「本音」で生きてはいけないワケ

黒坂岳央です。

世の中は影響力のある人が「本音で生きよう」といっている。自分自身もできるだけ本音で生きていて、歯の浮くようなお世辞は、言わないし言われたくもない。しかし、難しいのはその境界線である。「本音で生きろ」を真に受け、その一挙手一投足すべてを本音というのはむしろ好ましくない結果を生んでしまうだろう。

本音でいくべきライン、いってはいけないラインを見極める眼力は絶対的に必要だ。本当にすべて本音で生きられるのは、小さな子供か認知症老人くらいだろう。筆者の見解をお伝えしたい。

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本音を出すべき/出すべきでない場面

最初に本音の使い分けを話したい。

筆者はビジネスについては、ほぼ本音で必要なことは伝えている。仕事で英語を教えているのだが「現状のやり方はこういう理由で効果の出るやり方からズレているように見受けられます。あっちのやり方へ軌道修正をお願いできますでしょうか?」という具合である。

コミュニケーションの問題は往々にして「伝える内容」ではなく「伝え方」で起こることを知っているため、相手がカチンと来ない言い方には細心の注意を払うようにしているが、軌道修正の必要性や誤りについては本音でしっかり伝える。ビジネスは結果を出すことが大正義であり、間違ったまま進ませるのは指導者失格だからだ。

相手から嫌われるのを恐れて本音を言えない、そんなビジネスマンがいるとすれば自己保身からの職務怠慢でしかない。ビジネスにおいては本音で必要なことはしっかりと伝えるべきなのだ。

その一方で相手が求めていないことについては、あえて本音を言う必要はないだろう。たとえば相手の容姿が優れていないと認めるや、「あなたはとてもブサイクですね!」などというべきではないのは明らかである。なぜなら誰一人幸せにならないからだ。

だからといって「あなたはとても容姿端麗だ!」など思ってもないウソもいうべきではない。脳内で浮かんだワードを全部表に出すのが本音ではないのだ。不要なことを口に出さない、とは品性の話で、本音とは無関係である。

本音はトラブルの元

ここからは本音で生きるべきでないデメリットを考えたい。

まず1つ目に恨みを買うためだ。思っていても黙っておけばいいことをわざわざ口に出すことで、必ず一定数敵を作る。生きていれば確実に一定の人から好かれ、そして嫌われてしまう。それが人間関係の真理であり、嫌われること自体は受け入れるしかない。問題は嫌われるを通り越して恨まれてしまうケースだ。これだけは絶対に避けるべきである。

たとえば相手のコンプレックスや深い悩みについて本音でありのまま伝えてしまったとする。そうなると相手から深い恨みを買ってしまうことはよく聞く話だ。恨みは時間をおいても覚めることはなく、人によっては醸成された復讐心を実際の行動に移すケースもある。たまにニュースになっているのを見れば、この話があながちでまかせでないことを状況証拠が示してくれているだろう。誰かに嫌われても、恨みは買うべきではない。恨みを買いそうな局面であえて本音を出すことはとてもリスキーである。

次に感情に根ざした本音はトラブルの元になるという話だ。怒りの感情が湧いた時に素直に従えば、自分の怒りを作った相手に誹謗中傷をして自らの身を滅ぼしたり、そこまでいかなくても嫌味を言ったりしてしまう。

だが人の感情ほど適当であてにならないものはない。嫌いだと思っていた相手から笑顔で挨拶されたら、嫌いという感情が雲散霧消するというのはよくある話だ。そんなあてにならない、水物でしかない感情に素直に耳を傾け、ありのまますべて本音で接するなら当然、対人関係でのトラブルにしかならないのは明白である。

誤解してもらいたくないのは、筆者は「何でもかんでも本音を抑圧して窮屈に生きよ」といっているわけではない。言うべき局面ではしっかり本音で伝えるべきだし、逆に品性を持って本音を抑える局面もあるはずだという使い分けの話である。

「とにかく本音で生きろ」という提言を真に受け、何でもかんでもすべて本音だと逆に人生は生きづらくなると思うのだ。

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ビジネスジャーナリスト
シカゴの大学へ留学し会計学を学ぶ。大学卒業後、ブルームバーグLP、セブン&アイ、コカ・コーラボトラーズジャパン勤務を経て独立。フルーツギフトのビジネスに乗り出し、「高級フルーツギフト水菓子 肥後庵」を運営。経営者や医師などエグゼクティブの顧客にも利用されている。本業の傍ら、ビジネスジャーナリストとしても情報発信中。