なぜ戦争の議論はかみ合わなくなるのか

野口 和彦

ロシアとウクライナの戦争は、さまざまな視点から論じられています。この戦争の原因について、リアリストの政治学者は、アメリカを中心とする西側がNATOを東方に拡大してウクライナを「事実上」のパートナー国にしようとしたことが、ロシアを存亡の危機に追いやったことを重視します。他方、中東欧を専門とする歴史学者は、ウクライナ属国化をもくろむプーチン大統領の現状打破的で収奪的な野心と攻撃性に注目します。

戦争の特徴についても意見が割れています。著名な政治学者や戦略研究者は、ロシアがウクライナに「予防戦争」を行ったと分析します。その一方で、歴史学者たちには、この戦争を「帝国主義的な植民地戦争」と位置づける傾向がみられます。

このようにロシアのウクライナ侵攻は同一の出来事であるにもかかわらず、論者によって説明の仕方が対称的になり、水と油のように混ざり合えません。では、何がこのような違いを生み出すのでしょうか。その答えは、国際関係研究における歴史学と政治学では、認識論と方法論が根本的に異なるからだということです。

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戦争研究における歴史学と政治学

我が国の「国際政治学」では、政治学と歴史学が同じ学界で共存していますが、実は、両者は厳しい緊張関係にあります。政治学と歴史学は、戦争という同一のカテゴリーの事象を研究しますが、その分析や主張は、それぞれが依拠する方法が異なるので、必然的に対立するものになりがちなのです。とりわけ難しい問題は、戦争の責任追及や道徳的批判と原因の特定は、方法論上、それぞれ独立した作業になることが多く、必ずしも調和しないということです。

こうした両学問の特徴を明らかにして架橋することを試みたのが、今から20年以上前にまとめられた『国際関係研究へのアプローチ—歴史学と政治学の対話―』です。

本書では、北米の著名な歴史学者と政治学者が、それぞれの学問的作法を解説するとともに、第二次世界大戦といった本質的に重要な事例について、自分たちの認識論や方法論から分析して、歩み寄れるところと相反するところを明らかにするユニークな試みを行っています。

国際関係研究への政治学と歴史学のアプローチについて、代表的な学者の見解を整理して紹介します。①政治外交史研究者による歴史の道徳的判断の擁護論、②因果推論を重視する政治学者の価値中立的説明の擁護、③ナチス・ドイツの戦争に対する歴史学者と政治学者の異なる議論の順番です。

歴史学者による道徳的判断の擁護

国際関係研究において、多くの歴史学者は政治指導者の意図的な行為に注目します。その主な理由は、この分野の研究者が、多かれ少なかれ過去に起こった出来事の責任の所在や政策の道義的な妥当性に関心を抱いているからだと言われています。歴史学者のポール・シュローダー氏(イリノイ大学)は、歴史学者が負うべき道徳的義務を以下のように力説します。

歴史を研究する仕事は…それ自体が本質的に道義を探究する行為なのであ(る)…歴史学が道義的判断を不可避的に下す…そのいかなる本質的部分であれ…価値中立的な言葉で語ることはできない…我々は、よい、わるい…などの形容詞を使わざるを得ない(同書、286、293頁)。

シュローダー氏によれば、歴史を研究することと過去の出来事や政治行為に道徳的な判断を下すことは一体だということです。歴史学は、対象とする時代が長く、地域も広いので、彼が言う歴史の作法が全ての歴史学に当てはまるわけではないのでしょうが、近代の政治外交史の研究では、こうした道徳的な研究姿勢が顕著にみられます。

たとえば、第二次世界大戦を引き起こしたナチス・ドイツの指導者であったアドルフ・ヒトラーの行動を「機会主義的」なものと説明するとともに、全ての戦争責任を彼に押しつけて断罪することを拒否したA. J. P. テイラー氏(オックスフォード大学)は、他の歴史学者から激しく批判されました(『第二次世界大戦の起源』講談社、2011年〔原書1964年〕参照)。

ハリー・ヒンズリー氏(ケンブリッジ大学)は、テイラー氏のヒトラーの描き方を「得手勝手でぞんざいな態度」と罵倒に近い言葉を浴びせて、彼に「賛意を表すことに、歴史家は例外なく躊躇せざるを得ない」と強く批判しています(『権力と平和の模索』勁草書房、2015年〔原書1963年〕、500頁)。このように歴史学者は、概して過去を裁くことをよしとしてるのです。

政治学者は、道徳的判断からは一歩引くのがふつうです。すなわち、政治学の研究においては、政治指導者が倫理的に行動したかどうかは問わず、ある出来事を引き起こした原因を客観的かつ価値中立的に突き止めようとします。政治学者は、原因とみられる要因が道徳的であるかどうか、善であるか悪であるかは問題にしないということです。このことを政治学者のデーヴィッド・デスラー氏は以下のように述べています。

通常(政治学の)一般理論は特定の歴史解釈よりも価値中立である…もしXが起こればYも起こる(という因果推論は)たとえ『X』が社会でどう評価されていようとも、『X』の価値に対しては中立の立場をとる。一般化によって生み出される知識とは、異なった立場の人々にも正当なものとして認識されうるものである(同書、24頁)。

事象を引き起こす原因は、あくまでも客観的事実として存在するのであり、その責任や善悪を問うたところで、その因果関係は変わらないというのが、標準的な実証政治学者の認識論であり方法論なのです。

ナチス・ドイツと第二次世界大戦

認識論も方法論も異なる歴史学者と政治学者は、第二次大戦の論じ方も必然的に違います。歴史学者は、ナチス・ドイツやヒトラーの「罪」を道徳的に批判する一方で、政治学者はドイツを取り巻く国際構造の機会と制約に戦争を根本的な原因を求めます。ここでは何名かの歴史学者と政治学者の代表的研究を紹介します。歴史学者のガーハード・ワインバーグ氏(ノース・カロライナ大学)は、ナチスの「断罪」なき物語を否定します。

ナチス・ドイツによるユダヤ人およびその他の望ましからぬ人間の大量虐殺に言及することなく第二次世界大戦の歴史を書くことはできない(同書、15-16頁) 。

先述したシュローダー氏も、ドイツの戦争行為の価値中立で道徳的判断のない評価は歴史ではないと厳しく糾弾しています。

客観的で道義がからまない基準を立てて、ドイツによる1939年のポーランド侵攻と1941年の対ソ攻撃を…評価するとしよう…前者が成功、後者が失敗だったということになる…この試みは道義に極めて無頓着であるばかりか非歴史的であり…人間が何を行い、何に苦しんだのかという、物語の核心への理解を阻害してしまう。これと同じ要領でホロコーストを分析してみるとよい。その結果は、全く非人間的で忌々しいものになる(同書、287頁)。

では、政治学者は道徳的判断を行うことなく、どのようにドイツの侵略を論じるのでしょうか。ここではランドール・シュウェラー氏(オハイオ州立大学)の説明を紹介します。彼は、第二次世界大戦勃発時の国際構造が米ソ独の三極であったことに第二次大戦の「原因」を見るとともに、ヒトラーは戦争の必要条件でも十分条件でもないと分析しています。

三極システム…は一触即発の危険をはらんで(いる)…ヴェルサイユ講和条約は、ドイツを『作り出された劣勢』の位置に置く危険な勢力不均衡を遺した…ドイツは、同じような客観的状況に置かれたらならばどの国もとったであろう行動をしたにすぎない『普通の』国であった…ヒトラーは…もともとおこる可能性が高い出来事をさらにおこりやすくした要因にすぎない…もしヒトラーがドイツではなくエクアドルの指導者であったなら、彼は第二次世界大戦を始めることはできなかったであろう…ヒトラーは決してこの戦争の十分条件とはなりえなかった…(三極)構造が(戦争を)起こ『り得る』条件をつくりだすと(政治学者は)見るのである(同書、169- 172頁)。

要するに、第二次世界大戦の生起に関する因果関係は、三極構造→ヒトラーの気質→戦争となります。

1940年前後の世界はアメリカとソ連、そして台頭するドイツのパワーがほぼ等しい三極構造でした。アメリカは孤立主義の政策をとっており、ヨーロッパの国際政治には原則として関与しない方針を貫いていました。ソ連はドイツに対抗する責任をイギリスやフランスに転嫁していました。スターリンは、ドイツが西欧諸国と闘えば国力を消耗するので、ソ連は「漁夫の利」を得られると判断したのです。

こうした三極構造に特有の大国の行動が、台頭するドイツにヨーロッパで覇権を得るチャンスを与えたのです。この機会をヒトラーは逃しませんでした。ヒトラーは、アメリカの不介入とソ連の責任転嫁行動が生み出したチャンスを活かして領土拡張戦争を行ったというのが、シュウェラー氏の戦争勃発の説明なのです。ここで原因と位置づけられる三極構造は、道徳や正義とは関係ない価値中立的な事実に過ぎません。

ウクライナ戦争に関する意見の対立

国際関係研究における歴史学と政治学の方法論の違いは、ウクライナ戦争の議論にも影響していると見てよさそうです。

歴史学者のティモシー・スナイダー氏(イェール大学)は、ロシア侵攻を植民地獲得戦争とみなして、プーチンを道徳的に批判します。彼によれば、プーチンはウクライナを国家として認めておらず、また、ウクライナ人を実在する市民として認めていないからこそ、ロシア軍は一般市民への暴行や虐殺を行えると解釈されます。

過去の植民地獲得戦争と同じように、ウクライナ戦争は、帝国主義的な修正主義国家が侵略を受ける国の存在を否定することが前提なので、ウクライナが生き残るにはロシアに勝利する以外に道はないとの結論になります。

また、スナイダー氏は、ロシア・ウクライナ戦争をプーチンの「悪行」と結びつけながら、マニ教的な「善悪の戦い」であると暗に示唆しています。

プーチンという一人の指導者を中心としたカルト(訳注、人権侵害などの犯罪を冒す狂信的な反社会的宗教集団)がある。それは第二次世界大戦を中心に組織された死のカルトである。それは過去の帝国の偉大な黄金時代という神話を持っており、ウクライナに対する殺人的な戦争という、癒しの暴力によって回復されようとしている…ファシストの戦場での勝利は、力が正義であり、理性は敗者のものであり、民主主義は失敗しなければならないということを確かなものにしてしまう。ウクライナが抵抗しなければ、世界中の民主主義者にとって暗黒時代の始まりになっていただろう。ウクライナが勝利しなければ、何十年も暗闇が続くことが可能になるのだ。

他方、政治学者のスティーヴン・ウォルト氏(ハーバード大学)らは、NATO拡大がロシアを存亡の危機に陥れたことに戦争の根本原因を見出します。

彼によれば、この戦争はウクライナが西側の軌道に滑り込むのを止めるためにロシアが始めた予防戦争として最も理解できます。プーチンはウクライナを武装・訓練するアメリカ主導の努力により、モスクワがキーウ(キエフ)の地政学的連携を最終的に止められなくなると信じていたのです。プーチンはウクライナの喪失がロシアに与える危険を恐らく過大評価していたのだという結論になります。

ここでのウクライナ戦争の生起に関する因果プロセスは、バランス・オブ・パワーの極端な変化→プーチンのパラノイア→戦争となります。

第二次世界大戦勃発についてのシュウェラー氏の分析と同じく、ウォルト氏のウクライナ戦争発生の説明でも、NATO拡大による物質的パワー配分の変化という戦争原因は、客観的で価値中立的な事実なのです。

こうした戦争観の相違は、その出口についての議論にも深く影響します。歴史学者としてのスナイダー氏はウクライナがロシアに勝たなければならないと強く主張します。なぜならば、これは「帝国の時代」を終わらせる戦争でもあるからです。彼によれば、 ウクライナ戦争は別の国家や民族は存在しないという植民地獲得の論理で行われる最後の戦争になるかもしれないのであり、世界史の転機はロシアが負けて初めて訪れるのです。

興味深いことに、上記の歴史学者とはアプローチは違うのでしょうが、欧州連合などを研究する東野篤子氏(筑波大学)は、ご自身の方法論に基づき、ウクライナのロシアに対する徹底抗戦を擁護するとともに、こう言っています。「いろいろな方から『この戦争の落としどころは』と聞かれましたが、侵攻された側に対して落としどころを問うのは酷です。仮に、何らかの形でロシアが再び停戦を提案したとしても、それは未来永劫(えいごう)、戦闘をやめるという停戦ではないでしょう。一時的な停戦を利用して態勢を整え、さらに侵攻するための小休止に過ぎません」と、植民地獲得戦争と同じようなロジックと自身の心情を交えて、停戦に疑問を示すとともに、「ウクライナの敗北を傍観することが、望ましい国際秩序のあり方とは思えません」(2022年8月26日のツイートより)と主張しています。

他方、政治学者としてのウォルト氏は、予防戦争の終結の落としどころが、ロシアとウクライナの双方の妥協にあると以下のように主張しています。

この戦争は、主人公たちが当初の目的をすべて達成することはできず、理想的とはいえない結果を受け入れなければならないことを理解するまで、コストがかさむ膠着状態に陥る可能性が高い。ロシアは、ウクライナを従順な衛星国にすることはできないし、モスクワを中心とした『ユーラシア帝国』も手に入れられないだろう。ウクライナはクリミアを取り戻すことも、NATOに完全加盟をすることもできないだろう。アメリカは、他の国家をNATOに加盟させることをいつかは諦めなければならないだろう。

政治学者のスティーヴン・ヴァン・エヴェラ氏(MIT)も同じような戦争の終結を主張しています。

ウクライナはロシアとの戦争において、すでに最も重要な目的を達成した。戦闘を継続しても、ウクライナが得られるものはわずかであり、一方でウクライナとアメリカに高いコストを強いることになる…ウクライナはその成功を強固なものとし、不完全な条件で戦争を解決すべき時だ。

彼らのような政治学者が、ウクライナとロシアの双方は妥協すべきと主張するのは、両国のパワー・バランスが戦争の終わり方を左右すると推論するからです。ロシアは戦争により相対的パワーを回復したい一方で、ウクライナは独立と主権を守るために抵抗しているのであれば、両者の目的達成の程度は、どちらかがどのくらい力を持っているかで決まらざるを得ない、ロシアもウクライナも決定的な勝利を収めるパワーに欠けているという、物質的なパワーからの客観的な分析です。

このように戦争の論じ方は、それが同じ出来事であっても、歴史学と政治学、さらには政治学内でさえ異なるのです。言論の多様性は、こうした戦争への複数のアプローチを擁護します。異なる認識や方法から異なる主張が生まれるのは、当然の結果であり、論争が起こるのは健全なことなのです。

民主社会における多様な言論

国際関係研究における歴史学と政治学の認識論と方法論が違うことは、戦争に複数の言説をもたらします。このことをキチンと理解することは、誹謗中傷やレッテル貼りの不毛な議論を避け、建設的な討論を行うためには必須でしょう。私を含めたリアリストの政治学者は、「ロシアのプロパガンダ拡散者」であると誤解されます。これは政治学の因果推論の理解不足から生じています。

プーチンに近い主張をする人の類型としては、①ロシアに買収されてる人、②買収されていないがプーチンに影響された人、③買収も影響もされておらず、別経路の論理から結論に到達した人が考えられます。リアリストは、ほぼ全員が③でしょう。政治学の因果推論に基づく予防戦争の仮説がクレムリンの発信と一致するだけなのです。ですが、政治学の方法論を知らない多くの人たちには、①か②に見えてしまうのでしょう。

ウクライナ政府から「ロシアのプロパガンダ拡散者」と認定された、政治学者のジョン・ミアシャイマー氏(シカゴ大学)は、そうされた理由を以下のように推測しています。

私は、ロシアがウクライナに侵攻したのは、アメリカとヨーロッパの同盟国が、ウクライナをロシア国境の西側の防波堤にすることを決定し、モスクワがこれを存亡の危機と考えたからであることは、入手した証拠から明らかである、と主張している。ウクライナの人々は、私の主張を否定し、代わりにウラジーミル・プーチンを非難する。プーチンは、ウクライナを征服し、より大きなロシアの一部とすることに固執していたと言われている。しかし、その主張を裏付ける公的な記録はなく、キーウと欧米の双方にとって大きな問題となっている。では、彼らは私にどう対処するのか。その答えはもちろん、そうではないのに、私をロシアのプロパガンダ拡散者とレッテルを貼ることだ。

こうした不毛な糾弾は、終わりにしようではありませんか。この記事で取り上げた『国際関係研究へのアプローチ』の編集者であるコリン・エルマン氏(シラキュース大学)とミリアム・エルマン氏は夫婦の社会科学者であり、政治学と歴史学のすみ分けと関係をこう指摘しています。

政治学者は歴史学者ではないし、またそうなるべきでもない。両分野の間には、埋められない認識上のまた方法論上の溝が存在する。しかしそうした違いを認め、お互いの特徴を維持し敬意を払うことは大切である(同書、32頁)。

私はエルマン夫妻に完全に同意します。戦争の分析において、政治学者と歴史学者の意見が食い違うのは当たり前です。それを知ったうえで、両者がより正確な分析と理にかなった政策提言を競い合うことこそ、国際関係研究の望ましい姿ではないでしょうか。