日本人の見栄の文化:三浦清志氏の逮捕の後ろに隠れる「何故」

本論に入る前に一言。今週はニュースが多いのです。韓国ネタもあるし、ロケットもあるし、ガーシーネタもあります。今日はパウエル議長の議会証言もあった中でなぜ、どれも書かないのか、といえば皆さん、辟易感があるのではないかと思ったのです。敢えてロケットの件で一言だけ直感的に思ったのはJAXAは組織編成を間違ったような気がしてなりません。ロケットという超高性能の個々の部品の出来に目を奪われて全体を統括してバランスをとる部門が弱かったのではないでしょうか?事実、JAXAは9つの専門部署に分かれています。本質的には一つだと思うのですが、日本企業のように縦割りにしたような風通しの悪さがあったのか気になります。

さて、今日の本論を書こうと思ったきっかけは三浦清志氏の逮捕の後ろに隠れる「何故」です。1月28日付の当ブログで本件について私のコメントは「俺、超一流の道を歩んでいるんだぜ。ビジネスでもぶち上げて当たり前でしょという心理であり」「三浦瑠璃が主役ではない、三浦清志は稼いでいるんだ」という男の沽券ではないかと意見させてもらいました。

彼は東大、外務省、マッキンゼーなのですが、「ハンサムな履歴書」であればあるほど今の実績が問われるわけです。「三浦さんってすっごい方だから信用できそうだ」という訳です。ところが本人、全然仕事ができない、挙句の果てに嫁がテレビに出まくっているとなれば焦ります。出来て当たり前なのに出来ないから無謀なことをするのです。つまり見栄と背伸びです。

三浦清志氏SNSより

切り口を変えます。80年代初頭、私がパリに旅行に行く際に女友達からルィヴィトンの弁当箱型バッグ(当時そう呼称されていた誰もが欲しがったバッグ)をパリ本店で買ってきてくれ、と頼まれました。誰でも持っているバッグだけどパリ本店で買ってくることで差別化を図ろうという訳です。もちろん、バッグのどこかにそんなマークがついているわけではありません。が、乙女心はそんなところに妙な見栄を張るのです。

一方、私はそのパリである意見を耳にします。「ルィヴィトンは本当のセレブが持つブランドで普通はお抱え運転手がいるようなお嬢様が持つもの。だけど日本ではおしくら饅頭の電車に乗るOLがバッグを大事に抱えて乗るのよ」です。これではヴィトンがかわいそうと言わんばかりだったと記憶しています。

日本人は実質、総中流ではなくなったけれどその発想は未だに抜け出せません。故にお金を出せば「セレブっぽく」なることが可能だし、それをする人も後を絶ちません。が、セレブやエリートが身に着けているものが格好良く見えるのはその人が持つ地位や品格がそうさせるのであってどれだけブランドで身を固めても「おつむ」や能力がついてこなければほとんど空虚で無駄遣いであり、似合わないのです。

連続強盗団の組織解明が進んでいるかと思います。連中はなぜ、それほどの危険を冒してまで強盗を続けたのでしょうか?お金が欲しい、シャンペンタワーで豪勢にそして派手な生活がしたいからだとみています。つまり、「あいつが出来てなんで俺に出来ないんだ」的な妙な平等心がそこにあるように感じるのです。

楽天モバイル元部長による搾取事件では実損が100億円にも上るとされます。その金で集めた高級車群は倉庫に保管されていました。たかが企業の部長ぐらいでなぜそこまで背伸びをするのでしょうか?ひょっとすると「俺は偉いんだぜ」「凄いんだぜ」という気持ちが芽生えていたのではないかと思うのです。

これら三浦氏のケースから強盗集団、楽天モバイル搾取に至るまでほぼ同根だと思います。見栄なのです。その見栄は「ねぇ、あなた、お隣が車を乗り代えたからうちも乗り換えましょう」的な発想と何一つ変わらないのです。他人と同質化することでお仲間に入れてもらうというグループ意識の塊なのです。事実、強盗団は一度入ったら抜け出せないのは「おまえ、裏切るのか?」といわれるからです。グループ間の結束は異様に強いのです。主婦の会でも女子高生のお仲間同士も裏切ると怖いです。

「何故多くの女性は水商売をするのだろう」と考えたことがありますか?私は女性がきれいに見える一種の舞台(ステージ)なのだと思っています。きれいに化粧して髪の毛をセットして、素敵で魅力的な服を着て、ちょっと品よく振舞ってみるって彼女たちの一種の仮想現実なのではないかと思うのです。そう、まるで女優になったぐらいの感じです。つまり外観で思いっきり見栄を張るんです。「私、きれい?」って。そうすると何人かの「みつぐ君」はすぐに見つかるのでしょう。そうすればもう女王様です。

日本の文化は同質化の中で半歩だけ上に行きたいと思っている人が世界の中で特に多いと思います。ただ、多くの見栄は表層だけなのです。クルマや飲食、服飾に腕時計でしょうか?でも家ではないのです。なぜなら日本には家に人を呼ぶ習慣が無いからです。ちょっと古いのですが、松嶋菜々子主演のドラマ「やまとなでしこ」を覚えている方は思い出してみましょう。松嶋菜々子扮する神野桜子は素敵な男性と派手さを求めたけれど家は超おんぼろアパートでした。あのギャップこそ、日本の「表層的見栄っ張り」を見事に表現したドラマだったと思うのです。

私は見栄を張るなら「おつむの中」で勝負してもらいたいと思います。「デキるねぇ」と言わせる人がもっと増えて欲しいと思うのです。そして、地に足をつけ、他人がどうしようがブレない個をしっかり持ってもらいたいです。80年代の私の女友達も2000年に放送された「やまとなでしこ」も現在起きている強盗や詐欺をみても結局、まだまだ日本人の意識改革は進歩していないということでしょうか?

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年3月8日の記事より転載させていただきました。

会社経営者
ブルーツリーマネージメント社 社長 
カナダで不動産ビジネスをして25年、不動産や起業実務を踏まえた上で世界の中の日本を考え、書き綴っています。ブログは365日切れ目なく経済、マネー、社会、政治など様々なトピックをズバッと斬っています。分かりやすいブログを目指しています。