トルコのコカ保健相によると、トルコ南部で6日未明に発生したM7.8の大地震で11日現在、トルコ側で2万2327人、シリア側で3553人の死亡が確認され、負傷者は約8万5000人だ。世界から68カ国、8000人以上の救援隊が現地の救助隊と共に生存者の捜索活動を進めている。犠牲者の数は今後さらに増えると見られている。
特に、内戦下にあったシリア北西部イドリブ県は反体制派の支配地域で大きな被害が出ているが、救助作業が遅れている。シリアのアサド政権は10日、トルコ大地震で甚大な被害が出たシリア国内での支援について、政府支配地域外を含む被災地に物資を提供することを認めたばかりだ。
トルコ大地震でこれまで100万人以上の住民が家を失い、夜は外やテントで過ごせざるを得ない状況だ。現地では夜には気温が氷点以下となる。11日現在、2000回の余震が記録されている。崩壊するビルや住居は建築当局の許可なく建設されたケースが多いというから、人災の面もあるわけだ。トルコからの情報では、違法建築の容疑で建設関係者が逮捕されたというニュースが流れている。捜査が進めば、さまざまな欠陥や原因が浮かび上がってくるだろう。
オーストリア国営放送の夜のニュース番組で地震の様子を放送していた。画面はシリアの状況に移った。1人の男性が地べたに座って、「家族ががれきの下にいるが、救援する道具がない」と泣き声で救援隊の到着を待っていた。別の男性は、「内戦で砲丸が降る中も私たちは生き延びてきたが、今回は地震で家も家族も失った」と言う。男は「9人の子供のうち幸い3人は生き延びたが……」と呟き、「戦争は人間の責任だが、地震は神の業だ」と言うと、それ以上言わずに、泣き出した。男性の口から「神の業だ」という言葉が飛び出した時、驚いた。敬虔なイスラム教徒なのだろう。彼の呟きからは神を糾弾するような響きは感じなかった。男は事実を呟いただけだったのだろう。
地震は天災だ。神の行為と呼べるかもしれない。トルコ南部とシリア北西部の震源地周辺には複数のプレートが衝突している。「神の業」という言葉を聞いて、「国連の『地球近傍天体(Near Earth Objects=NEO)に関する作業会報告書』の中で、「NEOの動向は人類が完全には予測できない“Acts of God”(神の業)と呼ばれてきた」と記述されていたことを思い出した。どの惑星が将来、地球に衝突するか、人間は予測できない。その意味で、惑星の地球衝突も地震と同様、神の業といえるわけだ。
トルコでは今年上旬に大統領選が実施される。「史上最悪の地震」とエルドアン大統領は被災地を視察して語ったが、同大統領の危機管理の欠如を批判する声が高まってきているという。今回の地震の被災地エリアには2600万人以上の国民が住んでいる。地震対策が久しく叫ばれてきたが、エルドアン大統領は何も実施してこなかった、という批判だ。
ウクライナでは昨年2月24日、ロシア軍がウクライナに侵攻して以来、多数のウクライナ国民が命を失い、家族を亡くし、家屋、財産を失っている。敬虔なウクライナ正教徒ならば「神よ、なぜあなたはロシア軍の蛮行を止められないのか」、「私の子供が死んだ時、あなたはどこにおられたのか」と祈りの中で神に問う人もいるだろう。ポーランドやルーマニアなどに避難してきたウクライナ人女性たちは国に残って戦っている夫や避難できなかった高齢の両親の身を案じながら涙する。ただ、戦争は天災ではなく、人災だ。ウクライナの多くの国民は戦争はロシアのプーチン大統領の仕業と受け取っている。
人は有史以来、大地震や洪水に襲われ、家族や住居を失う度に、「なぜ」と呟いてきた。神を信じる者はその「なぜ」を神に向けてきた。貧者の救済に一生を捧げた「マザー・テレサ」と呼ばれたカトリック教会修道女テレサもそうだった。「なぜ、神はコルカタ(カラカッタ)で死に行く多くの貧者を見捨てるのか」、「なぜ、全能な神は苦しむ人々を救わないのか」等、問い掛けた(「マザー・テレサの苦悩」2007年8月28日参考)。第2次世界大戦では約600万人のユダヤ人が殺された。多くのユダヤ人は強制収容所で神に問いかけた。「われわれがアウシュヴィッツにいた時、義の神は何をしていたのか」、「なぜ我々を救ってくれないのか」という深刻な問いかけだ(「アウシュヴィッツ以降の『神』」2016年7月20日参考)。
旧約聖書には「ヨブ記」がある。ヨブの話は当時のユダヤ人たちを驚かせた。ヨブは正しい人だったが、試練を受けたからだ。イェール大学の聖書学者、クリスティーネ・ヘイス教授は、「ユダヤ教では、神の戒めを守り、いいことをすれば神の報酬を受け、そうではない場合、神から罰せられるといった信仰観が支配的だったが、ヨブ記は悪いことをしていない人間も試練を受けることがあることを記述することで、従来のユダヤ教の信仰に大きな衝撃を与えた」と述べていた(「『神』はなぜ世界を救えないのか」2022年5月2日参考)。
ドイツ民間放送のニュース番組で1人の地震救援隊のドイツ人が、「被災地では、涙を流していない人は1人もいない」と述べていた。人は天災でも人災でも受難した時は涙を流して生きてきた。ちなみに、地震国の日本でも被災者は涙を見せるが、「なぜ」という声を発する前に、運命として諦観する人が多いのではないか。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年2月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。