愚というもの

拙著『仕事の迷いにはすべて「論語」が答えてくれる』第2章『(7)「愚」を身につける』の「愚になったがために、義や勇をなくすこともある」で、私は次の通り述べました――愚というのは、身につけるのが難しいし、また身につけたとしても、どのような場面でどう用いるかが、非常に難しい概念なのである。義や勇との両立を図りながら、愚を発揮できるようになるまでには、相当の歳月がかかるといえるだろう。

『論語』の「公冶長(こうやちょう)第五の二十一」に、「甯武子(ねいぶし)、邦(くに)に道あれば則ち知、邦に道なければ則ち愚。其の知は及ぶべきなり、其の愚は及ぶべからざるなり…甯武子(春秋時代、衛の大夫)と言う人は、国が太平の時はその聡明さと才智を発揮し、国が乱れている時は愚鈍のふりをする。彼の聡明さは他人も真似られるが、愚鈍さはとても真似られない」という孔子の言があります。

我国でも例えば江戸時代、「馬鹿殿様でなければ名君になれん」と安岡正篤先生は非常に逆説的によく言われていたわけですが、それは徳川幕府が隠密を日本中に遣わし不穏な動きがないかと厳しく監視する等の下、藩主は下手に才覚を発揮するのでなく日々の政治は腹心に任せ自分は馬鹿殿様を演じていたのです。このように愚というものは一つ、人を欺く手段として用いられます。

それからもう一つ、欺くのみならず人の知恵を引き出す手段にもなり得ます。例えば相手に自分が大変な切れ者に映り警戒感・緊張感ばかりが漂っている場合、相手はものも言えないようになり委縮してしまうでしょう。そうした状況を解き和らげるべく冗談の一つでも言ってみる等、愚は人を使い知恵を引き出す上で時に重要です。

あるいは『韓非子』に、「智を挟(さしはさ)みて問わば、則ち智(し)らざる者至る。深く一物(いちぶつ)を智れば、衆隠(しゅういん)皆変ず…知っているのに知らないふりをしてたずねてみると、知らなかったことまでわかってくる。一つのことを熟知すれば、かくされていたことまで明らかになってくる」という言葉があります。「知りて知らずとするは尚(しょう)なり。知らずして知れりとするは病(へい)なり」(『老子』)――韓非子流の愚の装いを併せ持つことも大切です。

そして最後に、曾子(参)に見られるような愚です。例えば『論語』の「先進第十一の十八」に、「柴(さい)や愚。参(しん)や魯。師や辟。由や喭(がん)」とあります。一番弟子の顔回が生きていれば孔子を継ぐのは勿論顔回なのですが、顔回は孔子より先に死んだがため、結果として曾子が実質的に孔子を継ぐことになりました。

それは孔子の言葉にある通り、曾子は魯(のろま)であり少し愚鈍なのですが、鈍であるからこそ、それだけ毎年こつこつ積み上げて行く努力を一生懸命し続けて、時間を掛け多くを飲み込み血肉化して行ったからです。曾子の如き愚は人物大成を齎すもので大いに結構だと思います。


編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2023年3月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。