国民の生殺与奪の権を握る「中央銀行デジタル通貨」

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金融不安と中央銀行デジタル通貨(CBDC)

2023年3月、米国の複数の銀行の経営破綻のニュースが世界を駆け巡り、その後、金融不安連鎖が続いている。

その中で、「銀行が破綻しても米連邦預金保険公社(Federal Deposit Insurance Corporation ; FDIC)が25万ドルまで預金保護してくれることになってはいる。しかし、短期間に何行も次から次に破綻したらその仕組みはもたず、仕切り直しが必要となるのではないか。」などの危機感が高まっている。実際、FDICの2022年末の基金残高は保険の対象となる預金の1.27%にすぎないとも言われているからだ。

このような状況下、一部の識者の間では「この混乱に乗じ、ショック・ドクトリンとして『金融機関の壮大(グレート)なる仕切り直し(リセット)』が早々に行われるのではないか、といった警戒感が高まっている。

そんな「金融版グレート・リセット」として想定されるのが、中央銀行デジタル通貨(Central Bank Digital Currency ; CBDC。以下、CBDC)とよばれるものだ。これには、私たちの基本的自由を奪いかねないいくつかの深刻な問題が隠されている。

失われる金融のプライバシー

日本銀行のウェブサイトはCBDCをして、

(1)デジタル化されていること(つまり現金ではない)
(2)円などの法定通貨建てであること
(3)中央銀行の債務として発行されること

という条件を一般に満たすものであると定義している。

(2)の「円などの法定通貨建てである」ことは理解し易いだろうが、(1)「デジタル化」とはつまり、CBDC導入後の世界では、全ての取引は紙幣や硬貨といった現金ではなく電子的な支払いとなることを意味する。

一日で一度に全ての紙幣や硬貨がデジタル通貨(つまりCBDC)に置き換わるということはないかもしれないが、徐々にその導入割合が高まり、やがて全ての取引がCBDCで行われるようになれば、現金は一切使われないことになる。これだけでも驚く人は少なくないだろう。

では、(3)「中央銀行の債務として発行される」とは、具体的にどのようなことを意味するのだろうか。

例えば筆者がA銀行に1万円を預金したとする。その場合、やりとりはあくまで筆者とA銀行の間のものであって、日本の中央銀行たる日本銀行はそのやりとりそのものを常時監視しているわけではない。1万円はあくまでA銀行のバランスシート上で負債(a liability)として計上され(つまり、日本銀行のバランスシート上に直接筆者の1万円が計上されるのではない)、A銀行は預けられた1万円を筆者に支払う義務を負うことになるだけの話だ。

また、筆者がA銀行を通じてお金を送金する場合、送金する責任を負うのはA銀行となり、ここに日銀は直接関与しない。これが現在、私たちが使っている一般的な銀行のシステムである。

しかしCBDCが導入されれば、その1万円が「中央銀行の債務(a liability of the central bank itself)として発行される」るため、その中央銀行(日本の場合は日銀)が「資金の保有・移転、あるいは表向きの所有者に送金する直接的な責任を負う」ことになる(米シンクタンクのケイトー研究所)。

もっと噛み砕いていうならば、筆者はもはやA銀行とやりとりするのではなく、これまでA銀行の背後にいた日本銀行と直接、完全なデジタル通貨を使ったやりとりをすることになるのである。

例えば、筆者がある1泊1万円のホテルに宿泊するため、財布から現金で1万円を支払った場合は、A銀行であれ、中央銀行であれ、金融機関はそのやりとりについては一切与り知らぬことである。しかし、一切の現金を使わない完全デジタル化したCBDCの世界では、筆者がいつどこに泊まっていくら払った、ということがすべて日本銀行(中央銀行)に筒抜けになってしまうのである。

これについては「市民と中央銀行の間に直接的なつながりが生まれる」などと表現されているが、前述のケイトー研究所は「CBDCは、銀行秘密法の制定や第三者機関の設立以来、金融のプライバシーに対する唯一最大の攻撃となる可能性が高い」と述べており、この指摘は正しいだろう。つまりCBDCの世界では、私たち個々人の日常生活における通貨を使用した経済活動は100%中央銀行に把握されてしまい、プライバシーが完全に毀損されてしまうわけだ。

ちなみに、「政府の銀行」とか「銀行の銀行」などと呼ばれている中央銀行(米国の連邦準備銀行や日本銀行等)という組織は、世界各国の大半に存在しており、それらの国々における法定通貨を刷っている。しかし、それら中央銀行の所有構造は各行様々ではあるものの、いずれも政府機関ではなく一民間組織に過ぎない。

実際、日本銀行は認可法人であり、その出資証券は東京証券取引所に上場されている(銘柄コード8301)が、その証券は民間人がかなりの数を保有しているとされるものの、その所有者は非公開となっていて不明だ。この事実は、最近でこそ少しずつ知られるようにはなってきたが、まだまだ一般常識であるとはいえまい。

つまり、どこの誰が所有しているかわからない一民間組織が、私たち国民全ての金融決済情報のみならず、経済活動に関するプライバシーを完全に把握しかねない、ということだ。

CBDCの推進目的と脆弱性

では、なぜそんなCBDCは推進されているのだろうか。推進派はその利点として、金融の包摂、コスト削減、決済速度や自動化、透明性の向上といった利便性の向上を挙げることが多い。

金融の包摂とはつまり、CBDCの世界では物理的な紙幣や硬貨は無くなってしまうため、現在銀行口座を持っていない人(2021年時点で米国では約4パーセントいると言われている)も生活のためには口座を作らざるを得ず、最後には全人類が中央銀行に直結する銀行口座を持ち、デジタル通貨を使って暮らさざるを得なくなるだろう、ということだ。

しかし、これらの利点についてはCBDCが導入されても実現するのは難しいのではないか、という否定的な見解も出されている。

そもそも前述の如く、あえて銀行口座を持たず、貨幣経済からできるだけ切り離された生活をしたいと考える人は少数ながら存在するのも事実であるし、また、それらの人々のみならず、日常生活における経済活動が100%中央銀行に把握されかねないとなると、それならCBDCの銀行口座など持ちたくないと考える人が増えることも想定され得るはずだ。

その中で、そんなプライバシーが保護されないシステムに全人類を半強制的に入れ込もうとすることが、果たして推進派が主張する「利点」と言えるのだろうか。

さらに、CBDCのもう一つの重大なリスクはサイバーセキュリティの問題だ。現在、私たち個人は中央銀行と直接やり取りはせず、市中の一般銀行とやりとりしている。そのため、筆者が利用しているA銀行のシステムがハッキングされても、通貨の流通自体がなくなるわけではない。

しかし、CBDCの世界では、中央銀行が全国民の取引をただ一つの台帳で管理する中央管理型システムになると想定されるため、仮にその中枢部分に障害が発生して大規模なシステムダウンが起これば、全国民の決済ができなくなり、経済活動そのものが停止してしまうことにもなりかねない。

つまりCBDCは、人間のプライバシーを著しく毀損するだけではなく、その実際の運用については、サイバーセキュリティ面を見ただけでも大変に大きな不安を抱えているのである。

CBDCの「プログラム」によりお金が蒸発?

では、なぜそんな問題だらけのCBDCが導入されようとしているのだろうか。CBDCのイノベーションハブを展開する国際決済銀行(Bank for International Settlements ; BIS)のGeneral ManagerであるAgustín Carstens氏は、以下のように述べている

今日誰が100ドル札や1,000ペソ札を使っているのか、我々は知らない。CBDCが既存システムと決定的に違うところは、「中央銀行債務」という表現の使用を決定する規則や規制を中央銀行が絶対的にコントロールできること、また、それを実施するための技術も持つことだ。

つまりCarstens氏は、CBDCによって中央銀行が金融システム全体に対する「絶対的な支配力」を有することになると言っているわけだ。

さらに欧州中央銀行総裁のクリスティーヌ・ラガルド氏は、CBDCの運用について「絶対的な支配力」をなくしたり、利用者の完全な匿名性を保ってしまえば、テロ対策の観点から見ても危険だと言っている

しかし、そうやってテロのリスクという曖昧な恐怖を煽ること自体、実際にどこの誰が保有しているかさえ不明な一民間組織に過ぎない中央銀行に「絶対的な支配力」を持たせ、それをもって全人類の資産の完全支配とプライバシーの剥奪を行わせたいと考える勢力が並べ立てた方便にしか聞こえない。

同様のことは、BISや世界銀行と共にCBDCに関する共同報告書を作成した機関である国際通貨基金(International Monetary Fund ; 以下、IMF)の幹部も発言している。IMFで副専務理事をつとめるBo Li氏は「CBDCをプログラムすることで、人々が所有できるもの・使用できるものに確実に資金を振り向けることができる」と述べている

このLi氏の言う「CBDCをプログラムする」とは、実は大変に恐ろしい可能性をも秘めている。

例えば、人々が使用する通貨に対して「絶対的な支配力」を有するという中央銀行が、一時的に停滞した消費活動を喚起すべく、通貨に対して直接にマイナス金利を適用するといったこともできるであろう。それどころか、一定期間のみ有効でその後は無効化するといった買い物ポイントカードや航空会社のマイレージのように、CBDCでも一定の期限内に使われなかったデジタル通貨が失効するような仕組みを「プログラムする」ことさえ可能になるわけだ。

つまり、ある朝起きたら、自分の保有していたはずの貯金が失効しており、完全に蒸発していた、ということが技術的に起こり得るのである。

通貨剥奪(凍結)権で奪われる基本的人権

こんな「絶対的な支配力」による「プログラム可能」なデジタル通貨の導入は、先に述べたプライバシーの剥奪と相まって、さらに深刻な人権侵害につながるのでは、ということも警戒されている。

こちらの記事にも詳述した通り、最近米国では、ESGの観点から適切と見做されないと判断された個人が、一方的に金融機関から締め出されるケースが発生しているが、この事例の如く「絶対的な支配力」を持ち、さらに個人のプライバシーなど歯牙にもかけない中央銀行が、政府が推進しようとする政策に対して反対を唱える特定の個人の銀行口座を突然凍結してしまう、という可能性もあるわけだ。

例えばカナダでは、ワクチン接種義務などを含む新型コロナウイルス対策への反対を唱えるデモの取り締まりのため、トルドー首相が緊急事態法を発動、デモに関係する個人や組織の銀行口座凍結を行っている。このデモは米国で展開されている極左暴力集団のNGO「ブラック・ライブズ・マター(Black Lives Matter; BLM)」が行なったような多くの破壊活動を伴ったデモなどとは違い、非常に平和的なものであったにもかかわらず、である。

この時はカナダ政府の指示を受けた銀行が、デモ支援者たる個人顧客の口座凍結を行ったわけだが、しかし中には政府の意向に必ずしも全面的に従わない銀行が現れる可能性もある。実際、こちらの記事で紹介したブランドン・ウェクスラー(Brandon Wexler)氏のケースでは、ウェルズ・ファーゴ銀行の口座を凍結されはしたものの、ウェクスラー氏は結局別の銀行で新たな口座の開設を許されている。

しかし、「絶対的な支配力」を持ち、個人のプライバシーなど歯牙にもかけない中央銀行が「プログラム可能」なCBDCが全面的に導入されてしまえば、そこでは中央銀行が個人と直接的取引を行うことになるので、政府が中央銀行に指図するだけで特定の個人の資産凍結なども行いやすくなるのではないかと考えられているのだ。つまり、我々の私有財産の剥奪や凍結である。

実際に一部の識者は、このようなシステムのもとでは個人が政府による資産凍結の可能性に怯えて暮らすことになり、その結果、思想や表現の自由を含むあらゆる基本的人権が奪われていくのではないか、と危惧している。

つまり、CBDCの導入が行われてしまえば、所有者さえ不明な「中央銀行」と名乗る一民間組織によって私たちは日常生活における経済活動のすべてが把握されてプライバシーを完全に奪われるばかりか、自分自身の生殺与奪の権さえ政府や中央銀行に握られてしまいかねないわけだ

アニメ『鬼滅の刃』に「生殺与奪の権を他人に握らせるな」という言葉があったが、これを実生活で噛みしめる時は近いのかもしれない。

日本はどうか

こんなCBDCに関する実証実験は過去数年間、すでに世界各国で行われてきたわけだが、実は日本でも同様の実証実験が行われている。

最近の動向として2023年4月3日から28日までの間、CBDCフォーラムへの参加者を募り、幅広いテーマにおいて議論・検討を行うことが示されているのだ。日本銀行はCBDC導入ありきではないとはしているものの、最近では実証実験や制度設計の検討はかなり進んできたという見方もされており、2026年にも発行の可否を判断する考えであるとも報道されている

しかし本稿で見た通り、CBDCの導入は我々個人のプライバシー毀損のみならず、思想信条の自由や私有財産の喪失といった著しい基本的人権の侵害を受ける可能性があるという負の側面が極めて大きい問題である。にもかかわらず、国内大手マスメディアではほとんど取り上げられておらず、海外で広く認識されている様々な懸念は日本国内ではあまり共有されていないという点を筆者は強く懸念している。

所有者不明の一民間組織に過ぎない中央銀行が持つ絶対集権的な権力によって、日常生活における私たちの基本的人権が蹂躙されかねない世の中を招来させないためにも、まずは私たち一人ひとりがアンテナを張り、方向性を注視していく必要があるだろう。この記事が読者諸賢のCBDC理解の一助になれば幸いである。