イスラエルの歴史家で著作『サピエンス全史』で評判を取ったユヴァル・ノア・ハラリの朝日新聞への寄稿を読んだ。
「自由主義のグローバルな秩序」が人類をどれだけ幸せにしてきたかを歴史的な証拠を挙げて力説している。例えば軍事費が国家予算に占める割合が劇的に低下し、国家はそのぶん医療や福祉や教育に予算を投ずるようになったことなどだ。
ほんとうにハラリの言うとおりか? には異論がある。軍事費が劇的に減少したのは、核兵器による相互確証破壊が成立したことに世界が気付いて以降のようだ。つまり「自由主義のグローバルな秩序」前の米ソ冷戦時代に起きた出来事ではないのか。
「自由主義のグローバルな秩序」が成立した1990年代以降、「南と北(途上国と先進国)」の間の貧富格差はかなり縮小した(東アジアに身を置く我々はそのことをとりわけ実感している)。この結果、世界の経済的厚生は総和で見ると向上したのだろう。
しかし、世界全体ではそう言えても、先進国内部では、一握りの最富裕層がめちゃめちゃ豊かになる一方、中流階級が没落した。途上国でも人々が均しく豊かになった訳ではなく、国内では貧富の格差が拡大した。
そのことはブランコ・ミラノヴィッチらが提唱した「エレファントカーブ」が印象的に示すとおりだ。
貧富の格差がそんな風に拡大しないようにグローバリゼーションを進める方法があったのかもしれないが、「自由主義のグローバルな秩序」を主導した人々は、そういう問題には関心がなかった(ようだ)。
その過程で没落して既得権益を奪われた先進国の中産階級の不満・怨念がトランプ大統領を誕生させたりして「自由主義のグローバルな秩序」を突き崩そうとしているのだから、ハラリの「このグローバルな秩序は完璧には程遠かった」という評価は甘すぎるのではないか。
とは言うものの、以下のくだりには強く共感した。
自由主義のグローバルな秩序に盾突いた人々は、おおむね戦争は望んでいなかった。自国の利益と考えているものを増進したかっただけであり、国民国家はそれぞれ自らの神聖なアイデンティティーと伝統を守り、発展させるべきだ、と主張した。
だが、彼らがけっして説明しなかったことがある。これらの多様な国々が、普遍的な価値観やグローバルな制度なしでどうやって互いに折り合いをつけるのか、だ。グローバルな秩序に敵対する者たちは、明確な代替手段を一つとして提供しなかった。そして、こう考えているようだった。なぜかは知らないが、さまざまな国がただ何の問題もなくやっていくだろう、世界はそれぞれが周りに城壁を巡らせていながらも友好的な要塞(ようさい)のネットワークとなるだろう、と。
私が共感したのは、中国が事あるごとに「世界は多極化に向かうべきだ」と主張することを「能天気すぎる」と感じているからだ。「多極化」した世界というのは、中国が考えているような理想的な世界では決してないぞ、と。
中国が世界の多極化を求めるのは、オレ様米国の一極覇権がもたらす不公平やダブスタに我慢がならないからだ。しかし「自由主義のグローバルな秩序」と言うと米国の色がつきすぎるから言い換えて「平和で繁栄した世界」というものは、米国のような一極覇権の下でしか維持できないのだとしたらどうだろう?
問題は、まさに「維持できない」かどうか? だ。
米ソ冷戦は世界経済を発展させる効果は無かったが、「(核戦争の)恐怖の均衡」を通じて世界平和を維持することには役立った。ここから「一極覇権」じゃなくても、「安定した均衡」が成立すれば、世界はとんでもないことにはならないで済むという仮説が導けるかもしれない。
そう言うと、中国が元気づいて「だからこそ、我々はICBMを急ぎ増強して、改めて「核の均衡」を成立させようとしているのだ」とか言い出すだろうか(冗談。笑)
しかし、21世紀に米ソ冷戦型の「安定した均衡」が成立することはない気がする。状況が違いすぎるのだ。
つまり、第二次世界大戦後は、枢軸国家(日独)の壊滅、勝ち組欧州も戦災で疲弊、パックスブリタニカ(の残滓)も完全消滅などにより、世界の勢力図に大きな空白が生じた。米ソは、ともにその空白をあたかも「無人荒野を行く」が如く駆け抜けて超大国になったと言えるのではないか。その意味では、米ソは最初から「均衡していた」ことも見逃せない。
いまは違う。米国の一極覇権が確立していたところに、中国の台頭・挑戦が起きているからだ。既成秩序との衝突の衝撃が第二次世界大戦後よりずっと大きい。
そんな中で米国覇権が後退するにつれて、これまで世界の平和と繁栄をそこそこ支えてきた「自由主義のグローバルな秩序」が溶解に向かいつつあることだけは、いよいよはっきりしてきたのが昨今。
そんな環境でも「平和で繁栄した世界」を維持する方法はあるはずだと言うのは簡単だが、「貧富の格差が拡大しないようにグローバリゼーションを進める方法はありえる」と言うのと同じで、うまく行きそうな気がしない。
そうじゃないかな?
編集部より:この記事は現代中国研究家の津上俊哉氏のnote 2023年2月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は津上俊哉氏のnoteをご覧ください。