女性の長く、静かな「ストライキ」

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今から半世紀近く前の1975年10月24日、北欧の小国、アイスランドで、アリストファネス(アリストパネス)の戯曲『女の平和』(男たちに戦争を止めさせるため、敵味方の女たちが挙ってセックス拒絶のストライキを行い、平和を成就するという喜劇)を彷彿とさせるような出来事があった。女性たちが「女性の休日」と銘打ったゼネストを決行し、女性の権利の向上と男女平等の実現を訴えたのである。

今でこそ世界有数のジェンダー平等国家アイスランドも、当時は社会や家庭における男女格差が著しく、なかでも僅か3人、比率にして5%という女性国会議員の少なさに女性たちは怒りと不満を募らせていた。アイスランド女性の90%がストライキに賛同し、各地でデモが繰り広げられた。当時のアイスランドの人口は22万人足らずであったが、首都レイキャビクのデモには25,000人もの女性が参加した(BBC NEWS, “The day Iceland’s women went on strike”, 23 October, 2015)。

The day Iceland's women went on strike
In 1975, the women of Iceland took a "day off" from their usual jobs - and relations between Icelandic men and women were never quite the same again.

この日1日、彼女たちは職場を放棄し、家事や育児を投げ出した。銀行や工場が休業に、また一部の商店は閉店に追い込まれる一方、男性たちは慣れない家事や育児に追われた。保育園が休みになったため、父親は子連れ出勤を余儀なくされ、職場はまるで託児所のようになり、食料品店では調理が簡単で、子どもの好物でもあるソーセージが売り切れた。ストライキは見事に功を奏し、アイスランドがジェンダー平等へと舵を切る重要な契機になった(BBC NEWS)。

歯止めの効かない少子化を前に、頭を抱えて右往左往する我がベテラン国会議員をみるにつけ、私はこの「女性の休日」を思い出すのである。もちろん、日本の女性は「出産拒否」を声高に叫んで、デモをしているわけではないし、何よりこれをストライキなどと自覚さえしていないだろう。

しかし、政府の少子化対策に女性たちの反応は鈍く、むしろそれを嘲笑うように少子化が進行するばかりというのは、皮相な弥縫策に終始し、女性の生き辛さを軽減するための手立て打つことのできない政治に苛立つ彼女たちの出産のサボタージュ、静かで長いストライキである。

日本の少子化対策の不備については、すでに解説し尽くされ、私もこれまでの投稿で述べてきたので、ここで繰り返すことは避けたいが、最近気になるのが不寛容な出産誘導策が打ち出されていることだ。出生率を引き上げるためには何が何でも女性に出産させよう、強制とまでは言わないが、どうにか出産に誘導しようとする政策に透けて見える不寛容さである。

3月10日、自民党の「教育・人材力強化調査会」が子育て中の世帯の奨学金(日本学生支援機構)返済を減免する提言案をまとめた(日本経済新聞、2023年3月10日)。

最初の案では出産すると減免としていたが、批判を浴び、世帯に変更された。それでもなお問題は残る。子育てと奨学金減免の抱き合わせは、子どもを持つ人だけに利益を与え、持たない人には何も供与しないという不利益を与える、つまり消極的な罰を与えることだ。しかも、奨学金減免のバーターになる女性の身体や子どもの命をまるで「モノ」のように扱う点も不愉快である。

さらに私が驚かされたのが、子どもの貧困問題に取り組み、女性の立場を理解していると思われる有識者がこの自民党の案に賛同し、むしろそれを煽るような考え方を示したことだ。

子どもの学習支援に取り組むNPO法人「キッズドア」の渡辺由美子理事長は、政府の少子化対策の会議で「子どもが産まれたら奨学金返済を免除するなどのインセンティブを」と訴え、時事通信社の取材に対して、「今から大学教育を無償化しても少子化解消には間に合わない。今すぐ産める人に産んでもらうにはどんな施策もなりふり構わずやるべきだ」と強調した、という(時事通信社、2023年3月10日)。

◎「出産で返済減免」に賛否=子育て世代の奨学金、負担重く
 自民党の「教育・人材力強化調査会」(会長・柴山昌彦元文部科学相)は10日、学生時代に奨学金の貸与を受けた人が子どもを持ちやすくするため、「子育て時期の経済的負担を増加させない制度設計」を求める提言をまとめた。子どもが産まれたら両親の奨学金を減免する趣旨だが、出産と奨学金を結び付ける案には賛否が分かれる。  「結婚した...

政府の危機感が市民社会にも共有されるようになった、とでも言うべきなのであろうか。社会を挙げて少子化問題に取り組むことは歓迎すべきことかもしれないが、子どもを持つ人を優遇し、持たない人は冷遇して「二級市民」のように扱う風潮が生まれないか、懸念を感ぜざるを得ない。

しかも、経済的困難や生活不安、働きづらさなど若者の結婚や子育てを阻む根本的な問題を解決することなく、「産めよ、増やせよ」と煽っては、子どもを持つことに不安を感じ、躊躇している人たちを白けさせ、益々出産や子育てから遠退かせるだけである。

不寛容な弥縫策ばかり打ち出すのではなく、子どもを産みたい、育てたいと思えるような社会づくりこそが、遠回りであっても、実効力をもつ解決策ではないだろうか。そうでなければ、静なストライキ、さらに長期化しそうだ。