プーチン「西側スパイを摘発せよ」:全ての事を疑うという悲しい臭覚

ロシアのプーチン大統領は先月28日、モスクワで開かれたロシア連邦保安局(FSB)幹部会拡大会議で、「ロシアの社会を分裂、破壊しようとする違法行為を摘発すべきだ」と訓示し、国内の諜報機関FSBに対し、西側のスパイ活動への対策強化を求めた。

ロシア連邦保安局(FSB)幹部会拡大会議で檄を飛ばすプーチン大統領(2023年2月28日、クレムリン公式サイトから)

プーチン大統領は、国営テレビで放映されたFSB幹部への演説で、「西側のスパイたちはロシアに対する活動を拡大している。そのために防諜活動を強化しなければならない。西側の情報機関は、ロシアに対して行動するために追加の人員、技術およびその他のリソースを配備した。彼らは、テロリストや過激派組織を活性化させるだけではない。ロシアの新しい兵器と技術を盗もうとしている」と強調。同時に、ロシアの国境警備も担当しているFSBに、「ウクライナへの検問所での管理を強化するよう」と要請した

プーチン大統領はFSB幹部を前に、欧米の情報機関の活動に危機感を見せ、その対策を強化すべきだと異例の檄を飛ばしたが、それなりに理由があるはずだ。ここ数日、ロシア国内で不審な事故、爆発が起きている。ウクライナとの戦争も2年目に入ったが、ロシア国内でプーチン大統領の野望を崩すために欧米のスパイが暗躍する一方、反体制派が密かにサボタージュやドローン(無人機)で国内を混乱させようとする動きが見え出した。

英国のロシア問題専門家ジャーナリスト、キャサリーナ・ベルトン女史は独週刊誌シュピーゲル(2月25日号)とのインタビューの中で、「モスクワのエリートの中でプーチン解任の話が囁かれている」と証言している。

ベストセラーとなった「プーチンのネットワーク」の著書で知られるベルトン女史は「プーチン大統領はチャンスがある限り、自身の野望を果たすために戦い続けるだろう。ただ、ウクライナとの戦いで大きな敗北を喫したならば、モスクワのエリートはプーチン大統領の追い出しに出てくるだろう。ウクライナ戦争を終結させるにはロシアの敗北が必要だ」と述べている。同女史によると、ニコライ・パトルシェフ安全保障会議書記はプーチン氏の最側近の1人だが、プーチン氏に問題が生じたならば、自分の息子ドミトリー・パトルシェフ氏を大統領に担ぎ上げる考えがあるという。

プーチン氏自身、ソビエト国家保安委員会(KGB)出身であり、FSB長官でもあったから、内外のスパイ活動の動向を誰よりも知っている。誰が自分の地位を脅かすかを熟知しているはずだ。そのプーチン大統領がFSB幹部を前に、ロシアを崩壊させようとしている勢力の摘発強化を指令したわけだ。ということは、プーチン氏はロシアの指導層に自分の地位を脅かす画策が進行中だと感じ出していることになる。

ところで、最近、冷戦時代のスパイ物語を描いた2時間余りの映画を観た。監督はドミニク・クック、タイトルは英語で「The Courier」(情報の運び屋)、独語訳ではズバリ「Spion」(スパイ)だ。2020年英国で制作されたスパイ物語だが、実話に基づいている。冷戦時代に英国のスパイだったグレヴィル・ウィンの半生を描いたものだ。

ウィンは情報機関出身のプロのスパイではなく、電子技師のセールスマンだったが、CIA(米中央情報局)と英国のMI6(秘密情報部)から「もっともスパイらしくない人間」という理由でスパイに選ばれ、冷戦時代のキューバ危機(1962年)の克服で大きな役割を果たすことになる、といった話だ。主人公のウィン役にはBBC制作のTVシリーズ「シャーロックホームズ」で主役を演じた演劇出身のベネディクト・カンバーバッチだ。

冷戦時代、ソ連軍参謀本部情報総局(GRU)所属の高官オレグ・ペンコフスキー大佐はソ連の現状に絶望、家族と共に西側に亡命を希望。その旨をモスクワの米大使館に密書で連絡する。そこで大佐家族を西側に亡命させるために大佐に接触する人物が必要となった。モスクワからマークされないスパイを選ばなければならない。そこで東欧諸国で商売をしていたウィンが選ばれ、仕事でモスクワに行くたびにペンコフスキー大佐と接触し、ソ連の機密情報を入手。その中にはソ連がキューバ内で核ミサイル基地を建設する計画を記した文書があった。大佐がウィンに渡した機密情報が発覚したため、ソ連はキューバからミサイルを撤去することになった。第3次世界大戦の勃発は回避されたわけだ。実話だ。

モスクワ側はペンコフスキー大佐が西側に通じていると疑い、大佐を逮捕し、ウィンを拘束する。大佐は国家反逆罪で処刑されたが、ウィンは1年半余り拘束された後、英国で拘束中のソ連スパイとの交換で英国に帰国した。映画ではキューバ危機を阻止したスパイの活躍が描かれているが、ペンコフスキー大佐とウィンの男同士の交流も見ものだ。オペラ劇場でバレーを観ながら、その素晴らしい演劇に涙を流すウィン、その傍で自由な社会を夢見る大佐、2人の男の交流が見事に描かれていた。007シリーズのスパイ映画のような派手なアクションなどはないが、冷戦時代に生きたスパイの生き方を知る上で勉強になる。

話を現在に戻す。プーチン氏が上記の映画を観たことがあるかどうかは知らないが、ロシア国内に「第2のペンコフスキー大佐」がいるかもしれないし、欧米側が「ウィン」をモスクワに密かに送ってきているかもしれない、と考えても不思議ではない。半生をスパイとして過ごしたプーチン氏には「全ての事を疑う」という悲しい臭覚が身についているからだ。ウクライナ戦争はいよいよスパイ合戦に突入してきた。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年3月3日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。