ひとり負けした「限界野党」立憲民主党の解党のすすめ

池田 信夫

今回の補欠選挙は、興味深い結果だった。事前の予想では、自民党の3勝2敗か2勝3敗といわれていたが、意外にも4勝1敗で、立憲民主党は全敗となった。たった5議席で国政の情勢判断はできないが、結果に大きな影響を及ぼした無党派層の気分を知るサンプルとしては意味がある。

スキャンダル暴露は万年野党のマーケティング

特に千葉5区と大分選挙区は数千票から数百票の差で、投票日の直前に出てきた有田芳生候補(山口4区)の「下関は統一教会の聖地だ」という発言の影響が大きかった。これで立民党は、下関市民だけでなく全国の無党派層を敵に回した。

これに先立って通常国会を1ヶ月にわたって混乱させたのは、小西洋之氏の怪文書と「憲法審査会はサル」発言だった。記者会見でそれを追及されると、小西氏は記者を脅迫した。この一連の事件で彼はモンスタークレーマーと呼ばれ、立民党のイメージダウンに大きく貢献した。

有田氏と小西氏の行動には共通点がある。政策とは無関係なスキャンダルで騒ぎ、マスコミに露出することだ。これは昭和初期から、野党の戦術だった。1928年に普通選挙が始まって無産者が有権者になったが、彼らにはむずかしい政策がわからないので、議会で政策論争をしても選挙に勝てない。

そこで野党が持ち出したのが、誰でもわかる松島遊郭事件や朴烈写真事件などのスキャンダルだった。帝国議会はスキャンダルの暴露合戦となり、腐敗した政治にうんざりした大衆は、清潔な軍部に絶大な信頼を寄せるようになった。それが1930年代の軍部の暴走の原因である。

立民党のように党組織の弱体な党にとっては、マスコミが最大の集票装置なので、それに露出するためのスキャンダルが必要になる。それがかつてはロッキードやリクルートなどの疑獄事件だったが、最近は森友学園・加計学園のようなしょぼい話しかなくなった。

そこに出てきたのが、安倍元首相の暗殺という大事件である。これを野党は政治的に利用し、犯人の供述に含まれていた統一教会の20年以上前の事件をスキャンダルに仕立てた。

有田氏は国会議員だった12年間、国会で一度もこの問題を質問したことがなかったのに、いま起こった大事件のように統一教会で騒ぎ続けた。それに妥協して、被害者救済新法をつくった岸田政権にも責任がある。

政治の再建には「限界野党」の解散が必要だ

このような万年野党をなくすために1990年代に小選挙区制が導入されたが、それは参議院に中選挙区を残す不十分なもので、政権を取る可能性のない限界野党が残った。

責任政党をめざした民主党政権は3年で空中分解し、2010年代には野党は離合集散を繰り返した。民進党は中道左派をめざして小池百合子氏の希望の党と合流をはかったが、これに反発した左派が立憲民主党に結集した。

このとき多くの人が(私を含めて)社会党モデルに回帰した立民党は衰退するだろうと予想したが、逆に希望の党が解散し、「立憲主義」という意味不明なスローガンを掲げた立民党が野党第一党になった。

彼らは自民党に政策論争を挑む必要はない。そんなことをしても絶対多数の自公政権は予算を可決でき、野党の政策が採用される可能性はない。それよりテレビ受けするのは、森友・加計や統一教会などのスキャンダルだ。

それは政策としては何の意味もないが、自民党が腐敗しているというイメージをつくり、内閣支持率を下げる効果はある。クレーマーに徹する立民党の戦術は、限界野党のマーケティングとしては正解だが、それでは政治は永遠に変わらない。

もう未来のない立民党は解散し、政策立案能力のある議員は日本維新の会や国民民主党に合流して、有田氏や小西氏のようなモンスターを政界から追放しないと、日本の政治は建て直せない。