ゼレンスキー大統領の「春欝」の原因:戦争の幕を閉じることはできるか

ウクライナのゼレンスキー大統領は少し憂鬱になってきているのを感じる。ウクライナ東部ドネツク州の激戦地バフムトの動向を考えて、というわけではないだろう。この戦争をどのような形で幕を閉じることができるかで頭を悩ましているのだ。

リヴィウで開催された国際会議(United for Justice)で語るゼレンスキー大統領(2023年3月3日、ウクライナ大統領府公式サイトから)

ゼレンスキー大統領はこれまでクリミア半島を含むロシア軍の占領地を全て奪回するまで戦い続けると何度か表明してきた。そしてロシアのプーチン大統領との停戦交渉については拒否の姿勢を保ってきた。しかし、ここにきてゼレンスキー大統領は自身の考えを変えてきたのではないか。ロシア軍の攻勢がこれまで以上に激しくなってきたから、という理由ではない。

バイデン米大統領、欧州連合(EU)、北大西洋条約機構(NATO)の3本の柱のウクライナ支援団の結束が緩んできたわけではない。彼らは異口同音に首脳会談を開催する度に「ウクライナへ今後も支援を続けていく」と表明している。重火器供給で躊躇してきたドイツの同国軍事産業ラインメタル社はウクライナ国内で武器生産に乗り出す考えがあることを明らかにしたばかりだ。ただ、欧米諸国がウクライナ支援の続行を繰り返せば繰り返すほど、ゼレンスキー氏は「いつかは支援が来なくなるだろう」といった強迫観念が強まってくるのだ。

ゼレンスキー大統領は5日夜のビデオ演説の中で、「ウクライナ戦争の責任を負っているロシア人には、正当な処罰が待っていることを固く確信している。ロシアの全ての殺人者、この侵略の全ての主催者、何らかの形でわが国に対する戦争と国民に対するテロを引き起こした人間は、罰せられなければならない」と語った。そして「そのための土台は、リヴィウ(ウクライナ西部の都市)で開催された国際会議(United for Justice)で敷かれてきた。ウクライナに対する戦争の責任者を処罰することは、単なる正義の夢ではない。すでに進行中の作業だ。世界は戦争でロシアを罰するのに十分強い。私たちは罰を実行する勇気と手段を世界に与えている」と強調している。

なお、リヴィウ会議では、とりわけ、戦争犯罪の起訴のための新しい国際センターを設立することが合意された。ウクライナは何カ月もの間、ナチス戦争犯罪者のためのニュルンベルク法廷をモデルにした国際法廷をその支持者とともに設立しようとしてきた。

ロシア軍がウクライナに侵攻して2年目に入っている。停戦の見通しは立っていない。ウクライナは欧米からの武器供与を受ける一方、ロシアは軍の再編成後、攻勢に乗り出す動きを見せている。そのような中、ゼレンスキー大統領はロシアの戦争犯罪を問う国際法廷の設置に力を入れているわけだ。

ゼレンスキー大統領の5日夜のビデオ演説を読んだ時、同大統領はクリミア半島の解放まで停戦に応じないという自身の考えを修正せざるを得なくなっているように感じた。なぜなら、戦争犯罪に対する国際法廷の設置は戦争が終わってからの課題だ。ゼレンスキー大統領は戦争の完全な勝利を目指すというより、戦争犯罪者への公平な処罰を重要視してきたのだ。

戦争の長期化はウクライナに不利と言われてきた。ゼレンスキー大統領自身も今年に入り、「戦争は今年終わる」と述べている。例えば、来年は米大統領選だ。再選を目指すバイデン大統領はウクライナ戦争をこれ以上長期化させたならば、戦争に反対する声が国内で高まることを恐れている。実際、共和党のトランプ前大統領、フロリダ州のロン・デサンティス知事は「国内で苦しむ多くの国民がいるなか、巨額の資金を米国内ではなく、ウクライナに投入している」とバイデン政権のウクライナ支援政策を批判している。ドイツ国内では左派系活動家たちが「戦争の代わりに平和を」といった集会を開いている。また、ロシア制裁下で苦しむ国際大手企業からは「制裁を続ければ、世界経済は大変になる」といった警告の声が聞かれる。その声はバイデン大統領の耳だけではなく、キーウのゼレンスキー氏の耳にも届いているはずだ。

ゼレンスキー氏はロシアとの戦いで勝利を信じているが、ロシアのプーチン大統領は勝利するまで戦い続ける姿勢を崩していない。それゆえクリミア半島を議題から外し、可能な限りロシア軍を撤退させながら、停戦に追い込む以外に道がないという判断が出てきたのではないか。

戦争犯罪を裁く国際法廷の設置はゼレンスキー氏にとってこれまで以上に重要だ。「クリミア半島の解放」に代わって、「ロシア軍の戦争犯罪を裁く国際法廷の設置」を掲げることで、ゼレンスキー大統領は主権を守るために亡くなった多くの国民、兵士の名誉を回復させたいと願っても不思議ではない。同大統領にとって、国際法廷の設置は絶対に譲れない条件となってきたわけだ。

もちろん、その前にロシア軍をウクライナ東部からどれだけ撤退させるかの交渉が出てくるが、ロシア側も自身の国家メンツを失わないためには、譲歩も必要となるだろう。ひょっとしたら、ウクライナ東部に国連和平監視部隊を派遣し、停戦を監視するという案も出てくるかもしれない。

米国の著名な歴史学者、プリンストン大学のスティーブン・コトキン教授やブルガリアの政治学者イヴァン・クラステフ氏は和平協定の締結なくして休戦状況にある朝鮮半島の停戦モデルを主張している。ウクライナ戦争を終わらせるためには、戦勝国も敗戦国もなく、ただ両者の間に休戦ラインしかない朝鮮型モデルが考えられるのだ。

ウクライナ国民の愛国心を鼓舞し、軍を指揮してきたゼレンスキー大統領は現在、ロシア軍との戦いでの勝利ではなく、休戦ラインをどこに敷くかを考えざるを得なくなってきたわけだ。同大統領の憂鬱(春うつ)はその辺にあるのではないか。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年3月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。