情報というもの

NIKKEI STYLEに昨年11月、『村木厚子氏 「情報を上げたい」と思わせるリーダーとは』と題されたインタビュー記事がありました。御承知のように、元厚生労働事務次官の村木さんは、所謂「障害者郵便制度悪用事件」で「冤罪」を被られた方です。当該記事には、彼女の次の言葉が載っています――重要な情報が耳に入らずに『自分は聞いていない』という上司がいます。私もそう言いたいときはありますが、自分が部下の立場だったら、本当に大事な人には相談しています。もっとはっきりいうと、役に立つ上司のところには情報を持っていきます。大事なことを聞かされないのはリーダーとして格好悪いことなのかもしれません。

情報というものは、あらゆる判断のベースになります。概して「情報を上げたいと思われる」人は先ず、情報に価値があるということを分かっているか否か、で決められるでしょう。そしてもう一つは、情報の真偽を見極められるかどうかということです。それが出来ねば、情報は時としてマイナス価値になって仕舞います。

例えば私は嘗て、『「兵は詭道なり」。つまり戦争・戦略というものはいかに相手をいつわるか、ということが根本であるというのであります。どうすれば相手をだまし、錯覚におとしいれて、自分の方に都合のよいようにするか』、とツイートしました。「兵は詐を以て立ち、利を以て動き、分合を以て変を為す者なり」(『孫子』)とあるように、此の書は戦において嘘を作り出し、敵を騙して行く色々な「詐」という行為に関するものです。今ロシアなど正に之を実践して、情報機関等を使って一所懸命国の内外で情報操作しているのです。

良きにつけ悪しきにつけ情報というものは、その価値を認めている人にしか集まりません。「あの人、情報を利用して何かしようとしているな」ということで、誰かがそこに情報を持って行くわけです。シビアな現実ですが、「あの人いい人だから」等々の人間的側面だけでは情報に価値を認めない人に情報を提供しないと思います。その人が情報の価値を知っているからこそ、情報に対し対価を払い更なる情報が集まるといったケースもあるでしょう。

上司・部下のフレームで述べるならば、その部下の評価に関わる類の情報は、ある面で上司に集まるベクトルが働くのかもしれません。「上、下をみるに3年を要す。下、上をみるに3日を要す」と言われますが、部下からしてみると、上司が喜ぶ情報は何か、といった一つの判断基準がありましょう。会社のため、世のため人のためを考えた情報の収集・分析であっても、上司が喜びそうな情報を選別し持って行くことは、自分のためです。「人は見たいと思うものしか見ようとしない」という言葉もありますが、上司・部下それぞれの人物が問われます。

リーダーになればなる程に、確固たる判断基準を持ち泰然自若として、偏ることなく公正かつ適切に物事を判断する力が求められます。入ってくる情報や物の見方が一面的になってしまっては、重要な決断が求められる場面で判断を見誤ることになります。「中庸の徳たるや、其れ至れるかな」(『論語』)――中庸を欠くことは、飛行機に例えれば片翼だけで飛行するようなものであり、偏っているがゆえ安定性を失い組織崩壊の危険性が高まってしまうのです。

私の場合、経営判断をするための大事な材料の一つとして、様々なソースから多様な情報を得ています。なかでも貴重な情報は社内外(外国人を含めて)の人からのものです。私自身も広範にホットな情報を集めようと努力しているわけです。そうして価値ある情報を様々入手し得ることは戦略上、私のディシジョンメイキングにおいても大変重要なことだと考えています。情報というものは幅広く、常に集め続けねばなりません。直観力を働かせて情報価値を見極め価値あるものだけを取捨選択し大局的判断を下して行くことが極めて重要だと思います。


編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2023年2月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。