らを批判し、「早急に辞任させるべきだ」と言っていた。その後、今井氏は、携帯電話で、九州電力の会長、社長を辞任させるべく動いていることを私に連絡してきていた。
翌2012年1月12日に開かれた臨時株主総会で、松尾会長、真部社長の同年3月末での辞任が決定された。この会長、社長辞任の話も、今井氏は事前に私に伝えてきていた。表面的には、今井氏は、第三者委員会の委員長だった私に同調する姿勢を見せて、その意見に沿って、九州電力の会長、社長に責任を取らせたように思わせていたが、今井氏は、上記のような「やらせメール事件の問題の本質」の指摘に賛同して、そのような動きをしていたとは思えない。今井氏と最初に会って会食した際、私の九州電力経営陣批判に大きく頷き、同調しながらも、ふと漏らしたのが
「そういう会長、社長のままでは原発は動かない」
という言葉だった。今井氏の「本音」は、九州電力が「やらせメール問題」による混乱を続けていたのでは、全国の原発再稼働が進まないと考え、監督官庁のエネ庁からの圧力で九州電力の会長・社長を辞任させ「早期幕引き」を図ることにあったものと思われる。
前述したとおり、原発事故が発生した際の損害賠償責任がすべて原発事業者に集中する原賠法の「異常な法的枠組み」の下で、原発を設置し稼働させるという電力会社経営者の判断は、会社のガバナンスとしてはあり得ないものだった。「原発安全神話」を妄信する「ガバナンス不在」の状態が続いていたからこそ、そのような判断が可能だった。
そして、そのような「原発安全神話」を前提に、原発を稼働させることを至上命題として行われてきたのが、「電力会社と原発立地自治体の首長や有力者と不透明な関係を結び、原発立地地域に利益を供与したりして懐柔する」やり方を中心とする「理解促進活動」だった。
福島原発事故で「原発安全神話」が崩壊した以上、それまでのようなやり方を全面的に改め、原発立地地域の自治体などとの関係も透明にしていくことが不可欠であり、それが、本来、福島原発事故後の原発再稼働の条件とされるべきだった。
しかし、監督官庁の経産省のエネ庁次長の今井氏の介入もあって、会長・社長の辞任で事件の幕引きが図られた。そのような問題の本質が、全国の電力会社の経営者に理解され、それを根本から是正しようとする動きにつながることがないまま、電力会社各社は、原発再稼働に向けて動いていった。
関西電力幹部の金品授受問題
2019年の9月末、関西電力の八木誠会長や岩根茂樹社長を含む同社幹部ら6人が2017年までの7年間に、関電高浜原子力発電所が立地する福井県高浜町の元助役の男性から、計約3億2千万円の資金を受け取っていた事実が明らかになった。関西電力高浜原発の工事受注に絡んで、地元の有力者に巨額の金がわたり、その一部が、電力会社の会長・社長を含む幹部に還流していたという問題だっだ。
原発事業者の電力会社と原発立地自治体の有力者との不透明な関係が、原発立地地域への利益供与だけではなく、その反対の電力会社幹部への利益供与まで行われていたという「衝撃的な事実」だった。
関西電力では、福島原発事故後に「原発安全神話」が崩壊した後も、「電力会社と原発立地自治体の首長や有力者と不透明な関係を結び、原発立地地域に利益を供与したりして懐柔する」やり方を変えていなかった。元助役による電力会社幹部への金品供与は、福島原発事故後に、一層露骨なものになっていった。
「原発安全神話」を前提とする「ガバナンス不在」の状況で原発事業を続けてきたことが「電力会社史上最悪の不祥事」につながったのが、この関西電力の金品授受問題だった。
電力会社間の事業者向け電力カルテル事件
そして、2022年12月、事業者向けの電力の販売をめぐり、中国電力と中部電力、九州電力など大手電力会社がカルテルを結んでいたとして、公正取引委員会が総額で1000億円余りの課徴金納付命令と排除命令の事前通知を発出したことが明らかになった。公正取引委員会は2021年4月から各社に立入検査に入り、調査を続けていた。
この事件は、まだ事前通知の段階で、公取委の正式の公表がないので、正確な事実は不明だが、NHKニュース(2022.12.2)によると、2016年に電力の小売りが全面自由化されたあと、関西電力がほかの電力会社の管内で営業を本格化させ、競争が始まったのをきっかけに、各社の間で協議が行われ、2018年ごろからカルテルが結ばれた疑いがあるとのことである。
この報道のとおり、関西電力の「事業者向けの電力販売」という主要な事業分野の営業方針として、他の電力会社管内での営業を本格化させ、その後のカルテル合意に至ったとすると、そのような方針の決定に経営陣が関わっていないとは考えにくい。
それらが、2016年から2018年にかけての時期だとすると、まさに、高浜原発に関して、高浜町の元助役から電力会社幹部への金品供与が露骨なものとなり、同助役が関わる企業に原発関連の発注が行われていた時期である。このカルテル事件も、関西電力という電力会社の「ガバナンス不在」そのものに関わる問題と考えられる。
関西電力は、調査が始まる前に違反行為を最初に自主申告したため、「課徴金減免制度」により、課徴金は免除されるなど、公取委の行政処分の対象から除外される可能性が高いが、仮にそうなったとしても、関西電力がどのような経緯で、他の電力会社管内での営業を本格化させ、その後のカルテル合意に至ったのかという点は、原発事業を営む電力会社のガバナンス問題として徹底解明する必要があることは言うまでもない。
「ガバナンス不在」のままの原発政策の大転換を許してはならない
原発事業者である電力会社各社は、福島原発事故後も「ガバナンス不在」によって様々な重大不祥事を繰り返してきたが、その根本には日本の原賠法の特異な法的枠組みがある。
日本弁護士連合会からも、2016年8月に、「原子力損害賠償制度の在り方に関する意見書」が出され、
「原子炉等の製造業者に対する製造物責任法の適用を除外した第4条第3項は廃止すべき」
「原子力事故による損害賠償額が原子力事業者の支払い能力を超える場合において、原子力損害賠償・廃炉等支援機構法を活用するほか、原子力事業者の法的整理を必要とする場合に備えて、原子力事故被害者の損害の完全・優先弁済、原子力事故の収束・廃炉にかかる作業の確保等を含む新たな制度を整備すべき」
などと、現行の原賠法の枠組みの抜本的変更を求める提言も行われているが、政府には、検討を行う姿勢は全く見えない。
原発事業者の経営者に、13兆円もの損害賠償を命じる「異常な判決」は、これまで、電力会社という民間事業者を事業の主体とし、原子力規制委員会、経産省等が指導監督するという枠組みで行われてきた原発事業の枠組み自体の重大な欠陥を示すものだ。
岸田内閣が、従来の脱原発路線から、原発を電最大限に活用する方向への政策の転換を図るのであれば、本来、原発の安全性について最終的に責任を負うべき国自体が直接して原発の運営を行う「国有化」も含めて、原子力損害をめぐる法的枠組み自体を抜本的に見直すことが不可欠だ。
福島原発事故発生時、事故発生時の電力会社、国等の当事者対応の混乱を目の当たりにした我々は、原発の安全性にとって、施設自体の客観的要素だけではなく、人的組織的な面が極めて重要であることを痛感した。それは、多くの被災者に悲惨極まりない被害を与えた原発災害から我々日本人が得た「最大の教訓」だったはずだ。
岸田政権が、日本の原発事業の人的組織的な面の重大な欠陥と電力会社の「ガバナンス不在」を放置したまま、原発の積極活用に向けて政策の重大な変更を行おうとしていることは、チェルノブイリに次ぐ最悪の原発事故を経験した国民として、到底許せることではない。