金融庁は、金融機関との対話を重視しているが、様々な権限を有する監督官庁の立場で、金融機関との対等な対話がなりたつはずはない。例えば、金融庁から質問されれば、金融機関の悲しい性として、質問の背景にあるはずの金融庁の意図を推測せざるを得ないわけである。
このとき、興味深いのは、肯定の質問、即ち、なぜ何々するのかという形の質問は、抑止的含意をもつと解釈され、否定の質問、即ち、なぜ何々しないのかという形の質問は、推奨的含意をもつと解釈されることである。例をあげれば、なぜカードローンが急増しているのかと聞かれれば、どの金融機関もカードローンの抑制を指導されたものと理解するわけである。
いずれにしても、監督官庁として金融庁が質問する限り、それは決して質問にはなり得ず、何らかの指示や示唆、あるいは弱い命令になる。こうした言語の機能的側面に関連した分析は、現代哲学の重要な研究課題として、日常言語学派がとりあげていて、なかなか奥の深いことである。
こうした金融庁と金融機関との間にある微妙な関係は、金融機関と顧客との間にもあり得る。特に、銀行の地位は、極めて特異なもので、預金という特権的商品を扱うことで、顧客の懐具合、また、懐の中身の出入りまで知ってしまうだけでなく、融資を通じて、債務者である顧客に対して債権者としての自然な優越性をもつからである。
従って、銀行は、顧客との関係で、対等であることはできないので、顧客に質問すれば、顧客は必ず質問の意図を推測する。例えば、なぜ預金においておくのかと聞かれれば、顧客は投資信託を買えという意味に解するわけである。
しかるに、金融庁のいう顧客本位のもとでは、銀行は、顧客の意向を確認しなくてはならないから、質問せざるを得ない。例えば、投資信託の販売に関しては、顧客の資産状況、取引の経験や目的などを把握していることが前提だとされるのだが、まさか、そのまま質問して、正しい答えが得られるとは、到底考えられない。特に、資産状況を銀行に明かす人がいるはずもない。そもそも、顧客の資産状況を聞くこと自体が商業の常識に反している。
ところが、銀行の常識、世の非常識だから、どの銀行においても、大真面目に質問票が作成され、何の疑問もなく顧客に記入を強制するのである。こうして、顧客本位の杓子定規な形式的履行によって、実質的に著しく顧客本位に反したことがなされても、それが異常なことだと思われないところに、銀行の重篤な病があるわけだ。
■
森本 紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
HC公式ウェブサイト:fromHC
twitter:nmorimoto_HC
facebook:森本 紀行