心田を耕す~善の種を収穫して蒔き広める~

株式会社財界研究所より『心田を耕す』という本を上梓しました。本書は「北尾吉孝日記」を再構成したもので、08年9月出版の第1巻『時局を洞察する』から数えて15巻目に当たります。

本書のタイトルを色々と考えた末、『心田を耕す』としました。その理由の一つは、本書を構成する多くのブログの主張は畢竟(ひっきょう)、心田を耕すということに帰着すると思ったからです。もう一つの理由は二宮尊徳(金次郎)について、もっと多くの人に知ってもらいたいと思ったからです。

この「心田を耕す」は、お釈迦様の言葉に端を発しているようです。お釈迦様が托鉢(たくはつ)をしている時に、お百姓さんから「私は田畑を耕し、種を蒔いて食を得ている。あなたも人に施しを乞うのではなく、自分で田畑を耕し、種を蒔いて食を得たらどうですか」と言われ、「我は忍辱(にんにく)という牛と、精進という鋤(すき)をもって、一切の人々の、心の田畑を耕し、真実の幸福になる種を蒔いている」と答えられたと伝えられています。

私は、この言葉は長年、二宮尊徳翁のものだと思っていました。彼の言で「私の本願は、人々の心の田の荒廃を開拓していくことである。天から授けられた善の種である仁義礼智を栽培し、善の種を収穫して、各地に蒔き返して、日本全体にその善の種を蒔き広めることである」というものがあったからです。

上記は、当に尊徳翁の報徳思想の根幹を為すものだと私は考えています。尊徳翁の思想は神道・儒教・仏教のエッセンスを取り出し、翁の体験的・実践的知恵と結合・折衷させて生み出したものです。尊徳翁は、この思想の四つの実践倫理(至誠、勤労、分度、推譲)を貫き、武家や藩家の財政を立て直したり、村の農業を復興させ、最終的には約六百の村おこしを行ったと言われています。これら四つの実践倫理の内、「分度」とは分に従って度を立てることで、自分の置かれた状況や立場を弁(わきま)え、それぞれに相応しい生活をすること。また、収入に応じた一定の基準(分度)を決めて、その範囲内で生活をすること。「推譲」とは将来に向けて、生活の中で余ったお金を家族や子孫のために貯めておくこと(自譲)。また他人や社会のために譲ること(他譲)を言います。

私がSBIグループの地銀プロジェクトを立ち上げる時に、尊徳翁の関連書籍を何冊か読み、彼の報徳思想を地方創生という観点で勉強仕直しました。その過程で「推譲」の考え方、とりわけ「五常講」の仕組みは素晴らしいと思いました。「五常」は中国古典の仁・義・礼・智・信です。報徳思想の「五常」の内、「仁」とはお金のある人が無い人に低利・無担保で貸す愛。「義」とは、借りた人は期日までに約束を守り、きっちり返すこと。「礼」とは、困った時にお金を貸してくれた人への感謝の気持ち。「智」とは、借りた人は、どうやって返済するかを考え抜き、一所懸命に働くこと。「信」とは、金銭の貸し借りを行う土台としての人と人との関係、を言います。

尊徳翁は、村の復興や藩の財政再建の為、田を耕し、お金の貸し借りを五常の精神で行うことで、村民達の心を耕していったのです。これを尊徳翁は「心田開発」と呼んだのです。
私は、報徳思想はバングラデシュの経営学者であり、ノーベル平和賞を受賞したグラミン銀行の創設者であるムハマド・ユヌス氏のマイクロファイナンスやソーシャルビジネスの事業に相通じるものだと思いました。

私が長々と前記した尊徳翁やユヌス氏の話の共通点は、「推譲」という善智・善行の普及と言えると思います。この考え方を尊徳翁の場合は、彼が研鑽していた中国古典から知行合一的に学んだ「五常」の徳目が「五常講」に結実したと推察されます。

これら五つの徳をバランスよく身につけ実践していくことが、君子たる人物になるために必要不可欠であると『論語』では説かれています。

「仁」とは思いやりの気持ち、「義」とは人が行動していくうえで通さなくてはならない物事の筋道のこと。「礼」とは集団で生活を行うために、お互いに守るべき秩序のこと。「智」とは、よりよい生活をするために出すべき智慧。そして「信」とは我々の社会を成り立たせている基盤や、そこで生活している人に対しての絶対的信頼です。

こうした五常をバランス良く、知行合一的に身に付けるという行為を、田を耕している農民達を啓蒙する場合「心田を耕す」という言葉が一番分かりやすく、受け入れやすいと尊徳翁は思ったのではないでしょうか。

尊徳翁の偉大さは、自ら学んだことを実践し、より良き社会の実現のためビッグピクチャーを具体的に描き、大変な成果を齎した点にあります。また尊徳翁は、経世済民を目指した報徳思想を広く受け入れられるものとし、その啓蒙活動を通じ大きな社会変革を齎したことも、我々は忘れてはならないと思います。私の小学校時代には、多くの学校に二宮金次郎の銅像がありましたが、そうした像が次第になくなり、小学校でも二宮金次郎について教えることもなくなっているようで残念至極です。

本書のタイトルを「心田を耕す」とすることで二宮尊徳翁の足跡や思想を尋ねる人が増えることを切望いたします。

心田を耕す


編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2023年4月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。